「燃えよ剣」(司馬遼太郎著、新潮文庫)

 石田三成と徳川家康の攻防を、三成の側から描いた歴史大作「関ケ原」を中学生の時に読んだ。以来、「司馬遼太郎」の名前は常に脳裏にあったと思うのだが、なぜかその後は司馬作品を全く読まないままに長い年月が過ぎ去ってしまった。

 大御所過ぎて二の足を踏んだのかもしれない。

 2021年になり、書棚の一角に司馬作品が少々並んでいることに今更ながら気づいて、ようやく手に取ってみる気持ちが湧いてきた。新潮文庫の「関ケ原」を再読し、続編とも言うべき「城塞」と読み進み、そうして「燃えよ剣」にたどり着いた。今回の書評は「燃えよ剣」にするとして、再読した「関ケ原」と初見の「城塞」はまた別の機会に回すことにしよう。

 ところで、どういう偶然か、2021年の新作映画に「燃えよ剣」があるということを知ったのは、本書を読み終えてからである。映画の話を知ってから、原作本を読み始めたわけではないのだ。だからどうしたというわけでもないが、似たような例が以前にも何度かあり、不思議な縁があるものだなといつも思う。今でもはっきり覚えているのは、

 「暗殺者」(ロバート・ラドラム著)を読み終えたら、マット・デーモン主演の映画「ボーン・アイデンティティー」(2002年)が登場

 暇を持て余して古本屋でめぼしいものを漁っていた頃の話だ。「暗殺者」というタイトルはいかにもな感じがしてどうかなぁと思ったものだが、読んでみてハマった。こういう作品が読みたかったんだ!と思わせる作品だと思った。

 いきなり話が逸れたが、本書「燃えよ剣」も、こういう作品が読みたかったんだ!と思わせる作品である。

 さて、私は個人的に、小さいころから会津の戊辰戦争の話に触れる機会があった。触れる機会があったと言っても、生き残った人の口伝を聞いたとかではなく、親戚の言葉の端々に「会津」とか「戊辰戦争」とかの話が出てきたというくらいなのだが、それでもいろいろな場面で戊辰戦争の話を聞き、わりと身近に感じていたものである。

 いずれにせよ、会津があり、戊辰戦争があり、その前哨戦(?)とでもいうべき鳥羽伏見の戦いがあり、自然、京都守護職に就いていた会津藩主を支える新選組や、箱館五稜郭まで戦い続けた土方歳三の話などは、大いに興味のあるところであった。

 しかし、どこで間違えたのか、勘違いしたのか、土方歳三という人物について私は、鬼の副長というより、いつも笑顔の絶えないお人好しみたいな人物として思い描いていたようであった。そのせいか、史実に近い人物造形の土方歳三が登場する時代劇などを観ても、なんとなくしっくりこない感じがつい最近までしていた。なんともおかしな紆余曲折があったものである。妙な話だが、山本耕史演じる土方歳三には目を見開かされた感がある。

 さて、前置きが長くなったが、本作の序盤は言うまでも無く、土方や近藤の出身地である武州多摩地域を舞台にした話である。

 ここがまた個人的に面白いと感じる部分で、というのも私が働き始めてまず最初に住み始めた地域がこの多摩エリアなのである(個人的な話ばかりで恐縮だが…)。太平記の中の分倍河原の合戦に触れている箇所などを読むと、思いっきりローカルな話ではないかと思う。分倍河原には仕事でよく行ったものだ。

 ともかく、多摩エリアに住んでいた頃の若かりし自分を振り返ってみると、新選組の剣術として有名な天然理心流の看板などを道端で見つけたことがあったのを覚えている。「多摩と言えば天然理心流」というのは極端だが、そういう雰囲気はあった気がする。

 しかし、そもそも、新選組の名が知られるようになる以前、土方たちが多摩にいたころの天然理心流などは、いくつかある田舎剣法のひとつくらいの存在感でしかなかったようである。天然理心流のココが凄い!といった現代の話は、新選組によって有名になった後だからそう言われるだけ、という感じがする。

