人は無自覚に人間を中心にして世界を捉えている 「人間中心主義」
人間中心主義
人間中心主義(Anthropocentrism)は
認知バイアスというよりは、人文的なバイアス。人間もまた世界にある存在のひとつに過ぎないのにも関わらず、自分たち人間を中心に世界を捉えてしまう傾向です。おもに環境倫理学の観点から生まれたもので、環境倫理学(environmental ethics)とは地球環境問題に対して倫理学的観点から考察する学問です。バイアスもバイアスだと指摘する思想も人文的。
人間中心主義とは、世界を人間の価値観や経験に基づいて解釈したり、みなしたりする考え方で、 認知心理学において、人間中心主義を「人間が他の生物とは異なるというバイアス」として捉えています。
ユダヤ教とキリスト教由来の部分
デヴィッド・スズキ博士(Dr. David Suzuki)は、1985年に放送されたCBCのシリーズ番組「A Planet For the Taking」で、旧約聖書にある人間中心主義が、人間の人間以外の動物に対する見方をどのように形成したかを説明しています。
創世記における「支配(domination)」という言葉は、人間中心主義的な世界観を正当化するために使用されてきましたが、最近ではヘブライ語からの誤訳かもしれないと見て、議論を呼んでいます。しかし、聖書は実際には、創造主としての神にすべての重要性を置いており、人間は創造の一部分に過ぎないという議論がなされることもあります。つまり聖書は、人間を他の動物と分けて捉える思想を形成すると同時に、人間も動物も創造主に対して下位の存在、被創造体という思想を持つものでもあるということです。
儒教の人間中心主義
孟子の人間と動物の区別では、人間だけが道徳的価値を発達させるとしています。 五経の一つである『書紀』でも、人間が最も優れているとしています。 これらの教えは、道徳的価値の発達に焦点を当てているのですが、暗に人間が他の動物よりも優れているということも示唆しています。
認知心理学における人間中心主義
認知心理学では、人間中心的思考という用語は「見慣れない生物やプロセスを人間との類推によって推論する傾向」と定義されています。類推による推論は、魅力的な思考戦略であり、人間であるという自身の経験を他の生物システムに適用したくなることもあります。 例えば、死は一般的に好ましくないものとされているため、細胞レベルや自然界の他の場所での死も同様に好ましくないという誤解を生みやすい。しかし実際には、プログラムされた細胞死は必須の生理現象であり、生態系も死に依存しています。つまりわたしたち人間は、死にたくないために、死というものを否定的なこととして捉えがちですが、実際には必要な現象であり、エコシステムも死を必須の現象としているのに、それに気づきにくくなっているということです。
また逆に、人間中心的思考によって、わたしたちは、昆虫のように人間とは全く異なる生物は、人間にある生殖や血液循環といった特性を持っていないと誤解したりします。
人間中心的な考え方は、主に幼児(10歳まで)を対象に、発達心理学者によって研究されてきました。6歳の子どもは、(日本では)ウサギやバッタ、チューリップなど、見慣れない種に人間の特徴を見出すことが分かっています。それ以降の年齢での持続性については比較的知られていませんが、このような人間例外主義的思考パターンは、生物学の教育が進んでいる学生であっても、少なくとも成人後まで続く可能性があるという研究結果があります。
一般的に、農村環境で育った子どものほうが、異なる種の動物や植物により精通しているため、都市部の子どもよりも人間中心的思考を用いない傾向があるようです。アメリカ大陸のいくつかの先住民の子どもを対象とした研究では、人間中心的思考をほとんど用いないことがわかっています。アニミズムに近づくと人間中心的思考が減るようです。
文学と人間中心主義
多くの文学やフィクションのなかで、人間中心主義が見られますが、その一方で、反人間中心主義も見られます。マーク・トウェインは『地球からの手紙(Letters from the Earth)』(1909年頃執筆、1962年出版)の中で、人間至上主義を批判しています。
『猿の惑星』では、猿が社会の支配種になることと人間の没落のアナロジーに焦点を合わせています。1968年の映画では、人間のテイラーが「その臭い足をどけろ、この汚れた猿め!(Take your stinking paws off me, you damn dirty ape!)」と発言していますが、2001年の映画では、アッター(ゴリラ)が「その臭い手をどけろ、この汚れた人間め!(Take your stinking hands off me, you damn dirty human!)」と発言しています。これは、類人猿が支配的な種になることで、より人間に近くなるという暗示と結びついています(擬人化)。
ジョージ・オーウェルの小説『動物農場』にも、この人間中心主義というテーマがあります。もともと動物たちは、「二本足で動くものは敵である」、「四本足で動くもの、翼のあるものは友である」、「すべての動物は平等である」といった「七つの戒め」に見られるように、人間からの解放と動物の平等を目論んでいましたが、後に豚たちは「すべての動物は平等だが、他の動物よりも平等なものもいる」、「四本足はいいが、二本足はもっといい」といった言葉で戒めも簡略化してしまっています。
認知バイアス
認知バイアスとは進化の過程で得た武器のバグの部分。紹介した認知バイアスは、こちらの記事で一覧にしています。
参照
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