#242 ズボラこそ正義
一生懸命頑張ることは大変素晴らしいことです。
それは得てして学生時代の正義でした。しかしですね、こと資本主義社会に生きる社会人としてはこの一生懸命さの無い人間の方が有利なのだから面白い。
社会人になってからずっと思っていたことを整理してみます。
■楽したら褒められる
公務員ではなく、一般的なサラリーマンになるとですね、学生の方なんかは信じられないかもしれませんが楽したい奴ほど褒められるんです。
それはサボるとかそういう事ではないんですけど、
なんかこれってすげー無駄じゃね?とか、こうしたら楽できんのに何でしないわけ?みたいなやつをストレートにぶつけると褒められたりします。
レガシーってのがあるので、あまり意気揚々とぶつけすぎると反感を買って二度と起き上がれないくらい潰されてしまうわけですけど、
しばらく温めておいてですね、酸いも甘いもある程度わきまえたタイミングで発散すると「素晴らしいい!」なんて言われながら一目置かれたりします。
物分かりのいい先輩に見初められたりするとそのまま出世街道にまい進することになります。
楽してんのに褒められて一目置かれる。こんな都合のいい話が社会人になるとあるのです。
■何でもあり
これは他のnoteでも記したんですけど、
社会人ってのは法律さえ守ってればルールなんて何でもありです。
学生時代はおとなしく席に座ってノートとってる人が偉いとされましたけど、社会人になると着席なんかせずに他のクラスメートよりテストで良い点取れるやつが一番偉くなります。
他人に迷惑かけたらいけませんけど、究極的には授業中に堂々と寝てても結果が良いやつが勝ちとされるわけです。
「100mを5秒で走ってください」とのインポッシブルなミッションがあったとき、
ダメなやつはそんなのできるわけねぇと文句を言って駄々こねます。上司は無能だとSNSに書いてうっぷんを晴らします。
学生時代優秀だった奴は筋トレとトレーニングを死ぬほどやってなんとか5秒切るように努めます。きっと5秒で走れないとわかっていても、とにかくそれが正しいと思って夜中まで体をいじめ抜きます。
しかし、
社会人になってから褒められるのってこのタイプではありません。
本当に優秀なやつは、どうしたら楽が出来るのかを考えだすのです。
■努力なんて出来なくていい
誤解を恐れず言い切ると、究極的には努力なんてしなくていいです。
時には勉強したり、時には修羅場をくぐることもありますがそれって努力ではありません。
そんなことより、優秀は社会人はどうやったら楽になれるかばかりを考えているのです!
世の中には無駄が溢れています。
それはITがオフィスを席巻した現世でも健在です。やはり仕事を増やす輩ってのはどこの組織にも必ずいて、そんなんが蓄積して無駄は無くなることはありません。
そして、
あーぁ。楽してえな。楽して効率よく成果上げて、とっとと帰りてぇな。
この感情こそがその無駄をやっつける正義なのです!
先ほどの「100m5秒問題」ですけど、
最も優秀とされるのは5秒で走り切るためにどっかから自転車探してくるやつです。
あるいは然るべき人と交渉して100mを30mにするのもありです。
筋トレやってる人はズルい!と激昂するかもしれませんが、残念ながらその怒りは自分自身の無能さを際立たせるだけです。
学生さんには信じられないかもしれませんが、社会人になると死ぬほど努力するやつより、楽したくてしょうがないやつが正義です。
言い換えるとですね、
学生時代にちょっとくぐらい勉強が出来なくたって気にすることはありません。大事なのは、すぐに匙を投げて文句ばっかいう怠惰なやつにならないこと。
もっと楽な方法があるのに。俺ならこうするのに。文句言いながらもこの感情を持ち続けとりあえずやり過ごすことです。
ズボラとは将来、革新家に変身します。
学生時代に習うことが全て社会人になって活きないとは言いませんが、少なくとも目の前の成績だけで自分自身の可能性を見切ったりしないことです。
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