 文久二年(1862年)、長崎に入国した外国船から、ハシカが上陸した。これが日本国内でも蔓延し、その猛威は当然のごとく江戸にも達した。その影響で、近藤が主催する道場、試衛館の門人は激減し、道場の経営は怪しくなる。いわゆる食いっぱぐれである。今のコロナを彷彿とさせる情勢だ。当時は道場経営一本で食っている人たちがかなりいたであろうから、いま以上に深刻だったろう。リモートワークというわけにはもちろんいかない。

 このハシカ問題がなかったら、ひょっとすると、近藤たちが新選組を結成することも無かったかもしれない。というのも、ハシカの流行で門人が減ったせいで、近藤たちはひと思いに道場をたたんで浪士組に参加することを決断したからである。思い切ったものだ。

 さて、道場をたたみ、浪士組に参加していざ京都へ、というわけだが、この一大決心にあたり、土方や近藤たちの求めたものがいかにもというか、大したものだなと感心してしまうのが、刀。

 土方も近藤も当時は全くの無名。しかも、侍にあこがれる田舎の百姓のせがれに過ぎない。さらに、経営が厳しくなって道場をたたむくらいなのだからそもそもカネが無い。そういう彼らが、このタイミングで、大名が持つような業物(わざもの)を買おうというのである。

 現代の視点では、「近藤の愛刀は虎徹、土方は和泉守兼定だったらしい」などと言われればもっともな話のように聞こえるが、それは現代では彼らが超有名人になっているからそう思えるだけで、彼らがその刀を買ったときのことを考えるなら、全くの分不相応な買い物と思われても不思議ではないだろう。この点、本作はあくまで司馬遼太郎の小説。史実と異なる部分もあるようなので、すべて字義通りに受け取るのはどうかとしても、大名が持つような業物はやはり分不相応な買い物だったろうなと思う。

 ところで、この新選組という組織を考えるたびに面白いなと感じるのは、誕生に至る経緯やその後の流れである。

 まず、幕府の官費による浪士組結成。近藤らは道場を閉じて参加するが、この時点では近藤一派は全員が平隊士だったのである。ところが、浪士組は結成後すぐに清川八郎らの「裏切り」により路線変更するため、近藤らは芹沢鴨の一派と組んで浪士組と早々に決別し、芹沢のコネをうまく使って会津藩お抱えの新部隊として新選組を結成。しかし、芹沢一派の横暴がエスカレートしたため、近藤らは会津藩の内諾を得て芹沢らを実力で排除。その後は、近藤・土方を中心として「同郷同流」の思惑で新選組は運営されていく。やがて、結成以来の同士だが土方の運営方針を快く思わない藤堂平助が、新選組の方針に賛同しているわけでもない伊東甲子太郎一派を、主に政治的な思惑をもって新選組に招くものの、この藤堂や伊東一派も排除されていく。

 現代では到底考えられないが、当時の彼らのやり方は基本的に「死」をもって決せられていくので、本作に登場する多くの人物が次々に死んでいく。物事が極めてシビアに動いている。随所に登場する様々な決断が、生死の別に直結しているようだ。その決断の次第によっては、近藤や土方は浪士組の平隊士連中に埋もれたまま終わっていたかもしれないし、特殊なコネを持つ芹沢一派と同宿にならなければ、浪士組との決別や新選組結成にはつながらなかったかもしれない。

 生死が紙一重で存在しているような状況を、綱渡りの要領で渡っていくというか。いや、綱渡りそれ自体が生死紙一重だから、この表現はちょっとおかしいか…。

 ともかく、新選組は戦況の推移と共に京都、大阪、江戸、甲府、流山、会津へと戦い続け、新選組をただひたすら強くすることを考えていた土方とごく少数の者だけが、五稜郭まで転戦する。部隊の組織編成は変わっても、土方が自分たちのグループを最後まで「新選組」と呼んでいる姿には悲哀すら覚える。

 かの斎藤一は、本作では土方と共に五稜郭まで行ったことになっているが、残念ながら史実は異なるらしい。他にも史実と異なる部分もあるのだろうが、一気に読み終えてしまい、感慨もひとしおである。


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