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【桑田佳祐論ボツ原稿】サザンオールスターズ《Oh!クラウディア》~2009年夏、衆議院解散の前日に歌われた替え歌のこと

発売から3週間ほど経ちました。そろそろ増刷分も、店頭に並ぶと思います。これを機に、是非お求めください。

さて、書き上げながらも、編集時に分量の観点から、泣く泣くカットしたボツ原稿を、ここで披露したいと思います。ぜひご一読ください。

■「二人とも裸なら Oh!Claudia 愛しくて」

その頃のフェイバリットは《Oh!クラウディア》。20歳にはこういう音がいい。早稲田から上野公園に行く都バスで聴いたことを、昨日のことのように思い出す。今でもこの曲を聴くと、当時好きだった女子のことが頭に浮かぶ。さらには、その子と「湖に」「舟を浮かべたい」と思ってしまったことを告白する。ただし「2人とも裸」になるというシーンは、さすがに想像できなかったが。

スージー鈴木『サザンオールスターズ1978-1985』(新潮新書)

拙著『サザンオールスターズ1978-1985』に書いた一節。我ながら実につまらないことを書いている。つまらないのだが、実話なので勘弁してほしい。

この一節を含む章のタイトルは「我が青春の『NUDE MAN』」。82年のアルバム『NUDE MAN』は、前年の、ツンと澄ましたようなAOR的・音楽主義的なアルバム『ステレオ太陽族』から一変、超ド級の大ポップス大会となっている。その結果として、このアルバムは、例えば、当時の私のような若者層からの「青春需要」を喚起して盛り上がったのだ。

そんな『NUDE MAN』のB面2曲目に鳴り響くのが、ファンの間で人気の高い《Oh!クラウディア》。歌い出しの「♪恋をしていたのは 去年の夏の頃さ」だけで、80年代の若者の「青春需要」は、胸ぐらをつかまれて、ぐっと引き出された。

ただ、あれから40年近く経って、50歳を超えた感覚で、あらためて歌詞を見てみると、何とも言えないその抽象性に気付く。その骨頂が「♪湖にあなたと舟を浮かべたままで」に続く、「♪二人とも裸なら Oh!Claudia 愛しくて」のところである。

いやいや、裸にはならないだろう?

もしかしたら、この曲の主人公は、クラウディアちゃんと舟の上で、本当に裸になったのかも知れないが、まぁ現実的に考えて、このフレーズが表すものは、抽象的なイメージ世界である。また、続く「♪うつろうよなEye Line」も分かったようで分からないし、その「Eye Line」が「♪無邪気に翔ぶ鳥のよう」となるのは、さらに分からない。

しかし、もちろん音楽的な魅力も相まって、この曲の歌詞には、若者の「青春需要」の胸ぐらをつかむ力があった。そう考えると、この時期の桑田佳祐は、(具体的・現実的世界から「無邪気に翔ぶ鳥のよう」に解放された)抽象的なイメージ世界を描く能力を、身に着けたと言えるのではないか。

――「二人とも裸」になっていない、でも「裸」になっている。

――「Eye Line」は「うつろ」っていない、でも「うつろ」っている。

――その「Eye Line」は「無邪気に翔ぶ鳥のよう」ではない、でも「無邪気に翔ぶ鳥のよう」だ。

《Oh!クラウディア》の3年後、サザンは《吉田拓郎の唄》を発表する。その中で桑田佳祐は「♪お前の書いた詩(うた)は 俺を不良(わる)くさせた」と歌っている。

桑田佳祐を「不良くさせた」吉田拓郎の曲は、「詩」を「うた」と読ませることから推測すると、《青春の詩(うた)》《イメージの詩(うた)》(ともに70年。桑田少年が14歳のときの作品)あたりではないだろうか。

《青春の詩》《イメージの詩》から干支が一回りした82年、不良少年は、ちょうど10歳年上の吉田拓郎をしのぐ人気ミュージシャンとなり、私含む当時の若者の「青春の詩」となる「イメージの詩」を手に入れたのだ。

■「心にしむ恋は 今宵悲しく」

アルバム『NUDE MAN』には、最後の一節が効いている曲が多い。「最後の一節」とは、楽譜上で「Coda」と記されるパートで、楽典的に言えば「楽曲の最後に曲全体を締めくくるためにつけられた部分」のこと。

・《DJ・コービーの伝説》:「♪逢えないこの世は Lonely, lonely, night」
・《匂艷The Night Club》:「♪俺のKissはきっと痛いよ」
・《女流詩人の哀歌》:「♪思いやりのOne day」

