ワンカップ大関
序 2020年のクリスマスイブは、緊急事態宣言が出た数か月後であり、また、次の緊急事態宣言の数週間前であった。それほど未知の感染症に人類は恐怖を覚えていた。独り身の私は、クリスマスイブとはいえ、いつも通りの生活をしていたし、趣味の散歩をしていた。
そして、その道すがら、飯田橋にあるパチンコ屋の上にあるファミリーマートに立ち寄った。
その時に見たオヤジの話をしたい。
髪を短く刈って、小綺麗な恰好をした60代ほどのオヤジだったが、その手にはワンカップ大関が握られていた。
手慣れた手つきでコンビニ正面の手摺りに大関をカァーン……と置き、キュパッとその蓋を剥く。そして、愛おしく、というわけでも、雄々しくといういうわけでもなく、ごく自然に、水を飲むような仕草でゴクリとそれを飲んだのだ。
1 「孤独な独身男性」説
飯田橋の某パチンコ屋といえば、最寄りのコンビニが上記のファミリーマートだ。パチンコ屋に通った経験がある人には分かるだろうが、パチンカスにとってATMは必要不可欠の存在だ。あと数ゲームで天井だろうと、当たる気配が無かろうと、人は満足いくまで打ちたいもので、そういうときは大体見込みを超えてお金が必要になる。今ではパチンコホールの中にATMを設置するような節操のないホールも増えたが、数年前までそれはタブーであった。
というわけで、最初は下のパチンコホールで遊戯中のオヤジだと思った。
しかし、パチンコホールの閉店である10時半にはまだ時間の有る6時台に、もう酒盛りを始めるだろうか。否である。
意外かもしれないが、パチンコホールに通うオヤジたちは、一様にストイックな一面を持っている。まず間違いなく飲酒をして打ちに来る人間はいない。なぜならば、彼らは一日の始まりに、引きたい演出を夢に見て、連チャンする様を妄想し、今日は勝てるという夢を抱いてホールに通うからである。
老人の残り少ない視力と聴力を削り取り、ビカビカバキバキとお祭り騒ぎのパチンコ台は、とてもじゃないが、飲酒しながら打てるモノでもない。
したがって、上記のオヤジは遊戯中ではなく、少なくとも、遊戯後の可能性が高い。
2 「自宅に居場所の無い帰宅前のオヤジ」説
飯田橋の某パチンコ屋といえば、そのテナントが入っているビルは飯田橋屈指の高級マンションである。
高級マンションの一階にパチンコ屋が入っているという事実には色々矛盾というか疑問があるが、きっとその分共益費とか廃棄物処理を一手に担てくれたりしているのだろう。知らんけど。
身なりのキレイさから、上記のオヤジはこのマンションの住民である可能性が高い。
しかし、高級マンションに住みながらも、ワンカップ大関を飲むだろうか。いや、飲まない。高級マンションに住むオッサンはワンカップ大関を飲まない。これは間違いない。
しかし、その日はクリスマスイブである。高級マンションに住むオッサンであっても、その家に居場所が無ければどうだろうか。考えるのもいたたまれないが、世界で一番ステキなロマンスを重ねて結ばれた嫁とは、今や別のベッドで寝て、世界中のあらゆるものを犠牲にしてでも守ると誓った娘とは、顔を合わせるたび、洋画の嘔吐シーンを観たときのような複雑な皺を浮かべられるとしたら。
クリスマスイブという特別な日に、シラフで家に帰れるだろうか。否、飲まずにはいられまい。
3 結論
ということで、結論としては、素晴らしい家庭を持ちながら、自分の居場所がないオヤジだったと思う。
なんなら現実逃避に、打ちなれていないパチンコを打っていたかもしれないが、なんにせよ、あのオヤジは、クリスマスイブの街の中で、一番その瞬間を楽しんでいたように思う。私にとっては、迷いのない街中のオヤジに、その日一番のカッコよさを感じた。
辛いばっかりで、飲めば飲むほど、酔いは増せど幸せは増えないワンカップ大関を、あれほど自然に”摂取”したクリスマスイブのオヤジ。
娘に嫌われる原因となった加齢臭や過干渉、くっさい屁やデカすぎるクシャミ、セクハラじみた発言、嫁に伝えそびれた普段の感謝、そんなことに気が付くこともなく、オッサンの一日は飯田橋の欄干で過ぎていく。ワンカップ大関で宵闇に溶けていく。そして酒臭い体臭を纏い、家庭へと戻っていくのだろう。
オヤジ臭い!近寄らないで!!
臭
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