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【自分語り日記】11年住んでた町へ久しぶりに行って充電してきた

最近、自分の心の動きをきちんと文章にまとめることが今の自分に必要だと思っていて、読書記録として開設したnoteだけど日記もなるべく上げていこうと思う。
誰にも見せない形で日記をつけることにはどうしても抵抗があって、自分の心の内を好き放題言葉にしてしまえるのはなんだか危険だと思ってしまうので、あくまでnoteという一般公開された、自分以外に読む人がいる場所に日記を書いていきたい。

先日、祖母が亡くなったという話をnoteに書いた。両親が共働きの僕を幼い頃から面倒見てくれた、大好きなおばあちゃんだった。コロナの影響でここ数年会えず、そのまま逝ってしまったのはとても悲しかったけど、安らかに逝けたようだし、お別れもちゃんとしてきたので、今は「お疲れ様でした」という気持ちでいる。

祖母が亡くなった数日後に、実は僕はライブ出演の予定があった。

僕は上京してからずっと一人で音楽をやっている。
バンドをやりたくて東京に来て、結局友達に恵まれずに一人で音楽をやり始めてズルズルと、気づけば12年も経ってしまった。
いまでは音楽活動の中で出会った友人のバンドに参加したりもしているけど、自分で作る音楽はずっと一人でやり続けている。しかしここ数年はそれも全く活動しておらず、今回のライブは実に4年ぶりのライブだった。

活動していない4年間、自分はもう音楽を作るのはやめようと思っていた。単純に自分の承認欲求に振り回されるのに疲れた。本を読み、ぬいぐるみを愛で、植物を愛で、友達とゲームをする。そういう日々をただ送りたいと思った。

しかし今回、音楽活動の中で出会った一番の親友が率いるバンドから、ライブ出演のお誘いが来た。そのバンドが気合の入ったCDをリリースすることになり、そのイベントに出てほしいとのことだった。
彼も僕が音楽から離れたがっていることを知っていたので、「止まっている音楽をまた動かすのはとてもエネルギーがいることだと思うけど、自分たちと歴史を共にした尊敬する音楽家としてぜひ出てほしい」というようなことを言ってくれて、その熱意に負けて出演することにした。

ギターをギターケースから出すことがすでに何年ぶりかわからない。プニプニになってしまった指で硬い弦を押さえて、もう忘れてしまった自分の曲のコードを必死に思い出し、練習した。

練習を見守るぬいぐるみ

また、そのイベントのフライヤーも僕がデザインして、企画者のバンドがリリースするCDのレイアウト・デザインも僕がやらせてもらった。そういう意味で自分にとっても気合が入ったライブだった。気づけば僕は新曲を書いていた。

しかし、祖母が亡くなり急遽地元へ帰ったことで、そのライブ出演は直前にキャンセルすることになった。
こればかりは仕方がない。このことで祖母を責めるつもりもないし、神様のいたずらだと考えるほかない。ライブはいつでもできるし、またやればいいだけのことだ。

それでも、目を背けていた音楽にもう一度向き合う気にさせてくれたライブだったし、大好きな祖母がいなくなってしまったことも重なって、自分の中にはポッカリと胸に大きく穴が空いてしまったような気持ちだった。正直、「ライブはまたやればいい」と簡単には切り替えられない自分がいた。

葬儀を終えて東京に帰ってからは、何もやる気が起きなかった。
大切にしてきたものはいとも簡単に取り上げられてしまう。それなのに自分は何年もズルズルと何をやってきたんだろう。上京してからの12年、一体何を得られたんだろう。
東京にいて祖母に何もしてあげられず、音楽も中途半端で、長く付き合った恋人とも結局ダメになっていった。
自分の根底にはずっと覆せない「寂しさ」があって、音楽も、趣味も、何者かになろうと努力する行為や、新しく始めようとする色んなことのすべてが「寂しさ」を誤魔化すためでしかなく、結局いつか剥がれてしまうものなのだと思えた。最初から孤独だったけど、それに気づくことで今度こそ本当に一人ぼっちになったような気がした。

東京に戻ってきてから、誰とも連絡を取らず淡々と仕事をこなして寝るだけの日々を数日続けていたとき、突然ふと思い立った。

「明日、祖師ヶ谷大蔵に行こう。」

祖師ヶ谷大蔵駅前

祖師ヶ谷大蔵は、僕が上京してからの11年間を過ごした街だ。下北沢が近い。その理由だけでこの街を選んだ。
今からちょうど1年前、長く住んだ祖師ヶ谷大蔵を離れてついに引っ越した。11年も同じ、狭いワンルームの安アパートで暮らしていたのもすごいことだが、もう自分もいい歳で収入も割と安定してきたので良い部屋に引っ越そう、ここで過ごした孤独な日々から逃げ出そう、そう思って去年引っ越しを決意し、決行した。

