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1曲目『翼あるもの』(昭和53年 1978)甲斐バンド

 時系列ではアップしない、と言っておきながらですが、1曲目として、私史の中で、一番初めに好きなった邦楽アーティストの曲を取り上げます。

 甲斐バンドのデビュー時のオリジナルメンバーの4人全員が九州の出身。1974年にデビュー。1986年に解散した後、何回かの復活、再解散、休業等を経て、現在は、甲斐よしひろ(Vo.)、松藤英男(Dr.)、田中一郎(G)の3人がライブ活動やアルバム制作を行っています。
 最初のヒットが、1975年の『裏切りの街角』。そして、1979年の『HERO(ヒーローになる時、それは今)』が初のオリコン1位。以下、略します。

 私は、この『HERO~』が甲斐バンドの曲との出会いなので、ミーハーもいいところだったのですが、甲斐よしひろとの出会いは、それよりも1年前の1978年のNHKラジオ第一放送の番組「若いこだま」時代になります。「若いこだま」の他の曜日のパーソナリティには、荒井由実、桃井かおりなどがいましたが、この甲斐よしひろという男の番組は、およそ、NHKとは思えないほどの型破りで、荒々しく、挑発的でした。それは、第一放送が周波数の改定を機に移ったNHK-FMの「サウンドストリート」という番組でもずっとそうでした。
 私は、甲斐バンドの曲に惚れる前に、すでに、甲斐よしひろに惚れていたのでした。
 当時のシンガーソングライティングの世の中は、かぐや姫、吉田拓郎、アリスの全盛期でしたが、私は友達の方々《ほうぼう》に甲斐バンドと甲斐よしひろを只一人、宣伝しまくっていました(笑)
 そして、「サウンドストリート」のある毎週水曜日の夜10時には、勉強やらなんやらをすべてやめて、ラジカセを勉強机に置き、黒いスピーカーを見つめながら甲斐よしひろの発する言葉や番組で流れる曲に耳を澄ませました。まあ、人生初のドはまりでした。

 今回、取り上げる『翼あるもの』は、1978年の5作目のアルバム「誘惑」(私は、このアルバムが彼らの中で最高傑作のアルバムだと思っています)に収められている曲で、シングルカットされていないながらも、ライブでは終盤、もしくは、アンコールで演奏される甲斐バンドの代表曲です。おそらく、甲斐バンドファンにこの曲を嫌いな人は居ないと思います
 今聴いても、(なぜ、甲斐よしひろがこの名曲をソングライティングできたのか?)と疑問に思うほど、甲斐バンドの曲たちの中では異質な感じが私はします。歌詞の方は、まさに、甲斐よしひろ節なのですが、曲の方は、「降ってきた」としか思えないほどの良さです。
 だいぶ後になってからですが、甲斐バンドの曲の作詞・作曲で、英米の曲のパクりとみられる(そう思われても仕方ないレベルで)ものが少なくない数、あることがわかりました。作曲だけならよくある話ですが、情けないことに作詞もです。誰がそっぽを向いても自分だけは…という強固なオリジナルティを持つ甲斐よしひろに惹かれた私ですので、わかったときにはかなりの残念さがありました。
 しかし、この曲は、今のところ、オリジナルです(笑)
 男と女を語る真骨頂の甲斐よしひろ節と、それに、限りなくマッチした曲との融合である『翼あるもの』をお聴きください。

♪『翼あるもの』甲斐バンド(武道館ライブ1980年より)
 作詞・作曲:甲斐よしひろ
https://www.youtube.com/watch?v=HiXpXum438Q

 本当は、あのライブの『翼あるもの』がいい…と思っていたのがあったのですが、削除されていましたので、私が、初めて彼らのライブを観た1980年のツアーのものをあげます。
 この日は、ジョン・レノンが撃たれて亡くなった日でありまして、そんなこんなのエピソード映像が長く続いた後に始まります。