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中1の時に家を火事でなくした話

私は中学校1年生の2月に実家を火災でなくしました。今回はチアリーディングと関係がなくなってしまって申し訳ないのですが、その時のことについてお話しします。

この後からは火災の詳細が描写されます。災害などにトラウマを抱えていたり、そういった話題が苦手だったりする方は読むのをお控えください。

ちなみにこの火災での死傷者はおりません。


当時からそんなにショックを受けていなかった(後述)ので、なるべくポジティブに紹介できればと思います!
とはいえ、今の私の人格形成に影響は与えていると思うので、だからあの時すずか先生こんなこと言ってたんだな、と伏線回収になったりするかもしれません。

大まかな流れと原因

まず、当時の実家は元々父方の祖父母が住んでいたところに同居していた形で、築年数がかなり経っていました。詳しく何十年経っていたかはわかりませんが、砂でできた壁があったり、階段がすごく急であったり、今はテレビなどでしかみれないレベルの古さです。

衛生面の問題もあるかもなのですが、
暖かい時期はゴキブリと、寒い時期はネズミともに暮らしていました。台所にはよく猫が入り、夕飯を盗み食いしてましたね。

謎に玄関から出入りはせず、一つの部屋の窓を玄関として使ってました。
爺ちゃんの趣味?でDIYされたものがたくさん家に設置されていて、私は友達を家に呼ぶのがコンプレックスでした。爺ちゃんごめんよ。

そんな古い家は現代の家電に耐えられず、ブレーカーはしょっちゅう落ちていました。停電なんて慣れっこです。

火災当日。
習い事を辞めて、体操部に転部したての私はテスト期間という暇を持て余していました。勉強しなさい。

当時、私は13歳、弟は10歳、家には要介護のおばあちゃんがいました。
父と母は共働きで帰りは夕方以降、爺ちゃんはその前の年に亡くなっています。おばあちゃんがデイサービスから帰宅したあとは、私たち姉弟で介護していました。脳梗塞の後遺症で下半身、左半身はほぼ動きません。要介護認定は最高の5という状態でした。

そんな3人で過ごしていた16時ごろ、おばあちゃんは暖かい家電がある1階で介護用イスに座り、テレビを見ていました。

私たち姉弟は2階で任天堂DS(初代のやつ!懐かしすぎ)で各々ゲームをしたり、ゴロゴロしていました。2階は暖房をつけていないものの、1階はおばあちゃんのために、電気ストーブ、暖房などフル稼働の状態です。

私は用を足しに、一階のトイレへ向かいます。手を洗う際、洗面台の照明をつけた瞬間、ブレーカーが落ちました。いつも通りのことです。

当時140センチちょっとしかない私はブレーカーの位置に手が届くはずもないので、弟を呼び、肩車をしてブレーカーを上げさせました。弟はどれを触ったらいいかわからず、私の頭上でプチパニックを起こしていました。その後、イライラしてちょっと姉弟喧嘩をした記憶があります笑

ブレーカーを上げた後、弟はゲームをしに、2階へ戻ります。私はおばあちゃんの様子を見に行きました。

弟がなぜか2階から戻ってきました。そして私に一言、

「ベットが燃えている」

はあ?なにが?何言ってんの?が最初の感想ですが、顔色からして嘘をついているようには思えない。急いで2階に駆け上がると両親の寝室が煙で包まれていました。

水!

頭はそのことのみです。バケツもないので、大きめのどんぶりの食器に水を入れて弟と1〜2階を2往復しました。途中、煙で苦しくなって2階の廊下の窓を開けました。

火の勢いはとまりません。

おばあちゃんに相談しなきゃ!

幸いにも出火元は2階です。おばあちゃんは救急に電話したほうがいいとアドバイスをくれました。

当時、固定電話が1階にありました。まず父親に連絡しました。救急へ電話しろとおばあちゃんにアドバイスをもらったのに、何をしているんでしょうか。そうです、パニックですね。

父親には繋がらず、それもそのはず、ちょうど帰宅していたのです。すぐに車から降り、庭のホースで外から水をかけていました。ホースじゃ全然ダメだ、と言っていたのを覚えています。

私は弟と協力し、おばあちゃんを車椅子に移し、外の離れた場所へ車椅子を動かします。

私は隣の幼馴染の家に行き、電話を借り、救急へ連絡します。その幼馴染は近所の人へ逃げるように伝えに行ってくれました。

その前に近所の方が消防車を呼んでくれていたようで、すぐに消防車が駆けつけてくれました。

火は消し止められたものの、2階部分は全て燃え、1階は鎮火する際の水、炭、などでぐちゃぐちゃになりました。


原因は漏電です。

ベットの下にコンセントがあり、そこに埃が溜まっていて引火したのではないかということでした。

ブレーカーを上げた時にコンセントから火花がでたのだと思います。

幸いにもケガ人はなし。

あの時助けてくださった皆様


その後、おばあちゃんは老人ホームの宿泊施設へ、私たち家族は公民館にて寝泊まりをしました。

数日後、父親の友人がアパートを貸してくださり、そちらへ移り始めました。

まず、火災当日、通報してくださった近所の方、ありがとうございました。

火を消してくださった消防士の皆さん、ありがとうございました。

「火事が起きています!安全なところへ避難してください!」と大声で叫びながら走り回ってくれた幼馴染。あの時、幼馴染の声が大きすぎて、救急の電話のやり取りが聞こえなくなりました。うるさい!って言っちゃってごめん。永遠に友達。感謝。好き!次はいつ会えるんだね??

