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うるう年にまたひとり(1222字)

少し遅いですが、明けましておめでとうございます。
今年の私に課せられたミッションは、楽しむこと。限られた時間を自分に注ぐこと。後悔のない毎日を目指すこと。

大学入学からはや一年が経とうとし、あっという間に時間が過ぎていくのを感じる。正直中高の時間の流れは遅かった。楽しいことよりも、苦い記憶や葛藤に揉まれてどこか早く抜け出したかったような感覚を未だに思い出す。コロナに阻まれ、様々な息の詰まるような悔しさと共に過ごした。今は、そんなことはない。自分の作りたかったもの、行きたかった場所、会いたかった人、観たかったもの、大概思いのままに企める。なんて素晴らしい。

やはり私が私でいられるのは、大好きな表現に囲まれているときなのだろう。

今年は特段差し迫った壁が立ちはだかっていない。受験は終わった、就活はこれから、ぼちぼちで大丈夫。
元旦に引いたおみくじにも、「学問:無理はするな」と書いてあった。末吉の割に優しいじゃん、神。神が言うってんならと勝手に安心。

今年は自分自身に大きなイベントがあるわけではないが、一つ大きなことがあるとしたら、うるう日だ。うるう年のうるう日、4年に一度、時のずれを修正するために設けられる2月29日。
これを特別に意識して迎えるのは今年が初めてだ。

’12、’16、’20と3回にわたって公演された小林賢太郎プロデュースのソロ演劇作品「うるう」。私が知った時には、もう壇上に彼の姿はなかった。DVDで観た画面の向こうのヨイチとマジルはイキイキしていて、切なくて、美しかった。私の目には見えないマジルがヨイチの目には確実に見えていて、確かに人の熱があって、やわらかい少年の肌があった。胸の奥までスッと溶け込んでくるチェロの旋律と真っ直ぐな歌声、カノンに合わせたまちぼうけ。
膨大な時の中に閉じ込められたヨイチのあまりに人間的すぎる激情は何度見ても涙を誘う。

この素晴らしい作品が公演されないうるう日は16年ぶりになるということ。
彼に出会っていなければただの366分の1日でしかなかっただろうその日を、今は半ば緊張の心持ちで控えている。客観的に見ると少し滑稽なような気もしてきた。でもそれほどの力が、この作品にはあった。

今年のうるう日も、どこかの森の奥でうるうのおばけはなくのだろうか。
また10歳、歳をとっているのだろうか。

「ひとりになりたがるくせに、寂しがるんだね」

優しさと、思いやりと、卑屈と屈折と諦念。
他責を自己犠牲にすり替え、希望を捨てて”なく”。
葛藤の中の人間性は、彼自身の内側から生まれるべくして生まれた表現に違いない。
そしてこの作品はハッピーエンドともなくバッドエンドともなく、さしずめ”トゥルーエンド”だろう。絶妙である。だからこそ最後の舞台にしたのかもしれない。

当日は誰かと一緒にうるうを観てもいいが、ほの暗い部屋で一人で観てもいいなと思っている。
凪いだ時をじっくりと味わうなら、一人のほうがいい。
思う存分泣いていいし。

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