アニオタバンドはもうやらない

お世話になってます

たまには普通に思ったことを書く日記でも…と思ったので今日は自分の最近思ったことについて書きます。


「今年はなんかやりたい」という思いからこのnoteでディスクレビューを書くためにたくさんの新譜を毎週聴くというノルマを自分に課して、それをルーティンとして音楽をたのしんでいる。またそこからまたバンド活動を再開したいという思いで、バンドメンバーとも交信しつつ色々と前に進み始めているところだ。


今年はサブスクをフル活用してたくさんの音楽を聴き、noteのみならずTwitterにいるロック寄りの音楽好きさん達に混じって新旧問わず様々な音楽を掘り起こして楽しんでいるわけだが、そこでサブスクというツールの持つパワーにつくづく考えさせられたりもする。

この10年ほぼほぼ新譜も積極的に掘らず、なんとなく興味が湧いたものや元々愛好しているアーティストの作品を聴くくらいだった自分が、「今年からもっと聴くぞ」という意気込みで新旧問わずサブスクを聴き漁り、10年の歳月をゴリゴリと埋めながら邁進する。レビューする上で必要な知識も信頼たる有識者のネット上の文献から学べて、点だった情報は線になっていき知識とさらなるDigの指標となる。

しかしこの土壌がほぼほぼのリスナーに平等に与えられている状況って、「他の人たちが享受し得ないものを自分の足で探して体験して楽しむ」というサブカルチャーの根源から、音楽やアニメなどは既に大きく離れていっているのかも…という疑惑を覚える。

僕が好きなコレはもうサブカルじゃないんか…?

ところで
僕の住む実家では毎朝「めざましテレビ」が流れている。避けることはできないし、「どうしてもやめてくれ」というほど嫌なわけでもないのでそのまま毎朝朝食を取る6:40〜7:30くらいまでの間は視聴することとなる。

サブカルチャーへの愛を持つ僕のようなこじらせ人間からすると僕が視聴する番組でめざましテレビは「最も軽薄なメディア」だと思っている。

あんなに興奮したアニメや映画、音楽、グルメ、お笑い達あんなに心躍ったコンテンツ達がここで雑に消費される瞬間を見てきた。
納豆を掻き混ぜ、ご飯と一緒に口に運びながら僕が熱狂したソレが目の前で輝きを失っていく。そして僕が心から軽蔑する「紙兎ロペ」で毎朝僕の心の潤いは枯渇する。どうせ出社したら枯渇するのであくまで数十分の違いでしかないが…

と若干脱線したが…そんな「最も軽薄でマス向けなメディア」でもあるめざましテレビですらサブカルチャー上がりのコンテンツが当たり前のように紹介されるのだから、やはりサブカルチャーというものの所在はSNSやサブスクから完全に隔離された所にしか無いとつくづく思わされた。


キャンプも、サウナも、街角の隠れ家的カレー屋も、実はめちゃくちゃ美味いラーメン屋も、通がオススメするアニメも、自然発生する粋な言い回しややりとりも…全てSNSがマスに伝わって軽薄なメディアが雑に広めていく。
サブカル界で神格化された才能達は軽薄なメディア上で「私はご本人の作品は聴いた(観た)ことはありませんけど…」と前置きするようなコメンテーター達に断罪され死んでいく。

結果残るのはサブカルチャーの残り香で、元々サブカルチャーだったそれの「サブカル感」だけがそこにあり、実際はメインストリームに雑に投げ出されたソレとそれぞれの付き合い方のみがある。今「アニメ好きなんですよ〜」を「変わった趣味」として消化しようとするのは古臭いバラエティ番組だけで、視聴者からすると「昨今誰でも見るだろ…」と思わされるだけだ。


僕たちJOHNNYPARKがやってきた音楽はオルタナティブロックを軸にしたものであったが、その味付けとして「他にない演出とメッセージ」を前面に押してやっていきたいと当時は強く思っていて、その時トライアンドエラーの末に僕ら3人に見えたのが「アニオタ」だった。

当時の僕らにとってアニメとそれを取り巻く日常、そこから得る影響、そしてアニメを愛好することによる世間とのズレ。それは最もリアルで、最も世間との溝を表現しやすいタームだった上になにより「異端」だった。
実際僕は当時の交際者からアニオタであることをかなり嫌がられていた。

そして僕らが活動を休止して現在、アニメを愛好していることはもう「異端」でもなんでもなくありふれた趣味の1つとなった。もちろん文化への愛は今なおあるが、たくさん見ているかどうかとはまた別に、好きであったとしてそれを音楽活動において前面に出すことが世間的にも自分的にも違うように感じていった。

「世間に認められなくても僕たちはこれを好きなんだ」
って歌えるような代物ではもう無いんだなって。
モチベーション的にも、世間的にも

だからやめることにした

メンバーとその向き合い方は異なっていたかもしれないが、
正直僕は「俺はお前たちとは違うぞ!変な奴なんだ!」
とアピールしたかっただけなんだと思う。恥ずかしながらそういうところはある。アニメという文化を好きが勝って発信の道具のようにしてしまったことへの申し訳なさや悔やみもある。

今も少しずつ音楽を作っていて、相変わらずそれはひねくれた内容だし、バカであけすけな内容であるのは変わらない。ただ僕らがバンドをやっていく上で「アニオタ」であることは歌うほどのことではもうないし、もっとそのマインドを別の形に変えてゆるく楽しくやっていきたいなと思っている。

正直昨年までは歌いたいことも特になくて、なーんにも思い付かなかったりしてそんな自分にもイライラしていたんだけど、今はメンバーそれぞれ色々な思いがあったり、自分でも歌いたいニュアンスの世界観がどんどん出てきた。

もちろんそこにアニオタであることのアピールは含まれていない。

実際にそれを脱いで作曲している今のスタジオはめちゃくちゃ楽しいし、どんどん新しいイメージが湧いてワクワクしている。

そんなわけでもうアニオタバンドとしてのJOHNNYPARKはお見せできないけど、そのうち新しいものをお見せできたらなって思っています。

最近こんな感じで
サブスクからサブカルについて思って、
そこから派生してバンドでの感覚についても改めて色々思っていたところだった

僕も楽しみだし、楽しみな人がいるならそれは嬉しいことですね。ダラダラしっかりやっていくよ。


こんな感じの日記テイストのやつももうちょい定期的に書きたいな。やっぱり自分のことを話すのは好きなので。どこかで定期的な声のコンテンツもやってみたい。自分でやるのが恥ずかしいので誰か誘ってください切実に。

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