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回廊とデコイを経て(992字)

大阪昼の部、最高に楽しかった。
一生お目にかかることはないと思っていた憧れの人に会えて、笑顔が見られて、生の声が聴けて、感無量だった。
映画も、一つ一つのコントやショートフィルムを噛み締めるように観た。不思議で、こわくて、可笑しくて、この時間がずっと続いていてほしいと思った。

そして何より、「監督があの件をもう酒のあてにしている」ことと「次の作品が動き始めている」ことを直接聞いて、嬉しいやら安心するやらで。

上映後、何人かのラークラさんにお声掛けしてお話をした。正直こういうのは初めてで、でもこんなこと滅多にある事じゃないし、ここに居るのはみなラークラ、みなファミリー…!!と勇気を出して話しかけてみた。
「もしかして○○さんですか…?」と切り出すのも、「すうらです」と名乗るのも初めてすぎて違和感が凄かったけれど、よく分からないアドレナリンのせいかずっと楽しかった。
今回話した子はみんな私より年下で、別のところではもう少しお姉さま方も集まってらしたから本当にラークラは年齢層が幅広いと実感した。私とてまだまだ未熟だが、さらに下がいるとは末恐ろしい小林賢太郎の魅力。
みんなのツイートを見ていると、年下の子達の中には、賢太郎さんの作品に影響を受けて創作活動に精を出したり、大学もそういう道に進もうとしていたりする子もいると知った。
ひたむきで真っ直ぐな人と、それに憧れるひたむきで真っ直ぐな人。そんな連鎖。眩しい。

ふと、自分は今の自分に満足しているのか不安になった。創作も舞台も大好きだけれど、本職にしたり大学で学んだりはしようとしていない。学べたら楽しいだろうなと思えど、それとこれとは違う、と壁を作り続けている。ずっと自分は普通の暮らしをして普通の人生を歩むものだと仮定している。普通って、なんなんだろう。

正統を分解してみれば、案外異端の集合かもしれない。今社会に普通に生き、普通に暮らす人たちのどこを、どう捉えて正統と呼ぶのか。いっそ全員異端なんじゃないか。普通な人なんてどこにもいないんじゃないか。

そう言われた気がして、私は私の人生に少しだけ自信を持つことにした。自分が考えて取っていく選択を、生き方を、誇るべきかもしれない。
でも後悔はないようにしたいな、たとえ繰り返しや偽物に惑わされても。

ただ1つ、これからもあの方が進み続ける限り、私は何らかの勇気を与えられ続けるのだろうと感じた。

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