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劇場に宿る。

※2014年12月22日にかいたもの。Fccebookのノート機能が使えなくなったのでサルベージしてこちらに残す。

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通勤電車で、片桐はいりの「もぎりよ今夜も有難う」を読んでいる。

自らを「映画館出身です!」という、映画館のもぎり嬢出身の彼女が、当時の思い出を描いたエッセイ。

わたしも遠い昔に、新宿歌舞伎町のコマ劇場の地下、コマ東宝という映画館を併設した劇場・シアターアプルで働いていたことがある。わたしがいたのは劇場付きの制作会社で、階段下にむりやりスペースを作った地下の窓もない狭い事務所に、社長もプロデューサーも、新人の私たちもみんな押し込まれて働いていた。

その事務所には、映画館と劇場の案内さん(私のいたところでは、もぎりや劇場案内のことをこう呼んでいた)がタイムカードを押しに来て、一言ふたことおしゃべりして、劇場へ出て行く。わたしは目から涙どころか火も出て、口から泡吹きそうなくらい先輩によく叱り飛ばされていたので、券売所の前を通る時にこっそり優しい言葉をかけてもらって気を取り直したりしたのものだ。

このエッセイを読むと、そんな制服姿の優しい案内さんのことや、邦画作品の上映が主でわりとのどかなコマ東宝が「踊る大捜査線」の封切りに限っては映画館の外までものすごい行列ができてお客さんの整理に駆り出されたこと、「スワロウテイル」の何度でも見たいシーンのためにその数分間だけ映画館にこっそり忍んで入り、後ろの壁に張り付いていたことを思い出す。

また当時「リング」「らせん」が大ヒット中で、映画館と劇場の間には貞子の眼がどアップの大きな看板が飾ってあった。遅くまで仕事するのが当たり前の業界だったので、ひとり会社に残った日などは、ただでさえ貞子の眼が怖くて怖くて仕方なかったのに、さらに誰かが劇場の入り口ドアに案内さんの幽霊がいるらしいという噂を流してくれたものだから、怖さはさらに倍増。

そんなわたしに追い打ちをかけるように、その事務所内にはトイレがなく、毎度毎度シアター・アプルのトイレに行かなくてはならない。

貞子が迫る看板を横目で見ながら劇場の大階段をひとり駆け下りると、赤い壁と臙脂色のビロード絨毯が敷かれた薄暗いロビー、灯りにほんのり浮かび上がる金に縁取られた劇場ドアはいかにもな雰囲気である。「案内さんの幽霊出ませんように!」と唱えトイレに駆け込むと、そこには10枚以上並んだ三面鏡に映る間抜けな顔した10人の私がこちらを見ている・・・。

これが、深夜の2時のこと。今でも、鮮明に様子が思い出されるのだから、本当に怖かったんだろうなぁ。とはいえなんだか記憶が曖昧になっているところもあるので、もしかしたら実は案内さんの幽霊に遭遇してて、それで記憶が抜けてるのかもかもしれないなぁと、最近は思ったりもする(笑)

その他にも、コマ劇場の奈落と繋がっていたアプルの楽屋廊下で女郎に扮した女優さんが駆け抜ける姿とすれ違い腰抜かしそうになったこと、くたびれ果てて夜中の3時すぎに劇場の外に出ると歌舞伎町の噴水広場で殴られ屋が絶賛営業中で「あーみんな頑張って働いてんだなぁ」と意味不明に元気付けられたこと、コマ劇場の楽屋入り口の軒下に住み着いていたホームレスのおじさんが、無断駐車しようとする車を「ダメだよぉ〜ここ楽屋口だよぉ〜」と追い払ってくれていたこと、アプルの前にいつも立っていたオールバック&黒のロングコートと革手袋の歌舞伎町案内人の中国人のことなどなどなど。

たった2年足らずのことだったけど、鮮烈な日々だった。片桐はいりのように、「劇場出身です!」とはおこがましくて言えないが、「劇場の軒先で居候見習いしてました」くらいは言えるかな。

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そんなコマ劇場とアプルも取り壊されて久しく、新しい開発の真っ最中。青山劇場も閉館が決まったし、ほかにもちらほら思い出の劇場が閉まるらしいとの話も聞く。

劇場には、魂が宿っている。劇場を根城のようにして穴倉に潜ってもくもくと働くスタッフたち、明るい舞台でしのぎを削る演者たち、歯を食いしばり稼いだお金で買ったチケットを握りしめ、日々の思いを胸いっぱいに抱えながら劇場に足を運ぶお客さんたち、そんな人たちの魂が宿っている。きっとわたしの生き霊も、まだあそこにいるだろう。

そこに宿る魂が亡霊にならないように。そしてまた訪れる新しい魂を救ってくれるように。そんな場所へ生まれ変わって欲しいと、劇場の居候見習いとしては願わずにはいられないのである。

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