見出し画像

桜前線、常居次人。(1685字)

桜前線、英語でCHERRY BLOSSOM FRONT。

今日はラーメンズのツアー公演
「CHERRY BLOSSOM FRONT 345」
について書こうと思います。

公演は2002年の3月から5月にかけて行われました。
当の私は当時母のお腹の中にすらいませんでした。もっと早く生まれていたかった…!と何回言えば気が済むんでしょうか。

今回『小説家らしき存在』について書きますが、あらすじは省かせていただきます。
ネタバレ上等ですのでもし見たことのない方がいれば、是非リンクから。


『小説家らしき存在』

YouTubeに上がっているこの公演の公式動画の中から私の1番のお気に入り、「小説家らしき存在」について。

既に沢山の人が様々な考察をなさっているだろうと思いますが、ここでは私の感じるままに書きます。

初見の感覚

話が転がるごとに引き込まれ、オチでニヤリ。

やっぱりこういう怖さが好きなんです。

システムや背景を初見で理解し想像するのは難しかったですが、ステージ上の空気の変化だけで震えるものがありました。

それに、恐怖系のネタはより一層お二人の演技力が際立つように思います。

「誰でも一生に一本くらいは面白い物語を書くことができるもんですねぇ。」

すごくインパクトが強かったこの台詞。
きっと同じように印象に残った方も多いはずです。

それもそう、この台詞2回出てくるんです。

どちらも賢太郎さん演じる役の台詞ですが、
1回目は編集者として、
2回目は常居次人として。

これに妙な棘というか、皮肉というか、そういうものを感じました。

特に、「一生に一本"くらいは"」のところ。

煽り口調な編集者の人格に言われると、「あなたのようにただの凡人だとしても」という皮肉的な含みを感じますし、優しげな常居次人の人格に言われると「少なくとも一本なら、誰にだって」と励まされるように感じます。

私は編集者の鋭い言葉を食らったからこそ、常居次人の言葉により優しさを感じてしまったのかもしれません。

でも本当の皮肉はそのどちらも同一人物の発言であること。それも二重人格などではなく、意図的に切り替えている。

なにかこう…表現者ならではの黒い部分を見たような、自分にも突き刺さったような感じがしました。

でも、本当に私程度でも「面白い話」が一本とて書けると信じられれば、もっと前向きに言葉を紡げるものなのだろうかと。

でも「面白い話」って何なんだろう…。

賢太郎さんはあまりウケるスベるでネタを考えない、と語っていましたが、彼にとっての「面白い」は自認性のものということなのでしょうか。

自認と他認、どちらを元にするかでかなり違ってくるところがあると思うのです。それについてはまた今度書こうと思います。

「常居次人」は机上の空論?

常居次人が眠気覚ましと称して抽象的な話について熱弁を振るうシーンがありますが、果たして「常居次人」は机上の空論なのでしょうか。

普通に考えれば、机上の空論です。
そもそもそんなシステム的連鎖が100人続くというのは中々気の遠い話だと思います。

なのに、見たあとは「本当にこんなことあったりして」と夢を膨らませてしまいました。

だって、天才には裏があってほしいから。

素晴らしい才能だ!と崇められる天才の内側で沢山の凡人がめぐり巡る。
凡人が発揮できる1作品分の才能をかき集め続ける。

世の中に才能だけで成り立つ天才なんて居ない。

そう、思いたくなるのです。


そのくせ言っちゃうんですがね、
「向いててぇ、」って。

さいごに

今回、"常居次人というシステムが本当に存在し、実際に仁さん演じる編集者が101人目だった"という解釈で書いていますが、捉え方は無限です。

「101人目だろ。」のくだりも小芝居かもしれませんし、本当は100人も続いている訳じゃないかもしれません。

編集者(賢太郎さん)が、他局である編集者(仁さん)に目を付け、意図的に誘導したのかもしれません。

単純な実験か、他局の妨害か…。

妄想が膨らみます。

凡と非凡について考えさせられる話なのに、作者は非凡なのだから余計。

皆さんも改めてこの不可思議なシステムについての思惑に溺れてみては?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?