【子育てルポ】生まれもった資質
■駅前
若い母親が2人で談笑している。その周りに3歳ぐらいの男の子が2人。恐らくそれぞれのお子さんだろう。
一人の男の子が街路樹の隆起した根っこをみつける。それに手を掛けて「うんとこしょ!どっこいしょ!」とやりだした。
保育園で”大きなかぶ”でも覚えたのだろう。その懐かしいフレーズに駅へと急ぐ自分も思わずほっこりした。
すると、
もう一人の男の子が「僕もやるー」と言わんばかりにその子を軽くどつき、掴んでいた根っこを強引に奪って「うんとこしょ!」とやりだした。
おっとこれはケンカになるかな。と赤の他人の自分は少し身構える。ちなみにこの時点で母親は自分たちの会話に夢中で子供たちのやり取りに気付いていない。
しかし、
奪われた側の男の子は泣くでも怒るでもなく、近くにまた別の根っこを見つけてそこに移動し、「うんとこしょ!どっこいしょ!」とやりだした。逞しいじゃないか。
すると、
もう一人の男の子は先ほど奪ったばかりの根っこをあっさりと手放し、もう一度その子から根っこを奪って「うんとこしょ!」とやりだした。
驚いた。
■生まれ持った資質
世の中には、苦労して苦労してゼロからイチを創り出す人がいる。
一方で、それを偉そうに批判する人がいる。
どう考えたって偉いのは前者なのに、偉そうなのは後者だったりする。
オリジナリティを出すにはそれなりに打席に立つ必要があるとは有名な話だ。まずやってみようの精神で積極的に手を掛けて、失敗を重ねて、何かを生み出す。そのプロセスには時間を含め失うものはゼロではない。
しかし残念なことに、それを簡単に奪おうとする者がいる。自分自身の何かを満たすためだろうか。オリジナリティ泥棒。あまりにも稚拙だ。
僕はこれを、育ってきた環境のせいだと思っていた。
つまり、批判したり奪ったりする人というのは、自らの力で何かを生み出そうとする経験をしてこなかった人たち。それは時間にしろ環境にしろ、とにかくそういったものが整っていなかったに違いない。
こうして苦労して何かを生み出す尊さを知らないまま大人になってしまったので、生みだした人を簡単に批難できるし、簡単に奪うことが出来る。
しかし、だ。
駅前で見た光景はそれを真正面から否定するものだった。つまりこの差は環境ではなく、資質であると。
■再び、駅前
先ほどの親子は既に自分の背後へと消えている。泣き声などは聞こえないので恐らくケンカにはなっていないだろう。
大きなかぶの男の子は、クリエイティブな自分の才能にそのうち気付くだろう。見かけたのは一瞬だったけど、奪われて固執しない様から生粋の右脳派なんだと確信した。それを生かすか殺すかは彼の親の腕に掛かっている。
そして、
本能的に楽しそうなものに惹かれ、内容より状況を優先して動くもう一人の男の子も決して何かが劣っているわけではない。意外と人生を謳歌するのは彼の方だったりする。
しかも大きなかぶの男の子が作り出したものは、こういう男の子が居るからこそ価値を示す側面もある。
2人の差が資質であるならば、願うことはただ一つ。
とにかく、誰かが作り出したものを偉そうに批判しないで欲しい。一方で、作り出すものは批判なんかに左右されないで欲しい。
そんなことを想いながら果たして自分はこれから会社に行って何をクリエイトするんだろうか。と、改めて自問した。
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