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【ビジネス考察】やる気マンマンとか言うそこそこの害について

今回は、自分への戒めも兼ねてやる気マンマンの厄介さについてまとめておこうと思う。


■正論

僕が最近とても強く思う事柄のひとつに、正論は正論だが、正しくないというのがある。
正論なのに正しくないとはどういうことか。それは他でもない。他人に正論をぶつけたところで決して事態は好転しないから。


人間関係の中でよく見かける、この正論マウントは実に厄介で、何が厄介って正しいから。
言ってることが正しいから無性に強く見える。故にいつの間にか上下関係が生まれ、正論を吐き出す側が強いと勘違いしてマウントを取り出す。
これが一番顕著なのが親子関係で、親の言うことは正しくて得てして子供側が弱者になってしまう。

これがエスカレートすると虐待になり、子供たちが不幸な目に合うけれど親たちは平然と「教育のため」と言い放つ。
この原因となっているのが正論(正論にすらなっていないものも多いけど)で、
つまり言いたいのは(法律や道徳を除いて)正しいことの押し付けは問答無用に素晴らしいのか、というと決してそうではないんじゃないかな、と。


■やる気マンマン

で、
この「正論マウント」と非常に似た現象を引き起こしているのが「やる気マンマン」

やる気に満ち溢れ、誰よりも積極的に行動し、誰よりも長い時間を費やし、誰よりも結果に拘る。
これの行動自体は全く以って正しい。

しかも、こういう人がボスになれば活き活きとするメンバーが増えるかもしれないし、こういう人と一緒に居ると、つられるようにしてやる気メンバー(社員)が増えるかもしれない。

ただ、

やる気マンマンで取り組む姿勢は(言うなれば)正論そのもので、
その姿は目に見えないやる気の強要、つまり「正論マウント」と同義になっている可能性がある、というわけだ。

つまり、
やる気マンマンのボスを見て同じくやる気になる人ばかりではなく、逆にそのやる気を見て劣等感を覚え、ネガティブな感情になってしまう人だっているのだ。

やる気マンマンは、そこそこの害をもたらしてしまうのだ。


■じゃぁどうすれば

「えー。一生懸命やって何が悪いの?じゃぁどうすればいいの?」
という声が聞こえてきそうだけど、全く以ってその通りだと思う。

「劣等感なんて知らねぇよ。なんでこっちが気を遣わなきゃいけないんだ」
という声も聞こえてきそうだけど、これもその通りだと思う。

ただ、
こういう世界がある、というのを意識しているのと全く意識せずに立ち振る舞っているのとでは大きく違うのではないかと。


太陽の、生命への貢献度は素晴らしいが、時々眩しすぎて目の周りがどんよりと重く感じることがある。
(上手く言えないけど)あんな感じ。
眩しすぎることは一方でちょっと危険だったりする、というわけだ。


やる気マンマンとはすばらしい事であることは間違いない。
ただ、無言の正論マウントと化して誰かを苦しめているかもしれない。

これを理解しておくだけで世界はもっと平和になる。





本日も、最後までお読みいただきありがとうございました!


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