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ジャッジをせずに「知る」

何かを知ろうとするときにはジャッジをせずに「知ることだけ」に集中したい。

「それってどういうことだろう?」

そんなふうに疑問がわくと、その人たちがどんな人たちでどんな暮らしぶりなのか知りたくなる。

この地域にヨーロッパ系アメリカ人が到着する前は、125の異なる先住民族と50の方言が存在したと推計されている。
今日、ワシントンには20以上のインディアン居留地があり、その中でも最大のものはヤキマ族のためのものである。


先住民は今 二つの世界に生きる

世界中の先住民たちを待ち受けているのは、どんな未来であろうか。そして、21 世紀に先住民として生きるということは、何を意味するのであろうか。


21 世紀の先住民
 ウィルマ・マンキラー


ウィルマ・マンキラーは、チェロキー・ネイションの元首長で、同部族では初の女性首長を務めた。著作活動のほか、長年にわたって先住民のための人権運動に従事しており、 1998 年、大統領自由勲章を受章している。

世界中の先住民たちを待ち受けているのは、どんな未来であろうか。そして、21 世紀に先住民として生きるということは、何を意味するのであろうか。


植民地主義に根差した問題
多くの先住民およびその権利擁護グループの努力が実り、2007 年 9 月 13 日、国連総会で「先住民族権利宣言」が採択された。
大多数の国はこの宣言に賛成票を投じたが、米国、 ニュージーランド、カナダ、オーストラリアは反対した。
しかし、この4カ国の姿勢も変化してきている。オーストラリアのケビン・ラッド首相は最近、オーストラリアもこの宣言を承認すると発表した。


共通の問題
世界の先住諸民族は、多く面で異なるものの、共通の価値観もいくつか持っている。
例えば、彼らは、時として断片的であるにせよ、今までもはっきりと存在する助け合いの感覚や、自分たちの生活がその土地の一部であり切り離せないものであるという明確な認識を持っている。
そして、人間のみならずすべての生きものと互いに依存し合っているという彼らの中に深く根付いた考え方が、食料、医薬、そして精神的な糧の聖なる供給元である自然を保護しなければならないという義務感と責任感を奮い立たせているのである。

先住民族のコミュニティでは、価値観が大きな意味を持っており、そこで最も尊敬を集めるのは、物質的な富を築いた人でも、個人的に素晴らしい業績を残した人でもない。最も尊敬されるのは、他の人々を助ける人、そして自分の生活はさまざまな相互関係の中で展開しているのだということを理解している人である。

先住民コミュニティでよく話し合われるのは、伝統的な先住民とは今は何を意味し、将来は何を意味するようになるのかということである。

21 世紀の先住民であるということは、破滅的な貧困や抑圧に苦しみはしたものの、伝統的な物語 や言語、儀式、文化の中に、慈悲や安らぎを感じる瞬間を数多く見出すことのできるコミュニ ティの一員であることを意味する。

21 世紀の先住民であるということは、この地球について 最も貴重で最も古い知識をある程度持っている集団、つまり、現在も大地と直接的な関係を持ち、大地に対して責任感を 持っている民族の一員であることを意味する。

21 世紀の先住民であるということは、自分の考えに改めて自信を持ち、自らの将来のビジョンを明確に言葉にするだ けでなく、そのビジョンを実現するための人材と指導力を自 分たちのコミュニティの中に持つことを意味する。

先住民であるということは、事情はどうであろうと、世界中の人々が先住民の人権と自決を支持する将来が来ると夢見ることができることを意味する。

土地や資源を植民地化することはできても、夢まで植民地化することは決してできない。


ネイティブアメリカの生きている伝統
 ガブリエル・タヤック

歴史家ガブリエル・タヤックはワシントン DC にある国立 アメリカインディアン博物館(NMAI)の学芸員である。タ ヤックは、チェサピーク湾地域に住んでいたピスカタウェイ族の子孫であり、祖父のターキー・タヤック首長(1895-1978) は、伝統療法による治療者であった。

「大地とわたしの心はひとつである」
――ジョセフ首長


自らをニミプ(Nimipu、「人間」の意)と呼ぶネズパース 族のうちの一団の人々を率いていたジョセフ首長(1840- 1904)はその生涯のほとんどを、米国西部のゴールドラッシュに引き寄せられた白人入植者による侵略の真っただ中で過ごした。

米国政府はネズパース族に対し、現在のオレゴン州、 ワシントン州、アイダホ州を含めた彼らの本来の土地に、居留地を確保すると約束した。しかし、1863 年までに、ネズパース族の土地は600 万エーカー(240 万ヘクタール)縮小され、本来の面積の 10 分の 1 になっていた。

