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父の命日


今日は父の命日

4年が経った

もう4年なのか
まだ4年なのか
感覚が麻痺しているけど

私は父と長い間距離を置いていたから
7年ほど会えていないまま
父は亡くなってしまって

だから、11年会っていない
それだけのような気もするし

久しぶりに見た父が
小さく小さく横たわっていた姿を思い出して
ああ、もう居ないんだと悲しくなったり

まだよく分からない


でも、もともとすごく仲が悪かった訳ではない

7年会っていなかったのは、
母と父の間には
どうしようもなく深い溝があって

私や弟妹は
その間にいて、
時々父の方に行ったり
母の方に行ったりしてバランスを取っていたけど

ついに母が前面的に
争います!
という看板を突きつけた

そうしたら、
気づけば私と妹は母の味方
弟は父の味方みたいになっていて

こんな事があった、
こんな悲しい気持ちだったと
母にも父にも思っていた事を
父にだけ突きつける形になってしまった


父と母は何かを得るために
法的な場所でお互いに傷つけ合う事を選んだ


私達はもちろん、
母と父にそんな事をしてほしくないと
それぞれ何度も伝えたけど
その度に母は激しく泣いて怒って
お前も敵だと言われて

火の粉が私に掛かるというように、
理解しよう、少しでもいい方向にと
思い行動するほど、
その甲斐なく事態は悪化した

その結果、
もともと父の事をあまり良く思っていなかった事と、父にだけ矛先を向けた状態になってしまった罪悪感も相まって余計に会いにくくなった

それから何年か経って、
私は当時付き合っていた彼と婚約し、
いいタイミングだと思って父に電話をした

会いたいと伝えた

でも、会ってもらえなかった

父は傷ついていたと思う

俺なんかに会ったってしょうがない
幸せにね

他にも色々と話したけど
全部投げやりで後ろ向きで
正直情けないと思ってしまうくらいだった

少し責めるような事も言ってしまった

私だって小さい頃からツラくて死にたくて、
でもお父さんやお母さんみたいになりたくないから
必死に頑張って、
たくさん勉強もして、
その結果、
とても素敵な人が結婚したいと
言ってくれているんだよ

それなのに、会ってくれないの?

そんなような事を言ったような
言ってないような

でも、
俺なんか恥ずかしいよ
合わせる顔がないよ

そんな事を父が言っていたのは覚えてる


その何ヶ月か後、
父は自死した

それは、父が脳梗塞を患って
身体が思うように動かなくなってから
いくらか経った頃だった


あれから4年が経った今、
寂しいという気持ちが
ほわっと時々浮かんでくる

ああ、いないんだなあ

会えないんだなあ

見てるかなあ


なんだか色々あったけど
大変だったけど
家族みんな笑っているよ

こんな風に笑えるようになるなんて
あの頃は考えもしなかった


お父さん、あの時はごめん
私、褒めてほしかったのかも

頑張ったね
さすがだね

って
あまり言われなかったから

お父さん、
もうなんだっていいからさ

見ててほしいな
見守っててよ

私は頑張るから

いつかまた会える時に
たくさん褒めてね


こんなの勝手かな


お父さんも笑っててくれたら
嬉しいな


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