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「あなたもわたし」がnoteの街でちょっとわかったかも

私たちはもともとひとつだった。

そういう概念を知っていたけれど、体感はできませんでした。
あっ、スピリチュアルっぽいですが、ふわふわしないように書くので、不思議な話は苦手という方も少しお付き合いいただければと思います。


最近はスピリチュアルとか宇宙的といいますか、そういう考え方も一般的になっているかと思います。

反対に、物理学などの論理的な面でも、スピリチュアルで言われているようなことが立証されています。

ただ、両者の伝え方が違うのだと思います。


「あなたもわたし」とか「じぶんはいない」とか。
意味わからない、確かに肉体としての自分がちゃんとあるじゃん、と思っていました。

私は時々noteの記事を読んでいると、「あぁ、この方はわたしだな。」と思うことがあります。
それは私自身だというのではなく、私と同じ感情を持っているな。という事です。


私はnoteを始めた時に初めてコメントを頂いたとき、とても嬉しくてドキドキしたことを覚えています。
嬉しかったことを伝えた時、実はその方もコメントをするのにドキドキしていたそうです。

私も時々、コメントをするときにドキドキすることがあります。

「こんなことを言って、押しつけがましいかな?」とか。
「もしかしたら迷惑かもな。」とか。

そんな時、私にコメントをくれた方の気持ちになっています。
つまり、その人の感情になっている。

そして、温かいコメントを返してくださると、やっぱり勇気をだしてコメントしてよかったなと思います。
たぶん、その時もその人になっています。

でも、もしかしたら多くの人がそういう気持ちだったりもするのかなと思います。
中には、何の気持ちの揺らぎもなくできる方もいらっしゃるかもしれません。
でも、こうして慣れてくると、だんだんと気負いもなくコメントできるときもあります。
そんなときは、またそういう方になっている。


「あなたもわたし」「じぶんはいない」というのは言い換えると、どの感情もみんなが共通して持っているということだと思います。

素晴らしいと思えるあの人も、私と同じように嬉しいを感じる。
眺めるだけの芸能人も、私と同じように悲しいを感じる。

その感情だけを見た時、私たちに違いはないのだなと思います。


共感は大きなエネルギーだと思いますが、どうして共感するのかというと、自分と同じ考え、もしくは同じ体験をした=同じ感情を持っているから強く惹かれるのだと思います。

共感できない時というのは、その人と同じ考えを持っていない=同じ感情を感じたことがないからだと思うのです。

わかりやすくいうと、何かで失敗して怒られて落ち込んだ時。
わかるわーという人は、失敗したことや怒られ方には違いはあっても、その時に感じている感情が同じだから共感できるのです。


私たちは、見た目も違うし、能力や考え方も違う。
だから、自分と他人の間に大きな境界線を引いてしまうと思うのです。

でも。
感じていることだけに注目したとき。

嬉しいという気持ちの中では、私たちは同じだし、ひとつだと思うのです。
noteの中でも、企画やイベントを通して、みんなと同じように盛り上がる気持ちだったり、楽しい気持ちを感じるのは、その企画を通して同じ感情を共有するからだと思います。

そして、その感情「楽しい」とか「嬉しい」の中にいる時は自分個人の我が薄まっていたり、優先されないことがあります。
そういう時「じぶんがいない」のかなぁと思います。


誰かと何かを比べて辛い時。
そんな時は、自分自身しか見えていないし、他の人にも自分と同じ感情があると思えていないことが多いです。

おそらく、自分の辛い状況が全く同じ人っていないと思うのです。
でも、その部分で比べていたら、いつまでも抜け出せないと思います。

周りの幸せそうなあの人も、普通そうなあの人も、苦しそうなあの人も。
みんな同じ感情を持っていて、そして自分と変わらないんだと思ったとき。

そんな時、気持ちがゆるまるような気がします。
自分も周りも、許せるような気がします。


そういう時、すごくあたたかくていい世界だなって思います。


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