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【真実】へそ出す男たちについて

うちの奥さんが久々に横浜駅周辺でぶらぶらと買い物を楽しんできて、まぁ人が多いね、と良くある感想をひとしきり述べた後に「そういえば」と切り出してきた。

ちょっとびっくりしたんだけど、と。


■多様性

僕自身、アンコンシャスバイアスって言葉をまじまじと考えるようになってから本当にこの多様性ってのを身近に感じるようになった。

直訳すると、無意識の先入観。

男だからどうだとか、女だからどうだとか、若いからどうだとか、年を取っているからどうだとか、日本人だからどうだとか。

してないようで、してるよね。自分は差別なんかとは無縁であると思いながらも、よーく考えるとしてるんです。この無意識差別。

多様性って言葉はバズワードと化して何となく軽くなったけどこのアンコンシャスなバイアスってのは割と丁寧に向き合っていかなくちゃいけない。なぜなら無意識だから。


で、冒頭の話。

奥さんがびっくりしたのは、最近の若い男の子ってのはへそ出しながら歩いてる、と。
いわゆるマッチョ系でもガテン系でもなく、女性的なへそ出し。いしだ壱成や武田真治がPopeyeやBoon(昔のファッション誌)でピタピタのTシャツを着ていた時期はあったけどさすがにガッツリとへそは出ていなかったはず。

それが今では(K-POPの影響もあり)メイクをする男性はだいぶ一般的になったけどついにそこまで来たか、と。

ウチには息子が居ないけど、もし自分の子がへそ出して化粧して出かけてったらなんか嫌だな、と。正直そんな風に思う。

でも。

ここでアンコンシャスバイアスである。
どうして男性だと丈の短いシャツを着てへそを出してはいけないのか。

確かに反論できる余地はない。



■本当の自由とは

○○ならばこうあるべき!ってのは基本的に平和を産まない。

原理主義という言葉がたびたびトラブルを起こしていることを思えば、誰しもそれなりに説得力を感じるはず。
であれば若い男がへそ出して街を闊歩していても何ら問題ない。なぜならそれは個人の自由だから。


こうして世の中にはありとあらゆる自由が増えた。
男がピンクを好きだって良い。女がスカートを拒否しても良い。お父さんは長年勤めた会社を突然辞めたっていい。お母さんは出産を機に父親に主夫をやらせても良い。

そう。正解など実はない。自由なんだ。


で、あるならば。ふと思ったことがある。

そしたらつまり、男性のへそ出しを嫌うこともまた個人の自由。別に良いことのではないか、と。
究極的にはそこに辿り着くのである。



■思うことと、禁止すること。

多様性を受け入れる風潮が強すぎるがあまり(これ自体は個人的に悪いとは思っていないけど)、世間には世の中のすべてを受け入れなくてはいけないような風潮が蔓延している。


ただ、
それを嫌うというか、拒絶するというか、自分自身の中で消化しきれない事実であるのならば、それは無理して受け入れなくても良いんじゃないかなと、最近強く思うようになった。

もちろん注意したり批判したりする権利はない。
だけど、
無理して受け入れる必要も無い。多様性という言葉につられて。

だって思うこともまた個人の自由だから。



■多様性

再びこれを考察してみる。

アンコンシャスバイアスは常に見直し、時には大いに注意するべきだと思う。なぜならそれは原理主義を解消する行為だから。

ただ、

そうしたうえで受け入れられないものを「多様性」という言葉を以って無理に受け入れる必要はあるのか。


「びっくりしたんだけど。今って男の子でもへそ出して歩いてんだよね」

「みんな自由だから。それはそれで素敵ってことで良いんだよ」

も、正解だし、

「それは自由だからね。ただオレはなんか嫌だな」

も、正解。


無理して受け入れなくていい。最近はそんな風に思います。





本日も、最後までお読みいただきありがとうございました。


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