ヒット曲は50代に解放された(シリーズ「50歳から評論家になる方法」-2)
※10月発売の拙著『平成Jポップと令和歌謡』(彩流社)の「はじめに」を公開します。ご興味あらば、ぜひご予約ください。
「私はもう、最新のヒット曲とやらと無縁に生きていくのではないか」と感じていた。
2015年の秋に『1979年の歌謡曲』という、音楽評論家として実質的なデビュー作を上梓。派手に売れたわけではなかったものの、1曲1曲の音そのものと格闘しながら、建設的に論を進めていくという方法論に手応えを感じ、どちらかと言えば、過去のヒット曲に、違う色彩のスポットを当てるのが自分の仕事だと思い始めていた。
ちょうどその頃だろうか。何ヶ月かに1回、各テレビ局で特別番組的に放送される、数時間に渡る音楽番組に食指が動かなくなった。カタログ的に並べられた、名前だけは聞いたことがある音楽家の、名前を聞いたことがない新曲がずらりと並べられた、たいそう豪華な音楽番組。
『ザ・ベストテン』『トップテン』『夜のヒットスタジオ』……かつて、あれほどに私を魅了した音楽番組すら、画面越しに遠のいていく。心の中でつぶやいた。
「私はもう、最新のヒット曲とやらと無縁に生きていく」。
そんな折、16年初頭、東京スポーツから連載の依頼があった――「最新ヒット曲を毎週1曲取り上げて、東スポの読者である中高年男性層に解説をしてほしい」。
逡巡したのは確かだ。まず、毎週毎週、ヒット曲を聴いて原稿を書くというサイクルを回せるのか? そして、そのヒット曲とやらは、50歳になろうとしている私にとって、食指が動くものなのか。聴くに堪え得るものなのか。
今思うのは、原稿依頼を思い切って引き受けた16年初頭というタイミングが絶妙だったということだ。本当に最高のタイミングだったと思う。
宇多田ヒカル、星野源、米津玄師、King Gnuなど、50代の音楽評論家が聴いても、つくづく感心するような、優秀な音楽や作品が出て来るタイミングだったこと。
CDからサブスク(リプション)・サービスへと移行し始めたこと。このことによって「CDの売上枚数」という、人為的・作為的にコントロールされがちだった単一指標が相対化され、また、書き手にとって、最新ヒット曲へのアクセスが格段にたやすくなったこと。
そして、そんな流れを受けて、「ビルボードジャパン・ホット100」という、CDの売上だけでなく、ダウンロード、ストリーミング、ルックアップ(PCへのCD読み取り数)などまで勘案した実質的で本質的なチャートが普及し始めたこと。
言わば、「50代の音楽好きが、惑わず臆せず、ヒット曲に迎える環境」が整いつつあるタイミングだったのだ。
言わば、最新ヒット曲が50代に解放されたのだ。
東スポで現在も連載中の『オジサンに贈るヒット曲講座』の16~20年=足掛け5年分の原稿をまとめた本である。時代の空気を冷凍保存するべく、原稿の修正は最小限にとどめたので、今振り返れば、褒めすぎ・けなしすぎ、もしくはトンチンカンな論考もあるが、あえて、そのままにしている。
逆に言えば、宇多田ヒカル、星野源、米津玄師、King Gnuなど、この5年間のMVPたちについて、聴いた当初から絶賛しているが、これらも基本、当時の原稿のままである。今の視点からの脚色はしていない。
また、よくしたもので、掲載曲のほとんどが、サブスクにアップされている。1曲1曲聴きながら、文章も味わっていただけると嬉しい。
タイトルは『平成Jポップと令和歌謡』とした。5年間ヒット曲を聴き続けた50代音楽評論家として、Jポップの次に来(てい)るムーブメントが、ある意味「昭和歌謡」に近いものがあると考え、「令和歌謡」という造語を思い付き、書名にしてみたものだ。詳しくは「総論~『平成Jポップ』から『令和歌謡』へ」を参照していただきたい。
ただし、タイトルにはもう1案、最後まで残ったものがあって、それは、『音スポ~50歳からの最新ヒット曲健康法』という採用案とは毛色の異なるものだった。
50歳になっても、臆せず惑わず、最新ヒット曲を聴き続けていると、少なくとも心の持ちようは健康になるという意味を込めた。「令和歌謡」への流れも「ヒット曲で健康になれる」も、私は経験的に確信するところである。皆さん、「令和歌謡」を聴いて健康になりましょう。
最後に、私は今年(21年)秋に55歳になる。55歳を期に、今後の人生の軸足を、音楽評論の方に、はっきりと寄せることに決めた。その決断と、「あの日でっち上げた無謀な外側に追いついてく物語」というCreepy Nuts×菅田将暉『サントラ』の歌詞と出逢ったことは、決して無縁ではない。