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#62 ティーチングスキル②

■「伝える」から「伝わる」へ

前回、学生の模擬授業をきっかけにして、「指導」「指示」のあり方について書いた。

指示を出されなくても動けるようになるのが「自立」という話だった。

今回は、模擬授業「国語」を題材にしながら、学生達と共に文章のことや「ことば」について一緒に考えた。

高校時代の国語のK先生のことを思い出した。

K先生は
「受験勉強なんてつまらん!そんな勉強より、数々の名作に触れ、疑似体験、間接体験を通じて人間の心の機微や美しさ、醜さを知れ!」と事あるごとに言っていた。

森鴎外の『高瀬舟』を扱った授業では、感極まって涙を流しながら解説するような先生だった。

昔はそういう個性ある教師がたくさんいた。

高校教師だった私は、涙よりも冷や汗ばかり流していたような気がする。

そもそも、「簿記」や「情報処理」「マーケティング」」といった科目を涙ながらに語る場面はない。

「現金を受け取った時、簿記上の処理として「借り方、現金」と仕訳する理由は、聞くも涙、語るもた涙でね・・・・」という話にはならない。

あるとしたら、「このプリントは徹夜でつくったんだから、みんな真剣にやってくれ!」と涙ながらに訴えることだろう。

■文章読解

件の模擬授業は「文章読解」だった。
教科書に掲載されているのだから、ちゃんと体裁が整った文章であることは間違いない。

良質の文章を教材にするのが基本だ。

私は国語の教師ではないので、新学習指導要領の高校「国語」のどの部分がどう改訂されたのか詳細にわたっては把握していない。

日本で教育を受けるからには、母語である日本語の力を身に付けるのは当たり前なのだが、そもそも教師自身(全教科の教師)の日本語力は大丈夫なのかという問題は常につきまとう。

若い頃、公文書(保護者宛、企業宛など)の書き方で、校長や教頭からよく注意された。

決裁してもらうために提出した文書に、真っ赤な文字がたくさん入って返ってくるのだ。
赤ペン先生か!

要は、ダメ出しの朱が入るのだが、外へ出て行く文書だからダメなものは徹底的にダメと指摘してもらったほうが恥をかかなくてすむ。

いつものことながら、自分のことはさておき、次の文章を読んでもらいたい。
ある教育誌から抜粋したものだ。


 学習習慣の確立のためには、基礎基本の習得が大切だと言われていますが、そのためにひたすら漢字の書き取りや英単語の綴りを覚えることを必死にやらせる教師が結構いて、途中で嫌になる生徒が出てきて、かえって勉強はつまらなくて苦痛なものと感じ、学習習慣の獲得どころか、勉強嫌いな子を生み出しているということが指摘されていますので、教師に必要な改善点は、授業の導入から、展開、まとめの一連の流れについて今一度見直すことが必要だと思うのです。


この文章は長くて読みづらい。

いやいや、お前の文章がそうだろうと指摘される前に自分で言っておくが、私の文章もかなりそういう傾向がある。

一文あたりの文字数は、一般的に50~60字程度が理想で長くても80~90字程度が限界と言われている。

理想はあくまでも理想であって、長い文章でも、上手くて引きつける筆力があれば一気に読める‥‥はずだ。

多少へんてこな文書でも、読み直して論旨を理解し、ポイントはどこにあるかを“推測”すればいいのだが、長い文章は思考が迷子になる可能性が多分にある。

例えば、先ほどの文例を口頭で語った場合、どんな現象が起こるだろう。

他者の話に耳がついていかない生徒は必ず存在する。

抽象的な概念が連続すると、「それってどういう意味?」と気になり、耳が閉じた状態になる。

「意味わかんなーい」
「もうムリ!」
となるかもしれない。

そして、隣の友だちに聞くのだ。

「ねえねえ、今、先生が言ったこと、どういう意味?」

あちらこちらで私語や居眠りが始まる。

「授業あるある」だ。

話は「伝える」ではなく、「伝わる」ことが重要なのはわかっていながら、教師の話も文章も迷走する。

集会の校長の話は高尚で長い。
ずっとそう思っていたので、自分が校長になった時は、「明快」「短時間」を心がけていた。


学生が言った。

「私は人と話すことが好きで、コミュニケーションが得意なほうですので、相手との会話を大切にしながら・・・・云々」

話し好きである、誰とでも抵抗感なく話せる・・・といったことは大切な要素ではあるけれど、コミュニケーションの本質はそこではない。

言葉は円滑な人間関係をつくる道具だ。

道具を上手く使えないと「伝わる」「わかってもらう」にはならない。

永遠の課題だな・・・・

言葉は使い方を間違えると誤解を生み、人間関係を壊してしまう両刃の剣だ。

学校生活のあらゆる場面で教師が発している言葉は、生徒の中に刻み込まれていないことが案外多いものだ。

せっかく大切な話をしているにもかかわらず、論旨がぼやけていたり、教師と生徒の間で「ことば合わせ」ができていないばかりに効果が半減していることはよくある。

1年間かけて取り組む授業なら軌道修正するチャンスはたくさんある。

教師の力量は、生徒の言動を観察すればわかるだろう。

指導者として伝え切れていないことがいかに多いかということに気付けるかどうかも、ティーチングスキルの向上に必要なことだ。

生徒は教師の鏡。

文章作法と同様に、口頭の作法を身に付ける努力をしなければならない。

言語に関する学びは、国語や外国語の教師だけの課題ではない。
すべての教科の教師が「ことば」を大切にすべきことである。

私が常々言っている「ことば合わせ」の真意はそこにある。

学習面でいうと、小学校4年生(10歳)の国語と算数で抽象概念が急に増えてくる。

そこから勉強についていけなくなるという「10歳の壁」「学習格差(デバイド:分水嶺)」が発生し、中学・高校、大学、そして社会人へと尾を引きずっていくことになる。

抽象的な言葉ほど、理解の仕方に差異があるので注意を払うべきだろう。

ああ耳が痛い、目が痛い‥‥