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【雑記】理解するってことを、どうやら他者に委ねていたらしい

大学の研究室に入った頃から、野崎さんは「理解のレベルが低い」「もっと知識を使う工夫をしてみてね」と言われるようになった。

これを言われて、そうか私は努力不足なんだと思った。
報告書なら、もっと丁寧にたくさん説明しよう。
テストなら、もっといい点取れるように勉強しよう。
説明なら、技術用語を使って、細かく説明しよう。

その結果、私は長い報告書を書き、短時間でいい点が取れる方法を身につけ、なんだか難しい言葉で長い話をする人間になった。

なんか違うなと思ったけど、大学は卒業できたし、教授陣からも「頑張って研究していたね」と言われたので、私はちょっとした自信を持って、学生を終えた。

就職した頃から、野崎さんは「業務のこと理解している?」「なんでそんなに考えが浅いのか」「なんで作業に飛びついて、計画性なく行動するのか」と注意されるようになった。

努力が足りないんだと思って、サービス残業なんて気にしない、就業時間外でも勉強しようと、一生懸命、業務の手順や専門用語を覚えた。
やり方がわからなかった。

とても褒められる仕事と、どうしようもなく叱られる仕事があったが、何が違うのかがわからなくて、辛かった。

最近になってやっと、やり方が違うらしいことがわかった。

別の部署の管理職に、自分の業務成果を説明しているときに彼に言われた。「言っている日本語はわかる。だた、ちょっと、僕の中で理解するから、説明を一旦ストップしてもらっていい?」

衝撃だった。
日本語がわかることと、理解することは違うらしかったからだ。
あと、そうか。理解は自分の中で理解するのか。

よくよく振り返ると、私の中では、
 ・(学生時代なら、資格取得なら、)テストの点が合格点以上なら、理解している
 ・報告書、レポートなら、全部書けたら、理解している
 ・業務なら、作業が終われば、理解している
だった。

自分以外の基準で理解したか否かを、はかっていたんだ。
なんとなく、学生時代、新入社員時代に言われたことの辻褄が合っていく。

気づけてよかった。
治し方がわからず、どうしようもなく辛い。
できるようになりたい。
なんでみんなできることが、できないまま大人なんだろう。
知識を使えれば理解ってどういうことだろう。

希望があるようなないような気分で、常に頭が浮いている感じがする。
でも、気づけてよかったということは間違いない。

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