高齢出産の話


叔母が妊娠した、という事実を告げられた。
叔母は41歳。高齢出産という分類にあたるのだろうか。もう6週目だと嬉しそうに語っていた。

子供は可哀想だと思ってしまう。
自分じゃなくて良かった、とも言い換えられるけど、それを言いたくないというワガママもある。何これ。

別に私は反出生主義というわけではない、と思う。でも、今回の件について素直に喜べるほど出来た人間では無い。

ことのきっかけは叔母の彼氏(籍は入れておらず、事実婚状態)が「自分と同じ名字の子供が欲しい」と言い出したことである。
何となくこの文脈、文章に違和感を感じるのは私だけだろうか。
「俺はお前だけが欲しい」「お前の家族と仲良くしてやってたのは俺の優しさだ。もう関わりたくない」と半ば何とかハラスメントに当たりそうな発言を連発していたそうな。
……私だったら多分それで「子供作ろう!」にはならないだろうな。たとえ家族が嫌いだとしても、相手方の家族にそんなことを言う人間が良い父親にはなれそうにないな、と思うので。

そんな叔母が遂に子供を妊娠したと。

ちなみにこの事実婚夫婦には、お金は無いし父親となる彼氏は万年金欠どころか生活保護を貰っている無職である。車いじりで金を貰っているとかいないとか。(それ不正受給なのでは?)叔母は家族経営のなかなかに腐った実家の自営業を手伝っている。

経済的にも身体的にも無事とは言えない中で産まれてくる子供は、はたして本当に幸せと言えるのだろうか。
仮に高齢出産のリスクでよく挙げられる障害のある子供が生まれても、この人たちが責任を取って育てる姿が目に浮かばないのは何故なのだろう。

こんなことを言う私が間違っているのかもしれない。生まれた子供に罪は無いと思う。ただ、「こんなエゴまみれの親のところには生まれないで欲しい」と思うのは私の自由だと思いたい。

高齢出産で生まれた子供の末路を描いた漫画を高校生の時に読んだ。1人で2人のおじいちゃんとおばあちゃんを介護する日々。ボケて自分のことがわからなくなった父親と母親。何だか幼児退行しているような父母の対応に追われる青年。仕事もあるのにどうしようか。そのお話の最後、結局彼は自分の命を絶つことを選んだ。

私は20歳以上年下のいとこになるだろうその赤ちゃんがいつかこんな未来を歩むのを見ていられるだろうか。
なんなら自分の子供と言ってもおかしくないような年下の子がこんなに辛い思いをするのを止めずにいられない気持ちがある。

何となく強迫観念に近いような気もするけれど、私には関係ないから、と目を背けることすら許されないような気がしている。

生まれてくるタイミングも親も何もかも選べない、傍から見たら既に親ガチャ大失敗のようにしか見えない。そんなことを言うのも良くないのかもしれないが、あの夫婦はもしかすると子ガチャ失敗等と思うタイプの人間なのでせめて子供側の立場から皮肉らせて欲しい。

生まれたくないなんて言えないのが人間の生まれる瞬間だと思う。
親になれるような人間が親にならないこの時代、私もあの子も親を選べずに生まれてきたと思う。
私は母親が欠けたまま20数年生きてきて、あの子は年老いた親に育てられる。申し訳ないけど、母親がおらずとも祖母がいたから上手く育ってきた自分の方がまだ幸せなんじゃないかと思う。
本当の不幸は自分が幸せでないことに気づけないことなんじゃないかな、と思った。
私ももしかすると生まれは不幸なのかもしれないし、そうでないのかもしれない。物事の物差しなんてそんなもんだと思う。

あの子が生まれるのは来年の夏らしい。
20数歳年下のいとこが、どうか幸せになれますように。

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