もしもたったひとつだけ願いがかなうなら②―村上春樹「バースデイ・ガール」

つづき。

先生なら、何を願う?と聞かれた。

36歳の私として、願うことは何だろうか。

「ひとつだけ願いを叶えてあげよう」と言われる状況にもよる。

そのとき、とっさに答えたのは、「胸が欲しい」。

俗だ。

Tシャツの季節。そこそこのボリュームの胸があれば、何でも着られるのだ。いちいち、胸のボリュームを考えて服装を考えなくてもいい。秋冬のニットだってそうだ。

そんなに胸が欲しいならば、整形すればいいじゃないかと思う。ずっと悩み続けるぐらいなら、お金を払って、解決すればいい。

でも、してはいけない気がするのだ。

髪の毛はパーマや縮毛矯正をかけられる。歯の矯正もした。気になるほくろは除去したし、シミの治療もした。でも、整形手術は、違う気がするのだ。一度手を付けると、止まらない気がする。そして、人工物を自分の身体に入れるというのは、果てしない抵抗感がある。

舞台女優になりたいと本気で考えていた時期がある。辞めたのは、自分よりすごい演劇部の後輩がいたから。でも、自分の見た目が人に見てもらえるものではないことも、大きな理由。顔で最もいやなのは、鼻だ。低い。決定的に低い。一重まぶたも嫌だけど、目はメイクでなんとかなる。

脚が太い。私は中3のときに一気に太って、そのときに脚が太くなった。中3より前の脚に戻りたい。その太さが嫌だから、脚のかたちがわかるズボンは履かない。毎日、スカート。

きれいな手になりたい。二の腕がもう少し細ければいいのに。どの靴も合わない脚の形が嫌だ。顔だってもう少し小さくなって欲しい。髪の毛は、くせ毛で悩むことなんて一生無縁な、とろとろのストレートでいたい。

自分の見た目でも、これだけ欲望があるのだ。

でも、やっぱり、一番は、胸。

生徒・学生の時、旅行なんかで、友だちとお風呂に一緒に入るのが本当に嫌だった。雑誌に、ティッシュや靴下を胸に入れるといいと書いてあったので、そうした。別に誰も気にしていないと思うけど、中学高校のとき、私の胸には靴下が入っていました。ずれたり、落ちたりすると恥ずかしかったなぁ。

下着屋さんで計測してもらうと、C65と言われる。嘘だ、絶対。そんなボリュームではない。(元)彼氏が「育乳!」と言った直後に「無理か~」と言ったことを根に持っている。聞こえてたよ、返事しなかっただけだよ。

鼻は隠せない。横顔を写真に撮られないようにがんばるのみ。胸は、がんばればごまかせる、見せなければごまかせる、というのが、たちが悪い。

巨乳になりたいわけじゃないのだ。普通より小さめでいいのだ。私が想像する「C65」であってほしいのだ。

見た目以外にも、願いはたくさんある。

語学の才能がほしい。私は、英語ペラペラになる夢を抱いて、中学受験をした。まさか中1の1学期期末試験からもう英語がだめになるとは。オールイングリッシュで英語の授業が行われ、英語の先生に質問をするときには英語で、という学校だったので、救われようがなかった。とにかく息を潜めて生きていた。英語には何度もトライして、そのたびに絶望感を味わう。聞く、話す、が決定的にできないのだ。武者修行で海外に行ったけれど、何も言わずに目で訴えるという謎の技術が身についただけ。ずっと習って、ずっと努力している英語ですらこれだから、ほかの言語なんてとてもとても。

理系のことを理解できるアタマがほしい。中学高校の時、数学と理科はちんぷんかんぷんだった。理系は、化学記号が出てくるともう無理。最終的に生物を選択したけれど、植物の光合成も脳の信号の伝わり方も、くらくらしただけで終わった。何も分からなかった。理系には果てしなく憧れる。理路整然と物事を考えたい。理系の友だちが、オセロむちゃくちゃ強いし、日常会話も論理ゲームで常に勝つ。あのレベルがほしい。

芸術の才能がほしい。音楽は、ピアノを十年ほど習ったけれど、アタマと努力で弾いているだけだった。中1のときに音楽でつまずいた。音を聞いて譜起こし、というのができなかった。一度聞いただけで、一度楽譜を見ただけで、さらさらとピアノを弾け、なおかつ編曲までできる同級生におののいた。歌は、毎朝讃美歌を歌っていたけれど、自分はほかの人とずれている気しかしなかった。カラオケに行くのが苦痛でしかたがなかった。絵は、デッサンがゆがむ。書道は、バランスや余白がうまくとれない。人並みでいいから、芸術の能力をください。

