もしビートルズが数年早く来日していたら、日本のロックはどうなっただろう(2016年記)
映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』を観た。ビートルズのライブに焦点を絞った奇妙な映画で、マニアにとっては食い足りなく、ビギナーにとっては消化不良になりそうな感じがした。マニアでもビギナーでもない私には、ちょうといい頃合いだとも言えるのだが。
ただし見どころがあって、それは初期のライブにおけるリンゴ・スターのドラムの素晴らしさである。ここ(2022年註:当時運営していた個人サイト)で何度も書いているが、ドラミングが、エイトビートでありながら、スウィングしているのだ。
面白い比較をしてみる。ビートルズの初期楽曲の中で、もっともノリがいい曲の1つ、《I Saw Her Standing There》について、普通の(つまりリンゴ・スターがドラムスの)ビートルズと、リンゴ抜き・代役ジミー・ニコルが入ったビートルズの違い。
上の方=リンゴの方が、スウィングしているのが分かる。「スウィング」の概念が分かりにくければ、腰が自然に横に動くリズムと言い換えてよい。そして、この映画を観て思うのは、日本公演における、あの残念な演奏である。
これが上の《I Saw Her Standing There》を演奏したバンドと同じかよ?と驚く。スウィング云々どころか、人前で演奏をすることへのモラル自体を失っている演奏である。
長年のコンサート活動の疲労による、上記モラル低下
PAシステムが無い中で、会場が極端に「大箱」化し、ちゃんと演奏がモニターできない状態の演奏であったこと(特に、初のロックコンサートであった武道館ではひどい状況だったと推測)
ビートルズ自身の黒人音楽志向が薄まり、スウィングに絶対的な価値を置かなくなったこと
などが理由として考えられるが、そんな後付けの分析はともかく、かなりグダグダな演奏で、そしてこのグダグダ演奏をまなじり決して見つめて、スパイダースが、タイガースが、その他グループサウンズが「日本のビートルズ」を目指して、音楽に向かっていたのである。
で、今回私が書きたいのは、もしビートルズの日本公演が数年早く、例えば、新宿厚生年金会館などで行われたとしたら、日本の音楽シーンはどうなっただろうということだ。
大げさに言えば、もしかしたら、「日本(語)のロック」は、数年早く根付いたのではないか。数年早いはっぴいえんどが60年代後半に、数年早いサザンオールスターズが70年代の初めにデビューしたかもしれない。
そしてスパイダースは、アルバム『ザ・スパイダース・アルバムNo.1』を数年早くリリースした上で、あのアルバムで聴かせた「トーキョー・サウンド」の追求に、バンドとしての全キャリアを懸けて、突き進んだのではないか。
それぐらい、63~64年頃のリンゴ・スターの、ひたすらスウィングするエイトビートは凄まじかった。逆に言えば、それぐらい、ビートルズの日本公演の演奏は……。
リズムとは、ロックンロールの本質だと思う。この映画は、ビートルズの本質が、初期のリンゴのドラミングにあるということに気付かされる映画である。観られるときには、ぜひリンゴに注目、いや「注耳」していだきたい。