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おやすみの代わりに

ぺんてるの絵の具のチューブを締め付けて広がった黄色の液体に溺れて死にたい。

1日が焼け野原みたいに何もない、何も育たない。咀嚼音ばかりが壁に染み込んだ部屋の中で、思い任せに言葉を書き連ねる。

書いている間しか自分は生きていないんだ、なんてそんな腐ったセリフをぼくは吐くほど芸術を愛していないし愛されてもいないけど、書いている間しか存在しない自分もあるわけで、その自分は今から3分という限られた時間しかいない、そう決めた。

つまりこれから3分の間で文章を書き続けて、その電光のような信号の終着点にはベッドが待っている。これから眠りにつく。眠りにつくけど誰もおやすみと言ってくれないし、誰も子守唄もうたってくれないし、絵本も読んでくれないから、自分で自分を眠りの国へ運んでいかないといけない。

眠りの国へ歩いていくためには、まず余計な荷物をおろして身軽にならないと、目的地にたどり着く前に寄り道ばかりをする可能性があるから、ただこの白い画面に言葉を吐き出すんだ。白い土地を汚していく。べとべとに、ぎたぎたに、毒毒しく。

書くこと、そう書くこと。僕は書くことが好きだけど、命を鉛筆削りのように削って書いたものや、ただ独り言をつぶやくように行き場のないシャボン玉みたいに浮力を持った言葉たちがあって、自分がどれだけ苦しんでも苦しまなくても、嬉しくても嬉しくなくても、文章は結局読まれたときに君がどう思うか、それだけなんだね。

ぼくは文章は生き物だと思っているから余計なことを書いたり、本当なのに嘘みたいに書いたり、思うように全く行かないから、時々振り落とされて制御不能になることもあって、それが書いていて楽しい瞬間で、脈絡のない夢にも似ているってそう思うけど。

家のベッドじゃなくて名前も知らない土地の、蝶ばかり飛ぶような草むらで死体のように眠りたい。

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