散々劇場でシシド・カフカ+スカパラ版の主題歌をトレイラーで聞かされて、毎回毎回「スカはジャマイカだろ!」とイラッとしてたんです。あと、御覧になった方の感想がことごとく、”大号泣”一択だった。

泣ける って評判の映画って、
こっちが身構えすぎて<本命泣かせポイント>を“こんなもんじゃないでしょ”とうっかり我慢しちゃって期待したより感動できなかったり、逆に、単に泣けなくて自分の人間性を疑ったり…というパターンが多くてそれもちょっと心配だった。

で、字幕版でみたら、
タイトルは “COCO”のとこで「映倫」マークが出て、「リメンバー・ミー」は曲名としてしか出てこなかった。原題のCOCOは深い想いが込められたタイトルだと思うんですが、COCOが直感的に女性の名前だと通じるかどうか?カレー屋かファミレスしか思い浮かばねんじゃね?…とか、邦題を決めるときに日本の配給元は色々相談したんだろうなぁ、といきなり苦労がしのばれる感じ。

それでみてたら、終盤の展開がわりと冗長で、ここで更にミゲルに苦労させますか?いいかげんもうよくないか?みたいな感じでちょっと冷静になった。これは泣けなくて自己嫌悪になる展開かも、と心配になりかけたんですが、結局、ミゲルのお歌で号泣。

“最後の大技が効果的な場合は、頑張ってお話を引っ張った分だけ感動が大きくなる”法則を「ニューシネマパラダイス」の法則と俺様はよんでるんです。で、ニューシネマパラダイスの大技は秀逸な伏線の回収だったんですが、色々引っ張った後で登場するこちらの大技は、ばあちゃんの表情。

完璧な家族なんかないけれど、それでも自分のことを覚えていてくれるのは家族なんだ、というテーマのお話の成否を決めた大技がCGキャラの表情だった。それも、老婆が一瞬幼児に戻ったその瞬間の表情に集約させるって、かなりのリスクだったと思います。

映画を見てる最中は単に泣いちゃっただけだったけど、CGの表現力というか、表現力に対する自信というか、表現力を信頼した脚本というか、ひょっとして脚本で無茶振りされたのを必死で映像化した現場とか…どんな順番だったにしても、客観的に考えると空恐ろしい技の決め方だった。

となると最早些末な話なんですが、スカパラ版の曲はエンディングのおまけにもついてなくてセーフでした。まあ、「メキシコ推し」の宣伝だと日本ではむしろ客が減る、という判断で、楽しくておおまかにエキゾチックな曲調にするということで、スカだったのかも… ここも頑張りを褒めるとこなのかも…
スカ問題は、感動したのでもうどうでもよくなりましたけれども。


#note映画部