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#154 読書日記28 彼、部活やめるってよ

『桐島、部活やめるってよ』
朝井リョウ/集英社文庫

10年くらい前、息子が読んだ本を私も読んだのだった。
映画化もされている。
作者19歳にして小説すばる新人賞。

今回は書評・感想ではなく、昨日、この作品(小説&映画)を思い出すできごとがあったという非常に単純な話だ。

正確には「読書日記」ではないけれど、職業柄、私の身の回りはリアルな青春群像が毎日渦巻いていると感じている。

仕事は高校から大学へと移ったが、今も若者の夢や憧れ、チャレンジ精神と自己否定感、焦燥感、挫折、幾多の厳しい現実が混在した心象風景を感じ取る必要があると思っている。


体育会系の部活に所属する男子学生が、選手としてうまくプレーできず、おまけに勉強に身が入らないので退部したいという相談にやってきた。

私の管轄ではないのだが、昨年度、私の科目を履修していたこともあり、部活論を語っていた私のことを思い出したようだ。

自分自身、中学時代も高校時代も柔道部が辛すぎてやめたくて仕方がなかった。
結果的に30歳まで試合に出ていたので褒めてやりたい。

20代前半までを青春期ととらえるなら、まだ迷っていて当然か。
いや、人は生涯にわたって悩むものだ。

努力ではどうにもならない限界があることを知ることで人は大人になり、次のステージへ進む。

そこで新たに努力できること、努力すべきことを見つけてチャレンジすればいい。

「辞めるのは簡単だけど、それで本当に学問に専念できるだろうか?」と疑問をぶつけた。

本人はそこを迷っているから相談に来たのだろう。

「辞めろ」「辞めるな」を指示する権利は私にはない。
ただ考える材料を提示するだけだ。

スポーツ選手なので、それを人生になぞらえてみた。

うまくプレーするためには、第一にミスをしないこと。
勉強も一緒だろう。
大学の学問研究は、やや趣が異なる面はあるけれど、積み重ねが必要なのは同じ。

日々試行錯誤しながらきつい練習に耐えることは辛い。
試行錯誤というのは、練習中は許されるけど本番で試行錯誤している暇はない。

練習することの意味は、本番でノーミスのプレーをするために正解パターンを叩き込むことだ。
その経験は後々いろいろな場面で生かされる。

1対1の個人技も、仲間との連携プレーもフォーメーションも、いくつかの正解パターンを持っておくことが必要。

ビジネスの場面だってミスは許されない。
競争原理が働く試験を受けるときもミスが多ければ多いほど不合格の確率が高まる。

仕事でも試合でも、本番は、臨機応変に合わせなければならないこともある。

やってはいけないパターンを頭に叩き込んで、無数の落とし穴を避けまくり、ゴールまで持ち込まなければいけない。

成功と失敗の分かれ目はそんなところにあるのではないだろうか。

そのためには、自分の失敗や他人の失敗をデータ化、パターン化して覚える必要がある。

プレーの最中に「これはマズい!」という勘が働くようにしなければならない。

試合の最中、1対1、1対2、2対2・・・・それぞれの局面では無限の展開パターンがあり得る。

そんな中で、最適パターンで得点(成功)に持ち込むには、自分にとっての王道の正解パターンを確立することが大きな武器になる。

アドリブで対応するときでさえ、「選択してはいけないパターン」を知っている者は強い。

そのためには失敗パターンの分析を数多くやって、頭と身体に叩き込んでおかなければならない。

一流のプレーヤーは身体能力だけでプレーしているわけではなく、瞬間、瞬間を判断しながら極限まで頭を使っている。

何かで成功しようと思うなら、チャレンジするのは「当たり前」なこと。
それができないのであれば、そもそも何もできない。

できる限りミスをしないという努力をどこまでしてきただろう。

これまでの経験で言えば、部活だけでなく、日常的な授業、試験、高校受験、大学受験などの勉強法はどうだったか。

ボールを扱う競技は、打つとか、シュート、スパイク、スマッシュするなどしなければ得点にならない。

逆に、相手のミスを誘って得点するためには、自分のミスを徹底的に排除すること。

得点は偶然の産物ではなく、チャレンジの連続と常に頭をフル回転させてミスしない最適解の選択の連続でなければならない。

もちろん人間だからミスはある。
そこでミスのひとつひとつに教訓を見出して原因をつぶしておかなければ、得点は偶然に左右される。

ラッキーというのは多くの場合、相手のミスだ。
まともな相手なら、そうそう連続してミスはしない。

当たり外れや偶然、運まかせであってはならない。
ミスをしないということが実力。

やってしまった失敗はいくら反省しても事実として残る。
次に同じ失敗をしないことだ。

我々には何事も実行する自由がある。

しかしその行動の結果責任はすべて自ら負わなければならない。

ミスはすべて自分の責任。
そのうえで自由がある。

退部するのも自由。
勉強に専念するのも自由。
すべての責任は君にある。


なんだか引き留め工作をしているような気分になったが、学生はこう言った。

「自分は競技に対する考え方とか向き合い方が甘かったと思います。
まだチャレンジする余地があるので続けてみようという気になりました。
ありがとうございます」

「いや、こちらこそありがとう。
チャレンジは、がむしゃらに突進することじゃなくて、思考することが大事なんだと改めて考えるきっかけになったよ。
部活でがんばれるなら勉強だってがんばれるさ」

実はこの学生は評価がA(優)ばかりで、私のぐうたらな学生時代とは雲泥の差だということを最後に知った。

高いレベルで悩んでいると知り、恥ずかしくなった。

恥ずかしがってる(?)我が家のネコ