ジョセフ首長は不本意ながら居留地へ移ることを承諾したが、若い戦士たちが暴力で抵抗したため、ネズパース族は米国軍に追われることに なった。

ジョセフ首長は見事な戦略でこれに対抗したが、 1877 年、ついに降伏を余儀なくされた。
飢餓や寒さ、病のため、部族の人々が弱り切ってしまったためである。
上に引用した言葉は、ジョセフ首長が降伏に当たって口にした言葉である。
彼は、死ぬまで愛する故郷ワロア峡谷へ帰ることを 許されなかった。


例えば、 アメリカ文化について知識がある多くの人は、感謝祭という 11 月に特別なごちそうを食べる行事が、17 世紀の、アメリカ先住民と清教徒入植者の平和的な交流から始まったことを知っているであろう。
だが、感謝祭の元来の意図が、先住民たちが毎日行っている世界の豊かさに対する感謝、そして責任を表現する伝統的な儀式に基づくものであるということは、米国でもあまり知られていない。
先住民には、季節ごとにさまざまな感謝祭があり、例えば北東部の部族は、毎年6月 に「イチゴの感謝祭」の儀式を行っている。

生きる者の世界「美をもってわたしは話す。だからわたしは心穏やか」
――ナバホ族の祈りの言葉


多様な先住民文化の奥深い教えは、しばしば、「原初の教訓」 と呼ばれるが、その意味するところは、この世界における人間の生き方は、創造主またはその他の霊的な存在から人間に伝えられたものだということである。
メキシコ以北のアメリカインディアンは、各部族がヨーロッパ式の書き方を取り入れるまで文字を持たなかったため、これらの概念は物語や歌、 踊りに埋め込まれ、口述で伝えられてきた。
ただし、先住民の哲学といったひとつの体系があるわけではなく、何百もの哲学が存在する。

自然界や精霊界とバランスを保ちながら生きること、この世界における人間としての役割に敬意を払うこと、家族およびコミュニティとしての責任を進んで受け入れることが、今日の世界でわたしたち先住民を導く共通の文化的価値観である


ナバホ族は、自分 たちのことをディネ(Dine、「人々」の意)と呼んでいる。
ディネの哲学の中核的な理念をホジョ(hozho)といい、英語では簡単に「美」と 訳されている

しかし、ホジョという理念はもっと複雑で、 完全性、バランス、復興といった価値観を表している。多くのディネの祭事や慣習は、個人やコミュニティや世界における調和を回復するために行われる

従って、ある人が、「美をもってわたしは話す」と言う場合、それはもっと複雑な観念―
―自分の考えは、何かを修復するもの、全体論的なもの、 そしてバランスの取れたものであるべきであるということ―
―を言い表しているのである。

コミュニティ

「インディアンであるということは、一部分しかない不完全な何かであるということではなく、何かの一部分であるということである」
――アンジェラ・ゴンザレス、2007 年

アメリカ先住民のアイデンティティーの中核となるのは人間関係である。

彼らの文化では、血縁者だけでなく、一族あるいは生活共同体の関係者も家族に含まれる
また部族の構成員であるということも、 アイデンティティーを決める重要な要素であるが、その部族 の構成員として認められるかどうかは、どの程度インディアンの血を引いているか、すなわちインディアンの血の量「ブ ラッド・クアンタム」(blood quantum)によって決まる。
アメリカインディアンであることは、単に、より広い意味での民族・人種集団に属しているというだけでなく、その構成 員であるための資格が定義されている特定のコミュニティに 属しているということである。
母親の家系をたどる部族もあ れば、父親の家系をたどる部族もあるし、また 20 世紀初頭 に米国政府によって定められた基準を採用している部族もあ る。部族によってそれぞれ独自の定義を持っている。


大地との結び付き
 わたしの場所、わたしのアイデンティティー
 アンガユクアーク・オスカー・カワグリー

わたしは先日、「アラスカはあなたのもの」というタイトルのテレビ番組を見た。

一体どうやって、誰かがアラスカを「所有する」ことなどできるというのであろうか。

わたしの祖先代々の言い伝えでは、大地がわたしを所有しているのだ。

わたしの場所を特徴づけているのは、その寒さである。その寒さがわたしの言語、 わたしの世界観、わたしの文化、そしてテクノロジーを作っ た。

しかし、今や寒さは急速に弱まっており、その結果、辺りの風景が変化しつつある。
風景の変化は、ユピック族や、 その他の先住民の心象風景を混乱させ、さらに、生まれつき母なる自然の摂理を読み取る者たちと動植物相との歯車がう まくかみ合わなくなってきている。

