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ふくしの裏側

私の「書く」モチベーションはいつだって「怒りと諦め」が原点だった。例えば、こどもの保育園活動(略して保活)の戦に敗れたとき。復帰がせまっているのに保育園の預け先がなく絶望に打ちひしがれていたとき。そのやるせない雄叫びを「日本しねとは思わないが日本なんで?とは思う」とブログに書き連ねた。その流れでワーママブログを書き続けた。いま思うとキラキラしたポジティブにポエっている自己陶酔な内容に偏っていた。そんななか詳細は端折るが虐待通告をされた。キラポエブログで虐待通報されたなんて到底書けなかった。私のプライドによりブレーキがかかったのだ。そして媒体をかえてはじめたのがnote。このときも原点は怒りと諦めだった。
虐待通報されて、警察官がぞろぞろ家にあがりこみ、わたしの子育てを全否定された瞬間、そのやるせない思いを綴った。今のわたしには自分の制限をはずすことにブレーキがかかっている。「自己開示」がしたいのにできない。

書きたいことはある。ふくしの底辺のリアルをわたしなりの視点で書きたい。貧困、DV、虐待、障害、暴力、依存・・・邪気にまみれた世界が現実にある。この世の中は表面的なつくろいで満ちている。表面を装ったとて人間の根底にあるのは狂気な世界なのだ。この世界の底辺と上流は紙一重なのだ。でもおおくの人は底辺と上流が紙一重であることには気づいていない平和な日々が流れている。

わたしは書きたい。書きたいけれど守秘義務という謎の正義感が邪魔する。
匿名だからこそできるはずなのに向こう側にいる顔が浮かんでいしまいセーブしてしまう。だからきっと中途半端な記事になることがわかっている。
きっと真の自己開示ができるまでわたしの発信は面白さが失せる。
でもフィクションを盾に殻を破って書き綴ってみようと思う。

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