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noteを始めてみる

noteを始めてみることにした。

noteで書きたいことがある

noteを始める理由は、要約すると以下になる。

  1. 文章を書いて発信したい

  2. その文章を収入に繋げたい

2は人によるだろうけど、1についてはnoteをやっている人なら皆そうだろう。

ただ、僕は既にKindle本やX(旧Twitter)でも文章での発信をしており、そこから収入も得ている(Xから直接の収入はないけど、Xで僕を知ってくれた方がKindle本を読んでいただけることがあるので、収入には繋がっている)。

Kindle
会社を辞めて生き方を変えることにした

X(旧Twitter)
@suzuhira_1

だから、noteまで始めて手広くやるよりも、KindleとXに集中して取り組んだほうがその中で読んでくれる人が増え、それに伴い収入も増えていくように思える。

リソースは有限だ。時間も気力も体力も有限であり、文章を書く行為はそれらリソースをけっこう必要とする。だから、あちこちで手広くやってリソースを分散させると全ての場所で中途半端になる可能性が高まる。一部の場所での活動のみに絞り込み、そこにリソースを集中させたほうが良いと思える。選択と集中というやつだ。選択と集中は大事であると実体験からも学んでいる。

では、「選択と集中は大事であると実体験からも学んでいる(キリッ)」とか言いながら、なぜ新しくnoteを始めてみるのかっていうと、本やXでは書けないような、僕の暮らしそのものを題材にしたゆるいエッセイ的な文章を書きたい欲求があるためだ。

近所の公園でピクニックをした話とか、家庭菜園を始めた話とか、川沿いでチェアリングをした話とか、そういうものを書きたい。あまつさえ、そんなゆるいエッセイを有料で販売して収入を得られるか試してみたい気持ちもある。

Kindle本やXでは書けない

そういうゆるいエッセイ的なものをKindle本やXで書き、それを収入に繋げることだってやり方次第では可能だろう。

でもKindle本の場合は「この1冊を通して表現したいテーマは何か?」なんてことを考えながら何万文字も書いていく必要がある。そういうことを考えながら「ゆるいエッセイ」を1冊の文章量になるまで書くという行為を僕にはイメージできない。僕がそのような本を書き始めたところで、途中で「人生とは何か」とか「生きる意味とは何か」みたいな話に脱線するに決まっている。

ならXで書くのはどうだろう。僕はわざわざ月額980円を払って140文字制限を解除している。なんと1万文字も書けるらしい。となると、僕がnoteで書こうと思っている「ゆるいエッセイ」はXでも十分に書ける。

でもそれは機能的には書けるというだけで、精神的には書けないのだ。僕がXで何かを書こうとすると、「週5日も働くことが常識化している現在の労働環境はおかしい」とか「会社員は自由を束縛されすぎるので、人間としてその働き方を辛く感じるのは当たり前である」とか「現代日本社会は生きる規範を与えてくれないので虚無になりやすい」とか、そういうことをつい書きたくなる。世の中に対して鬱憤を溜めてそうな人ばかりなTwitterというかXの空気に僕のひねくれた精神が呼応して、そうさせるのだと思う。

「今日は美味しいお味噌汁を作りました☺️」とだけポストしようとしてXで書き始めたはずなのに、ポストの終盤では「美味しいお味噌汁を自炊して食べられる事がいかに幸福であるのか」「そんな些細な幸福すら労働に忙しくて得られなかった会社員時代の自分の暮らしがいかに壊れていたのか」なんて話に展開されていく現象が頻繁に発生する。

つまり何を言いたいのかというと、Kindle本やXでの発信は既にやっており、機能的にはそこで「ゆるいエッセイ」だって書ける。でも精神的には書けない。じゃあnoteで書こう、ということだ。

はてなブログもやってるけど……

ここまでは言及しなかったけど、僕ははてなブログもやっている。なんならKindle本やXよりも先にはてなブログをやっている。しかもGoogleアドセンスで収入も得ている。

え、じゃあはてなブログで書けばいいじゃん。「ゆるいエッセイ」とやらを。ところで白状すると、そもそも「ゆるいエッセイ」なんて本当に僕に書けるとは思っていない。どうせ書いてる途中で話が陰気な方向に展開し、サラリーマン時代の暗い記憶を語ることになるだろう。でもその白状はここでは置いておく。書けることにして話を進める。