と例を記せば、このアルバムを聴き込んだ方なら、「あ、あの部分か」とお分かりになることだと思う。3曲とも最後に強烈なフレーズで締められている(個人的には「♪思いやりのOne day」が最高だと思う)。また、

・《夏をあきらめて》:「♪このまま君と あきらめの夏」

も、先の3曲とは、位置付けが少し異なるものの、これも「強烈な」「最後の一節」であることに変わりはない。

そして、極めつけが《Oh!クラウディア》の「♪心にしむ恋は 今宵悲しく 一人でいると なおのことだよ」だと思うのだ。

この「最後の一節」によって、聴き手に印象付けられるのは、焦燥感であり寂寥感である。前項で書いたように、《Oh!クラウディア》の歌詞世界は、何ともつかみどころの無い「抽象的なイメージ世界」だが、それでも最終的に、焦燥感・寂寥感がびんびん伝わってくるあたりが、作詞家・桑田佳祐の真骨頂と言えよう。

また、その焦燥感・寂寥感は、デビュー曲《勝手にシンドバッド》の「胸さわぎの腰つき」からつながるものであり、つまりは「真夏の夜のジリジリとした焦燥感・寂寥感」である。

アルバム『NUDE MAN』は、《Oh!クラウディア》に加えて、《夏をあきらめて》や《逢いたさ見たさ病めるMy Mind》も含めて、全体的に「真夏の夜のジリジリとした焦燥感・寂寥感」が支配している感じがする。

AOR的・音楽主義的な『ステレオ太陽族』を経て、桑田佳祐の頭の中には、「やっぱサザンは、夏の焦燥感・寂寥感をストレートに押し出さなきゃ」という、一周回った判断があったのではないだろうか。

アルバム『NUDE MAN』に感じるのは、そういう「サザンらしさ」を素直に捉えた桑田佳祐のいさぎよさである。

最後に。歌詞カードによれば「♪一人でいると なおのことだよ」となっているのだが、桑田佳祐は明らかに「♪一人でいると(き) なおのことだよ」と「き」を入れて歌っている。このあたりの適当さも、サザン的と言われればサザン的である。

■「先の見えぬ海を『日本』という船が行く」

最後に、この曲にまつわるトリビアを紹介しておきたい。トリビアと言っても、「戦後民主主義を謳歌した詞(ことば)」的な視点からは、非常に重要な事実だとも考えるものでもある。

01~02年と09年の2度にわたって放送された、フジテレビ系『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』という音楽番組があったのだが、その09年版の第13回に「海の日記念スペシャルライブ」という企画が組まれた。

放送日は7月20日で、その日が「海の日」であることにちなみ、茅ヶ崎の海水浴場「サザンビーチちがさき」の海の家から、桑田佳祐が「スペシャルライブ」をするというもので、その中で《Oh!クラウディア》が歌われたのだ。

ファンを驚かせたのは、後半の歌詞が、原曲とまったく異なっていたことだった。

――♪先の見えぬ海を「日本」という船が行く
――♪Oh! ときめくような ガイドラインも無いじゃない
――♪茶番や下司な争いのために 捨てないで明日を 貫いて夢を

原曲から離れ、明らかに社会的なメッセージを歌っている。ただ、桑田佳祐らしいなと思うのは、そんな中でも、例えば「♪ガイドライン」(←「Eye Line」)など、原曲の歌詞と同様の韻を踏んでいるところなのだが。

この替え歌の真意は分からない。ただ事実関係だけ追っておくと、放送日=09年7月20日の翌日に衆議院が解散。8月30日が投開票日となる総選挙が始まった。

この選挙は、自民党と民主党(当時)の「2大政党」が激突する「政権選択選挙」と言われ、結果自民党は大敗、民主党が大躍進し、麻生(太郎)内閣は総辞職に追い込まれた。

当時はいわゆる「リーマンショック」が世界を覆っていた時期だ。そんな中で、大胆な替え歌を歌った桑田佳祐の真意はどんなものだったのだろう。邪推は控えるものの、この歌詞が「戦後民主主義を謳歌した詞」であったことは、紛れもなく事実だろう。

あれから12年、今日(2022年7月10日)は参議院選挙の投開票日。物騒な空気の中、未だ先の見えぬ海を「日本」という船が行く――。
(参考)7月7日に中日新聞に掲載された拙稿より。

中日新聞「エンタ目」


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