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「と」まる動作を暮らしに取り入れる。 #50音日記

「と」

とまる。ことの大切さを最近は感じる。

学生の間はとりわけ
「何かしら走っている状態」だった。

でも、「たくさんの距離を全力疾走したのか?」
と自問すると答えはNOで、
「バタバタと動いている自分」に
酔いしれていたようなところもある。

「周りよりアクティブと思われたい」とか
「予定が埋まっていることがステータス」とか
そんな不純な気持ちが少なからずあったように思う。

たくさん動くと多くの経験と出会いができて、
それがかけがえの無い糧になっているのは
もちろんで、やって良かったことばかり。

でも、「忙しく暮らしている自分」に酔っていた私は、
「余裕がないんだもん」と正当化しては、
毎日の自分の肌や体調、
遠くの家族への連絡、
近くの友達や彼氏へのコミュニケーションを
ぞんざいに扱って、失いもした。
時間なんていくらでもあったのに。

そして、
「こんなに忙しなく動いているのに、
私はハッピーじゃない」と常に嘆いていた。

馬鹿だな、
と思う。

朝起きて白湯を飲むこと。
体重計にのる頻度を増やすこと。
週に一度はパックをすること。
月にひとつは美容を楽しむこと。

毎朝スマホでいいからニュースに目を通すこと。
スタンプでもいいから即レスすること。
月に一冊は本を読むこと。

一汁三菜の献立を考えること。
毎日5つのtoday's goodを思い返すこと。

見たい夢に合わせて可愛いパジャマを選んで寝ること。

感情的になった時は深呼吸すること。

「静止」がある暮らしは
いとも簡単に実現したし、
思考と気持ちの余裕を生んだ。

そして何より、
「忙しなく動く自分」じゃなくて、
「走る目的、走り方を意識した自分」を
作りやすくなった。

静止することは孤独だけど、
走るためには止まることも必要なのだと思う。