そんな幼馴染一家。心配してくれてたくさん声をかけてくれました。物資もたくさん届けてくれました。ありがとうございました。

公民館を貸してくださった管理の方、おにぎりをたくさん握って持ってきてくれた近所の方、公民館まで来てくれた担任の先生、ありがとうございました。

アパートを貸してくださった父の友人の方、ありがとうございました。

煙で壁が真っ黒になってしまったのに、弁償しなくてよいと言ってくださったお隣のお家の方、ありがとうございました。

理科の授業で、阪神大震災の映像が流れることを事前に私に話してくれて、心がつらくないか聞いてくださった理科の先生、ありがとうございました。

募金を集めてくれて、届けてくれた中学校の関係者のみなさん、元習い事の関係者の皆さん、ありがとうございました。

消防車の水でぐっちゃぐちゃになった本を受け取ってくれた司書の先生、ありがとうございました。

てっきり、新しいものを買ってくれるのかと思ったら後日、しわっしわの本が図書室に置いてあって申し訳なくなりました。本当にすみません。

ここにあげただけでなく、同級生や先生方には気を遣わせてしまうことが多く、本当に申し訳なかったです。当時、気持ち的には落ち着いていたし、実際めちゃくちゃショックだったわけではないので、明るく振る舞っていました。今思えばそれが逆に痛々しく見えていたのかもしれません。本当に申し訳なかったです。

そんなにショックじゃなかったワケ

ぶっちゃけ、家に思い入れがなかったんですね。

正直、友達呼ぶのも恥ずかしいし、家庭訪問で先生が来るのも苦しいくらい古かったので……

ケガ人もおらず、1階のものなどは使えるものも残っていました。そういったこともショックの軽減に繋がったのかと思います。

だからといって燃えてよかったと思うわけではなく、できれば火災には遭いたくなかったです。当たり前ですけど。

さまざまな方にご迷惑をおかけしてしまったこと、本当に申し訳なく思っています。

ただ、その後の警察、消防署での聞き取りは正直中学生の私にはしんどかったです。警察の方はプロです。疑うのが仕事です。

そして、あの時の3人の中で話ができるのは私のみ。何度も何度も同じことを聞かれ、火をつけたのではないかと思われているのがすごく嫌でした。

大人になった今だったら、それが仕事だとわかっているのですが、

当時はまだ子どもだったので、先生や親以外の大人に淡々と事情聴取されるのは苦しかったです。

火災にならないようにするために

火災後〜高校生までの間は

コンセントの掃除をしっかりすること!だと思ってました。確かにそれも大切ですし、無駄ではないと思います。

子どもを卒業する高校後半ころからは

時代や環境に合った家に住むことが一番の予防だと思っています。

後者に関しては中学生の私にできることではないので、親や祖父母を責めることになってしまいますが

そもそも、ブレーカーがしょっちゅう落ちてしまう状態ならば、お家のメンテナンス、リフォームや建て替えが必要です。

私もここ1年で家を持ちましたが、今後メンテナンスが必要であればできるように費用を準備しています。そして、コンセント周りには物を置きません。使わないコンセントには、プラスチックの栓をしています。

火災の後遺症

当時の私は全然へーきじゃーんと思っていたのですが、徐々にトラウマになっている事象がいくつかあることに気づきます。

○火、炎全般が怖い

とくにみんなで楽しまなきゃならない場面で、火がでてきます。花火、キャンプファイヤー、BBQ、蚊取り線香、バースデーケーキ、提灯、アロマキャンドルなどです。だいぶマシになったのですが、未だに怖いです。ガスコンロの火は訓練して慣らしていきました。ガスバーナーはまだめちゃくちゃストレスを感じながら使います。ライター、マッチは気合いを入れないと使えません。誰かに頼っていい場面では必ず代わってもらいます。

○洗面台の照明をつけるのが怖い

新しいお家に住んでも時々、恐ろしくなります。またこのスイッチでブレーカーが落ちて火が出るんじゃないかとたまに、思います。火災から15年経ち、これはだいぶ克服してきたので、もう少しで消失しそうです。

○燃えている、焦げている匂いでフラッシュバックする

どんな記憶もそうですけど、匂いって鮮明に当時を思い出させますよね。うちの場合は2階のみの半焼だったので、1階にあった制服、体操服などは洗ってまた着ていました。どうしても焦げついた匂いがとれないんですね。その時の生活を思い出します。

今はもう大丈夫になった後遺症

○火災の映像や、災害の映像

高校生くらいまではカリブのアトラクションの火事の場面でもめちゃくちゃ怖かったです。今は大丈夫です。楽しく乗ります!

○自分は贅沢をしてはいけないと思い込む病

これは半年くらいで治ったのですが、財産を全て失ったのでは?と勘違いしており、外食に行ったり遊びに行ったりしてるのがバレたらどうしようと思ってました。あいつ火事になってお見舞い金もらったくせに、外でメシ食ってる!と言われるような気がしていました。

家を無くしたことで得たこと

ほぼないです。火事にはならない方がいいです。

ただいくつか得たこともあります

○災害などで家をなくした人の気持ちがわかる

○安全性に疑いを持ってリスクマネージメントができる

○大抵のトラブルは大したことなくなる

さいごに

ここまで読んでくださってありがとうございました!なるべくポジティブに!と思っていたのですが、少々ショッキングな描写もあったかもしれません。申し訳ございません。

火災には遭わない方がいいのはもちろんですが、だからこそ今の考えを持った私がいるのも確かです。世の中には、いろんな経験をしている人間がたくさんいます。

こうやって発信することは恥ずかしいことだと思っていた時期もありますが、発信することで何かの役に立つことがあるかもしれない。これを読んだらベットの下にコンセントがないか、家中のコンセントに埃が溜まってないか、確認してね!!

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