「逮捕されるまで」(市橋達也著、幻冬舎刊)

 2007年3月26日午後9時過ぎ、千葉県市川市、英会話講師リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件の捜査で訪れた千葉県警捜査員数人を振り切り、犯人と目された著者・市橋達也は夜の街に消えた。

 逃走用の荷物を用意する暇もなく、着の身着のまま、しかも裸足という状態で逃げたことから、すぐに逮捕されるものとおそらく誰もが思ったことだろう。ところが著者はその後、2年7か月にわたって逃走を続ける。逮捕される直前まで、足取りはほとんどつかめていなかったとも言われる。本書は、著者本人が自らその2年7か月の逃亡生活について語ったものである。

 この事件、個人的にも非常によく覚えている。2000年に神奈川県逗子市で起きたルーシー・ブラックマンさん殺害事件を想起させるものがあったし、犯人である著者・市橋達也の逃走能力についてマスコミでも騒がれていたからだ。すぐに捕まりそうなのになかなか捕まらない犯人として印象的な事件だった。

 本書のような、殺人事件の犯人自らの告白本とでも言うべき本の出版については、出版すること自体がしばしば議論になる。

 当時、「裁判の前にこのような本が出版されることがなぜ許されているのか」と遺族が抗議していたことを覚えている。一般の多くの人にとっても様々な疑問があったように思う。何のために出版するのか、真実を語ると言いながら自己弁護をしたいだけではないのか、物言えぬ被害者に対し、犯人だけが自分の主張を本として出版し、世間に自己の主張を流布できる機会があるというのは不合理ではないか、遺族の気持ちを逆撫でしないか、印税はどうするつもりなのか、そのような方法で手に入れたカネを遺族が喜んで受け取ると思うのか、などなど。

 書かれていることが真実かどうかもわからない。ここでその是非善悪の議論に深入りするつもりは無い。ここではただ、本書には書かれていないが、本書の印税収入を著者が遺族に渡そうとしたところ拒否された、という話があることは記しておこう。

 「警察が踏み込んだら、30秒でドロンする」、本書の冒頭、著者・市橋達也は自宅を訪れた捜査員の前から逃げ出した時のことを思い出し、このように語っている。

 このセリフは、アル・パチーノとロバート・デニーロが共演して話題になった1995年の犯罪映画「ヒート」の中に登場する言葉だ。私生活を断ち切った孤独な犯罪プロフェッショナルが、彼を追う有能なベテラン刑事の前で自信をもって断言するこのセリフの場面は、映画を観たときも印象的だった。

 逃走しながらも著者は、当時付き合っていた女性のことを思い出し、「一緒に逃げて、最後は一緒に死んでくれないかな」などと語っており、衝動的な犯行に走った犯人が考えそうな、いかにも類型的、刹那的な発想を持っていたことを示している。

 やがて、「逆打ち」と呼ばれる、八十八か所を逆に回って死者を蘇らせる話を基にした小説「死国」から着想を得て、四国へ渡ってお遍路のような旅を始める。

 この部分は、お遍路として巡ることで贖罪の意味があるとも受け取れるし、お遍路に紛れれば怪しまれにくいという発想だったとも受け取れる。とはいえ、当時の著者は「死国」で描かれている「逆打ち」の名前はおろか、やり方も正確に把握しておらず、きちんとした考えを持って八十八か所巡りをしていたというわけでもないようだ。

 途中、制服警察官と不意に出くわし、じっと見られたが、下を見ずに顔を上げて通り過ぎたという場面が描かれている。もしこのとき下を見ていたら、間違いなく職務質問されていたに違いない。警察官はそのように訓練されているからだ。著者がそのことを認識していたかどうかについて何も書かれていないが、逮捕につながりかねないこうした微妙な瞬間に際して、彼はしばしばうまく切り抜けている。最後にはもちろん捕まったのだが、結果として、長期間の逃亡生活が可能となった。

 沖縄の島でのサバイバル生活は、2回目の試みから本格的になっていく。考えることはいつも食べることばかりで、どのように食材を手に入れたかという記述が、比較的詳細に書かれている。この部分だけでもある種のサバイバル読本として読めるのではないかと思えるくらいだ。しかし、この島での生活を半永久的に続けるという意味でのサバイバルではなく、大阪方面での日雇い生活と沖縄の島でのサバイバル生活という、2つの生活サイクルが出来上がっていくことになる。

 日雇い生活のなかで見たテレビ番組で、外国人の霊能力者が著者の現在の逃亡生活について語っている場面が興味深い。こういう霊能力者が語る内容は本当に当たっているのかと、個人的にいつも思っていたからだ。まるで当たっていないようである。別の番組では、女装をしていると言われたり、同じところに3か月とはいないはずだと言われていたり、ゲイの街で男に身体を売って稼いでいるとか言われたりする。それらは事実ではないというのが著者の主張で、どれが真実かはわからないが、テレビ番組とは実にいい加減なものだという印象を受ける。しかし視聴者である我々には、真実どうこうというより、こうした番組のエンターテイメント性くらいにしか興味が無いのかもしれない。

 著者が経験したいろいろな仕事の中で、ガードマン姿で赤ハタを振りながら工事現場周りの交通整理をした、という部分がある。これはいわゆる交通誘導の仕事と思われるが、この手の仕事をするには正確には法律上の研修がいろいろとあるはずで、法律上義務付けられた名簿への登録に際しても公的な書類が必要なはずである。つまり、会社側が法律上必要な手続きをきちんと踏んでいたら、本名がバレるか、バレそうになって逃げることでかえって怪しまれるか、していたに違いなく、著者の話が事実なら、こういう細かい落ち度や過失の積み重ねが、逃亡者を放置する結果になるということのようである。

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