運動神経がほしい。ダンスのテストで、私の番だけ、みんなが見ていた。「間違っていないけれど、何かおかしい、おもしろい」らしい。どれだけ教えてもらっても、振り付けがわからない、再現できない。

くずし字が不自由なく読めるようになりたい。いま、日本史を勉強しているので、江戸時代のくずし字を読めるようにならなければならないのだ。昔の人はこれで生活していたのだし、今の字とまったく違うわけではないから、なんとかなるはずだ。でも、もう二十年近くくずし字と接しているのに、一向に読めるようにならない。

体調。メンタルが弱い。メンタル系の、不眠やら胃腸やら倦怠感やら皮膚や粘膜の異常やらが多い。強くなりたい。虫歯をすべてなくしてほしい。裸眼視力を1.5にしてほしい。荒れた胃腸を健康にしてほしい。卵アレルギーをはじめ、もろもろのアレルギーをなくしてほしい。肩こり腰痛がないように、身体の歪みというものを一生感じずにいられるようにしてほしい。

先延ばしする癖をなおしたい。片付けられないのを何とかしたい。だらだらし続ける習慣をやめたい。面倒くさがりをなおしたい。やる気がほしい。バイタリティが欲しい。

論文を書く能力がほしい。大学院(修士)まで行ったくせに、書けるようにならなかった。書きたいけれど、今も、博士論文を書くほどの大きな課題は、私にはない。小説を書けるようにもなりたい。でも、大きな構想を立てて、それに向かってひとつずつスペースを埋めていくようなことが苦手なのだ。その苦手をなくしたい。

私のいいところ、って何だろう。

声。好奇心。活字を読む習慣があること。常に成長したいと願っていること。周りに恵まれていること。

別に、悪いことばかりの人間じゃない。少しは、いいところもある。でも、なんか、全部、ふわふわしているのだ。

胸、鼻、脚なんかの見た目。語学、理系、芸術、運動神経、くずし字、体調、メンタル、論文を書く力。自信を持ちたい、コンプレックスをなくしたい、というそれだけではない。もし、オーナーに「コンプレックスをなくしたいです」という願いごとをしても、それでは抽象的すぎて、何が叶えられるのかわからないし、気持ちだけ変わっても仕方がないではないか。

語学、理系、芸術、論文を書く力が備わったら、違う進路を選んでいたと思う。親が望む医学部にはたぶん行かないだろう。血と体液と生死という概念を受け付けられないから。それは克服したいと思わない。でも、将来の選択肢はずいぶん広がっただろう。医学部でも、臨床でなけでば、選ぶかもしれない。でも、進路が変わる自分というのはあまり想像がつかない。

体調は、ほんとうに治ってほしい。卵を食べたい。切実に。でも、それはなぜだか、二十歳の誕生日に願うことではない気がするのだ。

で、考えに考えた結果が、「胸が欲しい」。見た目も触り心地も満足する、天然の胸をください。

ただ、私が、中学生から胸にコンプレックスを持たず、服装も何だって選べる、水着を着ても平気、男の子とそういう状況になっても大丈夫、という人であったら、やはり人生が変わっていたとも思う。

結局は、芥川龍之介「鼻」の世界。私にとっては、「鼻」が「胸」だということだけだ。

私が何か願うなら、それはすべて自分のことに終始する。見た目と、才能。

生徒は、世界平和とか、お金持ちになって親孝行とか、コロナ収束とか、立派なことを願う子が多かった。自分のことに終始していたことが恥ずかしくなった。でも、せっかくひとつだけ願いを叶えてもらえるなら、自分のことでしょう。と、正当化。

パートナーがほしい。親友の延長の、お兄ちゃんのようなパートナーが。

でも、それって、オーナーが叶えてくれるものなんだろうか。魔法の力で出会った人を、私は信じられるんだろうか。その自信がないから、パートナーがほしいとは、私は言えなかった。

自分が、自信を持って生きて、そのために魔法の力で補ってもらって、それで、完全な私でパートナーを探すのだ。それで、お金を稼いで、世界平和やコロナ収束に貢献するのだ。

魔法の力で夢を叶えてもらおうという考えには、私は至らない。魔法の力で、助けてもらうのだ。

「バースデイ・ガール」の彼女が何を願ったのかわからない。でも、彼女は幸福に生きている気がした。ちょっぴり不満があることを含めての、幸福だ。そう、ちょっぴり不満があることも、幸福の条件。

わかっているけれど、でも、だからって、胸がない自分を肯定できるわけではない。だから、私の願い事は、俗なものです。「胸をください」。

そういえば、村上春樹は、胸にコンプレックスを持つ女性の話が好きですね。