Kindle本2冊目は、1冊目の続編を書く

Kindle本の1冊目では自叙伝を書いた

今年の1月に、Kindleで初めて本を出した。

会社を辞めて生き方を変えることにした

この本では、僕の実際の経験およびその中で考えてきたことをそのまま書いた。

具体的には、学生時代にまで遡り、
学生生活
→就活して会社員
→その働き方が合わなくて辛いが惰性で続ける
→なんやかんやあって人生観が変わり、会社を辞めて生き方を変える

という流れで書いてきた。いわゆる自叙伝というやつだろうか。

別に自叙伝を書くことが目的ではなかった。「一度きりの人生なのだから、自分なりに納得できる生き方をしていくべきだ」という主張を世に投げたい謎の使命感があり、その手段として自叙伝の形式がベストだと判断したのでそれを書いた。

本当は自叙伝なんか書きたくはなかった。自分の経験や思考をありのまま世の中へ開陳するのなんて恥ずかしいに決まっているじゃないか。しかも今よりさらに未熟だった過去の自分を対象にしているのだから。過去の未熟な自分の経験や思考を根掘り葉掘りほじくり返しながら何万文字もの文章を書き、それを世に開陳する。どんな罰ゲームだよ……。嫌だよそんなの。

それでも、どうしても、「一度きりの人生なのだから、自分なりに納得できる生き方をしていくべきだ」を最も読者に伝えるためには、僕の場合、自らの経験とその中で考えてきたことそのものを書くのが最適であると思えてしまい、だから仕方なく1冊目では自叙伝的なやつを書いた。本当は知的に理論立てて思想を説いたり、冷静に第3者的な目線で社会分析をしたかった。でもそれよりも、自分の経験とその中でリアルに考えてきたことそのものを書いた方が、どう考えても読者の中に何かを残せると思えてしまったのだ。

「なんで僕の大切な経験や思い出やその中で苦労して考え抜いてきた思考を、商品のようにして世に開陳しなければならんのだ」という愚痴を何度も脳内で呟きながらも、「一度きりの人生なのだから、自分なりに納得できる生き方をしていくべきだ」と僕は世に伝えたいのだ、それこそ僕の使命なのだ、という病気に突き動かされ、「その使命を果たす最善の手段がこれなのだ」という論理で、約10万文字も書き、Kindle本として出版した。

2冊目で迷走しまくってきた

ということで無事にKindle本を1冊出版したわけだけど、まだまだ終わりではない。「一度きりの人生を自分なりに納得できるように生きる」をテーマにして書きたいことがまだ他にも色々とある。1冊出しただけでは終われない。ということで2冊目だ。

1冊目を世に出したのが2024年1月21日で、そこからわずか10日ほど休息を取っただけで、2024年2月1日からはもう2冊目に着手した。

現時点で、そこから既に3ヶ月半ほどが経過している。1冊目は約4ヶ月で完成したので、2冊目もそろそろ完成間近であるはずだった。計画では。

ところが実際の進捗は……ほとんど何も書けていない。

といっても、文章自体は既に10万文字以上は書いた。しかし全て没にした。なので結果として進捗はほぼ0文字。

僕はここまで、2冊目の執筆において完全に迷走してきた。

まずは2冊目として、次のような内容を書こうとした。

  • 現代日本社会で週5労働が当たり前になっている経緯

  • その構造がいかに茶番であるか

  • その環境から庶民がいかに抜け出すか

これは約7万文字も書いた。我ながらとても面白くて鋭い内容を書けたと自負している。そしてあと3万文字も書けば完成する想定であった。

……しかし、その3万文字が書けなかった。行き詰まってしまったのだ。

書き始める前に大まかな構成と内容は決めてあるのでその通りに書けばいいのだけど、約7万文字を書く中で自分の思考が構成段階からさらに深まり、それは大変素晴らしいことではあるのだけど、思考が深まった僕からしたら構成の粗や浅さが気になって仕方がなくなった。あと論理が破綻している部分にも気づいてしまった。

そうして書けなくなって、もうどうにもならなくなって、全部没。

最小限の構成変更でどうにか完成させたい気持ちもあったけど、別に本を作ることそれ自体が目的でもない。表現したいことを表現するための手段としての本なのだ。だから途中でごちゃごちゃと想定外の内容変更をしながら無理に整合を取ろうとするぐらいなら、全て没にして1から仕切り直したくなり、そうした。