とにかく、はてなブログがあるんだから、そこで書けばいいじゃないか。

現状、はてなブログは140文字制限を解除したXでポストした1,000文字前後の内容をコピペするだけの場所と化している(最近はそれすらやっていない)。以前はブログのために3,000文字ぐらいはガッツリと書いていたのだけど、Xの140文字制限を金の力で解除して以降、それまでなら3,000文字でブログに書いていた内容を、1,000文字前後でXに書くようになった。そのほうが手軽だし多くの人の目にも触れるので。

冒頭に書いたような「あちこちで活動しようとして中途半端になる」典型だ。そんな現状にあるはてなブログを救えばいいじゃないか。「ゆるいエッセイ」とやらで。

noteで書きたいのだ!

しかし、僕はnoteで書きたい。なぜかというとnoteで書きたいからだ。完。

概ねこれで理解してもらえたと思うけど、もう少し具体化すると、以下のような理由で僕はnoteで書きたい。はてなブログを救うのではなく。

  1. noteのほうが文章入力画面が使いやすい

  2. 広告がないのでnoteのほうが読みやすい

  3. はてなブログProの契約期間があと3ヶ月で終了する

1.noteのほうが文章入力画面が使いやすい

個人的には、はてなブログよりnoteのほうが文章入力画面が使いやすい。スマホでアプリを使えばあまり差を感じないけど、PC、特にモニターの小さなノートPCだと大差がある(本題ではないし単なる個人の好みなので、具体的にどこがどう差があるのかは言及しない)。

noteの文章入力画面は本当に気に入っていて、実は以前からテキストエディタ代わりに使ってすらいる。noteの画面で書き、下書き状態のままWordにコピペしてKindle本を制作したりしている。そんな事をしているうちに、この画面で本来の想定通りnoteに公開する文章も書きたくなるのは必然だ。

2.広告がないのでnoteのほうが読みやすい

noteは広告がないのも嬉しい。せっかく書いたからには広告に邪魔されずに読まれたい。

……まあ、はてなブログも有料のProだと広告を消せるのだけど。Proだとはてな社側で掲載する広告を消せる。そして僕はProを利用しており、はてな社掲載の広告は当然消している。その上で、自分に収入が入る広告を自分の手で掲載している。

つまり僕は「せっかく書いたからには広告に邪魔されずに読まれたい」気持ちと「広告収入を得たい」気持ちを天秤に掛け、後者を選んでいるだけの話だ。それでいて「広告がないからnoteのほうが読者にとって読みやすいのが魅力なんだよねえ」と言っているわけだ。我ながら意味不明。

意味不明ではあるけど、気持ちとしては、広告のない読みやすい状態でお届けしたい。その気持ちは本当だ多分。そしてnoteだと広告を掲載して収入を得る選択肢がそもそも存在しない。選択肢が存在しないのならそれでいいじゃないか。そうしたい。

3.はてなブログProの契約期間があと3ヶ月で終了する

はてなブログPro契約の件もある。この契約期間が終了すると、再契約しない限りブログのURLが変わってしまい、それに起因して色々と面倒なことになる。

Proの料金は月額約600円〜1,000円程度。そのぐらいなら仮にブログを放置してても当面は広告収入でペイできるはずだ。さらに「ゆるいエッセイ」を書けばその分だけ広告収入も増える。じゃあProを再契約し、はてなブログで書けばいいっていう話にはなる。

うむ。理屈の上ではそうなる。でもそうするよりも、書きやすくて読みやすいnoteで広告無しで書くほうが楽しそう。ワクワクしてくる。有料販売の可能性は未知だけど、新しいことにトライするのもワクワクする。

じゃあそうしよう。はてなブログ、完。

おわり

ということでnoteを始めてみる。

「ゆるいエッセイ」と言っても、手を抜いてゆるく書くという意味ではない。僕のゆるい暮らしを題材に、強い主張をするわけではないけど読んでて楽しんでもらえるようなもの。そういうものを書きたい。以上。

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