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M-1グランプリ通史~画面の向こうで起きていたすごいこと(2010年12月28日記)

※11年前に個人のホームページで公開した文章を再掲。

「だって、いきなりカメラのフレームの外からダーッと走ってきて、パっと飛び蹴りして、そのままダーッといなくなったり(中略)、ああ、画面の向こうではすごいことが起きてる。世の中は大変なことが起きているって思いましたよ」(高田文夫著『笑うふたり』-中公文庫-より、全盛期のコント55号について)

もう、このフレーズは好きで好きでたまらない。テレビがもたらす感動のありようというものを不可分なく伝えているフレーズだと思う。

音楽で言えば、たとえば03年6月、ゲスト出演予定だったt.A.T.u.が突如帰ってしまった『ミュージックステーション』、セットなしの中、急遽演奏したときのミッシェル・ガン・エレファントの姿。「画面の向こうではすごいことが起きて」いた。感動というのか、もっと刺激的な、体内に電流が走る感覚。

ワタシがM-1にハマった感覚もこれに近い。「画面の向こうではすごいことが起きてる」感覚が味わえる数少ない番組、M-1グランプリ。

全10回の中で最初にこの感覚が訪れたのは、02年の第2回大会、ますだおかだの最終決戦ネタ(「漫才師育成ゲーム」)で、ますだが「発泡酒売り上げナンバー1!」と叫んだ瞬間だ。

その前にも(たしか)第1回、ハリガネロック、ユウキロックが「マッチ売りの少女じゃなくって、少女売りのマッチ(近藤真彦)」と言った瞬間、同じような感覚になったと記憶するが、10000ボルトの本格的な電流が走ったのは、ますだおかだのこのネタ、この瞬間。

余談だが、ツイッターやmixiなどで語られるM-1論で、02年ますだおかだの評価がおしなべて低く、そのことに違和感を抱くのだが。

そして。言うまでもなく、03年笑い飯の「奈良県立歴史民俗博物館」。ここからM-1は、単なるお笑い番組を超えて、ワタシの中で強烈な思い入れをもって捉える特別な番組にのしあがっていく。

ここで全10回を俯瞰的に眺めれば、全体が放物線のような軌道を描いていることがあらためて分かる。つまり、平たく言えば04~06年がピークだったということだ。今回で終わりじゃなければこの放物線は見えなかった。見えても見えていないフリをしただろう。04~06年が、言ってみればM-1の「爛熟期」。

アンタッチャブル、ブラックマヨネーズ、チュートリアル。彼らが猛烈なエネルギーと知恵を投入した、魔法のような4分間。ここに説明は不要だろう。

さて、この放物線の頂点の時代においても、この魔法が永遠には続かないことが、みんな、実はうすうす分かっていたはずだ。

確か07年の初頭に、私は大阪NGKでチュートリアルを観ている。そのときのネタは「ペロという名の犬」のネタ。「チリンチリン」とはまったく異なる脱力系のネタ。

そのとき「あっ」と思った。「"チリンチリン"のようなネタはNGKではかけられないよな」。

04~06年の爛熟期に、アンタッチャブル、ブラックマヨネーズ、チュートリアルが暴いたことは、普通の漫才ではなく「猛烈なエネルギーと知恵を投入した」、いわばM-1型に特別にチューンアップされた漫才でしか、M-1に勝ち残ることができないということだ。

ワタシ自身の漫才原体験は、ご多分にもれず「漫才ブーム」である。ツービートや紳助・竜介の漫才、当時としては完全にニューウェーブに見えたが、いまとなってはたいへんオーソドックスに感じるあのような漫才が大好きだった。少なくとも、演芸場で培われ、演芸場で鍛えられていた漫才が好きだったんだ。

演芸場ではなく、テレビ朝日のスタジオだけに照準を合わせたフリークスな漫才、たったの4分間を異常なテンションで押しまくる奇妙な漫才。自分が好きだった漫才と、M-1が少しずつ離れていく。

07~10年の残り4回は、言ってみれば漫才という形式の解体合戦だ。アンタッチャブル、ブラックマヨネーズ、チュートリアルがこじ開けた「新しい漫才の方法論」探しにみんながやっきとなり、車をチューンアップしているはずが、いじりすぎてバラバラに解体してしまったような。

コントのような漫才、異常に「手数」が多い漫才、めまぐるしすぎるテンポ感の漫才、そしていろんなことが一周して、今回のスリムクラブに至る。

M-1は大好きだ。今回もとても楽しく拝見した。が、正直、身体に電流が走るようなあの感覚は、07年サンドウィッチマン「このアンケートをどこで知りましたか?」「おまえだよ!」を最後に体験していない。

その背景には、一年間、M-1のために筋肉増強剤を飲み続けたような、人工的な「漫才筋肉」を見続ける疲労感があったような気がする。

今回のスリムクラブは、そのような状況へのアンチテーゼとしてのゆるゆるの構成によって高評価を得たと見る。実は私にはとっても退屈な漫才だったのだが、この件についてはまた後日。

最後に、話はまた03年笑い飯「奈良県立歴史民俗博物館」に戻る。「画面の向こう」で起きてる「すごいこと」を見て電流が走ったあの日。具体的には2003年12月28日。

それはM-1がこんなに肥大化するなんて思わなかなった頃。M-1が肥大化して、漫才という形式自体を押しつぶすなんて考えもしなかった頃。

そしてそれは、翌年にアンタッチャブルによって強引に引き寄せられる「M-1爛熟期」に向けて、天国への階段を急ぎ足で駆け上がり始めた瞬間―――いまとなってはあれこそがM-1最良の瞬間だったような気がする。

陽の光をさけながら 栄えているこの街角で
夜の天使たちが スターダムにのし上がる
一歩踏み出せば 誰もがヒーローさ
もしそれが 誰かの罠だとしてもだ
朝が来るまで 君をさがしている

~佐野元春《君をさがしている(朝が来るまで)》より

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