祖師ヶ谷大蔵に行くのは引っ越し以来1年ぶりなので、別にめちゃくちゃ久しぶりというわけでもない。ただ、自分にとって呪いのような11年の思い出が詰まった街に行くことが今はとても大事なことだと感じた。
祖母が亡くなって実家に帰り、祖母や家族との思い出を反芻するなかで、自分が生きてきた道程を思い出すことが辛いときとても力になると気づいたからだ。
地元での思い出はチャージ完了した。だから今度はこの呪いの11年を反芻するときだ。

祖師谷に僕が住んでいた最後の1年の間にオープンしたブックカフェがあり、そのお店が気に入って僕もよく通っていた。オープンしたばかりのそのお店にとって僕はほぼ初めての「常連さん」だったらしく、僕が街を離れることを告げたときは泣きそうなほど悲しんでくれた。とはいえ都内暮らしは変わらないし片道1時間以上かかっちゃうけど必ずまた来ます、と言ったにも関わらず結局丸一年経ってしまっていた。

祖師谷に行くなら絶対このお店に行こうと思って前日に予約を入れたら、「いつもの席をお取りしておきます」と言ってくれて、温かく迎えてくれた。今では常連さんで賑わうとても良い雰囲気のカフェになっていた。

手作りピザが本当に美味しい!

1年前、最後にそのカフェに訪れたとき、餞別としてお店の本を一冊プレゼントしてもらっていた。家族のような温かさがある素敵な雰囲気のファンタジー小説で、普段自分が好んで読むタイプの小説ではなかったものの、そういう本を僕にプレゼントしてくれたのが嬉しかった。

だから絶対にそのお返しをしたいとずっと思っていて、1年ぶりにそのお店を訪れて僕からはいしいしんじの「麦ふみクーツェ」をプレゼントした。
お店からもらった本を読んで、そのお店の雰囲気ともマッチする温かさを持った、僕にとっても大好きなこの一冊がお返しにふさわしいと直感して選んだ。店主もすごく喜んでくれて嬉しかった。

(しかし、プレゼントしてから自分でも麦ふみクーツェを読み返しているんだけど、記憶していたより難解で全体的に暗い……最後まで読んだらとても温かい気持ちになれる作品なのだけど、大丈夫かな……)

自分でも読み返し中

そのお店を後にして、祖師谷の街を散策し、自分が住んでいたアパートの前も通り(自分が住んでいた部屋はまだ誰も住んでなさそうだった、郵便受けが使われていなかったので)、たくさん散歩をした。たった1年だけどいろんなお店が入れ替わっていた。
上京してから11年、色んな無茶苦茶をした20代を振り返っていた。ブラック企業をバックレて反対側の電車に飛び乗って鎌倉に行ったこと、その帰り道で坊主頭にした理容室の前も懐かしみながら歩いてきた。

この街から逃げるように引っ越してきたけど、この街も自分が生きてきた道程の中でとても大事な位置づけにある場所で、1時間かければいつでも自分の「居場所」といえるところに帰れるんだな、ということに、とてもパワーをもらった。

このnoteを書いているたった今気づいたけど、自分がやっていることって『MOTHER2』で主人公・ネスが「おまえのばしょ」を訪ねていくのと全く同じじゃないか?その「ばしょ」を巡ることでパワーを得て、覚醒する。『MOTHER2』も自分にとっては感性の原点といえるゲームで、そのゲームと同じ行動をして同じようにパワーを得ていくのはなんだか面白いなあ。祖師ヶ谷大蔵はまさに自分にとって「おまえのばしょ」の一つだった。

根底の「寂しさ」が消えたわけではない、消えることはないし、また上塗りしたものが剥がれてしまうかもしれないけど、人はどこまで行っても結局ひとりなのだから、孤独を隠すようにペタペタと上からなにかを貼る行為そのものが生きる意味になってもいいのかもしれない。

だから、音楽をやろう。デザインの勉強をしよう。読書やぬいぐるみ好きな友達を増やそう。筋トレもサボらないようにしよう。生き物を飼おう。寂しさをどんどん誤魔化して生きよう。今はそう思っている。

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