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努力という言葉の違和感を考えてみる

会社員のすずきです。
副業をがんばって、個人で稼げるようになることを目標に生きています。

自己啓発系の本には「努力」についてよく書かれています。

  • 努力するべき

  • 努力と思うようなものは努力ではない

  • 努力なんてしなくていい

  • 努力しないと成功できない

  • 努力は当たり前

  • 努力できるのも才能

  • 努力は人によって異なる

ほんとうに色んな表現がされていて、言葉だけみていると何が真実なの?!
って感じになってしまうかも。

凡人のぼくが腑に落ちたことをつらつらと纏めます。

努力は才能というのは正解

「努力は才能」
元も子もない話ですが、これは事実だと思います。

だから、才能ない奴は諦めようってわけではないですよ。

そもそも努力とは…

目標の実現のため、心身を労してつとめること。ほねをおること。

努力といっても、「なにをするのが努力」か。これがポイントです。

ひとによって目標も違えば、境遇、環境、身体能力、さまざまなことが違います。
だから、努力できることも個人差が出ます。

ぼくはゲームを少しだけしますが、ゲームに対して努力はできません。
強くなりたいわけでもないし、課金しているわけでもありません。
ちょっとした暇つぶし、話のネタになればいいな程度。
努力する気にもなりません。

でも、ぼくの息子たちは心血を注いで、ゲームをやっています。
きっと、「1週間だけ無制限にやっていいよ」って言ったら、ほとんど寝ずにゲームをするでしょう。
本人たちは努力なんて思ってもいないでしょうが…
『ゲームで勝つという目標のために、心身を労して取り組んでいる状態』
まさに努力していますよね。

こういう個人差は絶対にあると思うので、ひとによって努力できるポイントはバラバラ。
所謂、才能と置き換えれると考えられます。

努力を才能と思って逃げるか、やってみるか

この考え方だと、努力できるポイントは個別解になります。

だれかの成功事例を真似してもうまくいく人と、うまくいかない人に別れる。
いつかは努力できる何かに出会うはずと思って行動するかしないか。

こんな感じになりそうです。

もちろん努力できる範囲が広い人もいれば、めちゃくちゃ狭い人もいると思います。

個人差はありますが、どこかに努力できるポイントがあって、さらにそれがお金を稼げるのか、成功かどうかは別物っていうだけ。

ということで、まとめ

本を出版できるような人は、努力できる範囲が広くてしかも本まで出せる成果を出せたってこと。

その本に書いてある努力は、その著者の感覚。
合う合わないが出てしまいます。

このことを分かった上で…

  1. 努力できることを探す

  2. 努力できることを見つけたら、成功できるか見極める

  3. できると思ったら継続

  4. 成功するか、失敗とするか

  5. 軌道修正する

  6. 成功するか、失敗とするか

  7.  1.に戻る

これを繰り返すしかないかな。

本に書いてあることは事実で正しいんだろうけど、ぼくに合ってるかはやってみないとわからないから。

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