仕切り直してからは、労働環境やら社会云々やらのマクロな話は程々にして、「人生とは」「人間とは」「仕事とは」「趣味とは」「結婚とは」みたいな物事に対する僕なりの考えを書き、それらを全て読んでもらえれば、ごく自然と「一度きりの人生を自分なりに納得できるように生きるには何が大切なのか」が見えてくるような本を書くことにした。

7万文字もの没原稿を書く中で思想を深めた僕だからこそ書ける。これこそが今の僕が書くべき本である。その確信があった。

そして書き始めて3万文字ぐらいで早々に「あ、やっぱ無理だこれ。難しすぎ」と気付いた。この内容の本を書くにはあと最低でも3年は人生経験と内省が必要と思われる。背伸びをしすぎた。

みたいな迷走をしているうちに、2冊目を書き始めてから3ヶ月以上が経過していた。

でも、ようやく分かった。僕が2冊目で本当に書くべき内容は何なのかを。ずいぶんと回り道をしてしまったが、ついに見つけた。それは何かというと……。

自叙伝の続きを書くべき

自叙伝の続きだ。それこそ今の僕が書くべき本なのだ。

というか、1冊目も自叙伝だったわけだから、素直に考えればその次に出すのも自叙伝の続きにすればいいんだよ。多分、1冊目を読んでくれた人の多くがそれこそ求めているようにも思える。

うん、まあそれは分かってる。最初から分かってる。1冊目は会社を辞めるところまでで終わったので、辞めたあとの生活を題材にすればいい。しかも僕の場合、縁もゆかりもない札幌へ単身で移住もしている。退職・移住後の暮らしを次は書いてほしいという具体的要望を複数もらっていたりもする。

え、じゃあそれを書けよ最初からっていう。何を迷走しているんだよ。

でもさあ、前述の通り、自分の事実そのものな経験とそこで考えてきたことを本にするのって、罰ゲームなの。今よりさらに未熟だった過去の自分を思い出すだけでも苦痛なのに、詳細に至るまでほじくり返しながら文章を書き連ね、あまつさえ、それを世に開陳するのはもうマジで辛いの。だからあえて、2冊目では自叙伝の続きではない内容にしようとしていたの。分かってほしい、この気持ちを。

でも、僕はもう受け入れるよ、自分の使命を。僕が2冊目に書くべきは1冊目の続きなのだ。具体的には、会社を辞めて同時に札幌へも移住したあとの暮らし。それを書くべきなのだ。

何度も繰り返しているように、僕が書きたいことは「一度きりの人生なのだから、自分なりに納得できる生き方をしていくべきだ」という話だ。なので退職・移住後の暮らしを題材にしたらそのテーマを描けないのであればダメだけど、そんなことは当然ない。むしろ、そのテーマを描く題材として僕の退職・移住後の暮らしは最適ですらある。客観的に考えるなら、絶対に2冊目ではこの暮らしそのものを本にするべきって思える。

区切りもよい。今から2週間と少し前、僕の札幌生活は終了した。札幌で結婚し、夫婦で地元の神奈川県へUターン移住したからだ。なので、今こそ札幌生活を振り返りながら本にしていく苦行を受け入れるタイミングでもある。じゃあ、やるしかあるまい。やろう。

1冊目では、惰性で会社員を続けてきた生活を題材にしたのだけど、2冊目で描く想定の退職後の札幌生活は、それ以上に世に開陳したくはない。会社を辞め、「社会のレールから降りて自分の好きに生きるのだ」と舞い上がり、ノリと勢いで札幌への移住もし、しかし上手くいかないことだらけで人生に迷走しまくってきたからだ。36歳で人生に迷走している自分の暮らしを描くことに抵抗がないわけがない。

しかし、僕は開き直る。良い歳して人生に迷走してきた僕の経験って、僕個人がただ未熟だからっていう単純な話ではなくて、現代日本社会に生きる人の多くに実は共通する部分があるとも思える。だったらもう、世に多く存在する同類たちに向けて書くしかあるまい。それこそ使命。

ということでこれからは1冊目の続きとなる自叙伝的な本を、毎日バリバリと書いていく。開き直って書いていく。2024年中には出したい。

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