クスコクウィム川沿いに住むわたしたちユピック族は、ハンノキが葉を出すのを見て、スメルトという小魚がいつ川を上ってきてたも網ですくえるようになるかを判断していた。
またハンノキの芽から葉が出始めるとキングサーモンがやっ てくる、などということも分かった。

しかし、春が来るのが 平年よりも 2 週間から 4 週間も早くなると、こうした指標はもはや当てにはできない


風景とアイデンティティー
かつては、わたしたちを取り巻く風景がわたしたちの心象風景を形成し、それがわたしたちのアイデンティティーを作り上げていた。
わたしは母なる自然の切り離すことのできない一部として育った。

わたしは大地を「所有」したり、人間であるわたしよりも強い力を持つことの多い植物や動物を栽培したり飼育したりする立場になかった。

わたしたち民族は先住民族のひとつとして、母な る自然を見習わなければならない。
わたしたちは、エラム・ ユア(Ellam Yua)と呼ばれる万物を司る存在または精霊が、 母なる自然の中に住んでいることを知っている。
だから、自然はわたしたちのガイドであり、教師であり、そして指導者なのである。

この「大いなる意識」に親しむためには、自然の中でかな りの時間を過ごす必要がある。そうすることで、先住民は心の落ち着きを得る。母なる自然はわたしたちに利他的であれ と促す。

すなわち、植物や動物を含め、わたしたちの周囲に あるすべての物、そして母なる大地のすべての要素――風、川、 湖、山、雲、星、天の川、太陽、月、潮の流れ――に最大限 の敬意を払うようにと促すのである。わたしは、知っていな くてはいけないこと、問題を解決するために必要なことはす べて、母なる大地から学んだ。しかし、時代は変わり、大地と共に生きることは以前より難しくなっている。

最初にわたしたちに強い影響を与えたのは、キリスト教伝道者と教育制度である。19 世紀の終わりから 20 世紀初頭にかけて、米国政府と契約を結んだキリスト教の教会によって、 ユピック族の社会に学校が導入された。

アラスカ先住民の若者を対象に、寄宿学校が設立された。
そこで行われた教育は、先住民を技術・機械論的で消費者主義的な世界観に同化させるよう体系化されおり、先住民の言語や文化を抑圧し虐げるものだった。

この頃までに米国は、アメリカインディアンを対象とする寄宿学校を極めて巧妙に設立・運営できるようになっていた。
先住民の子どもたちは、両親と故郷の村から長期間にわたって引き離された。そして、たとえ村に戻って来ても、そこでの生活になじむことはできなかった。


民族自決

「連邦管理終結」を終わらせたのはジョン・F・ケネディ 大統領(在任 1961-1963 年)だが、自決政策を発表したのは ニクソン大統領である。

これは今日も続いている公式の政策 で、この40年間に、先住部族国家は自らを統治しながら自らの運命をより主導的に決められるようになってきた。

今日、連邦政府から承認を受けている部族の数は562に上る。
貧困と医療格差は依然として重大な問題だが、1987 年、「カリフォルニア州対ミッション・インディアン・カバゾ ン・バンド裁判」において、最高裁判所が州にはインディアンが主権を有する土地での賭博施設運営を禁止する権限はないと判決を下した結果、一部の部族は経済的自立を達成した
部族国家の主権が及ぶ領域が拡大したのである。


消滅の危機にある言語
 アキラ・Y・ヤマモト

日本生まれのアキラ・Y・ヤマモト(山本昭)は、研究者 としての長いキャリアを、消滅の危機に瀕している先住民の言語や文化の振興にささげてきた。
現在、カンザス大学の人 類学および言語学の名誉教授。米国言語学会の「危機言語とその保存に関する委員会」の委員長、および国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「危機言語専門家特別部会」の共同議長を務めた。数多くの著作があり、ワラパイ語やキカプー語、 俳句に関する著作もある。


米国の先住民言語
ヨーロッパ人との接触が始まった頃、北米には50 を超える語族に属する先住民族の言語が300程度あったと推定されている。

1891 年にジョン・ウェスリー・パウエルが行ったアメリカ先住民の言語について初めての主要な分類では58の語族が確認された。

『地図』によると、1950年以前には米国に192 の言語が存在していたが、その後53言語が消滅し、 一人以上の話者がいる言語数は139となった。

11 の言語は、子どもたちのほとんどがその言語を話すものの、言語の使用が家庭内など特定の範囲に限定されているために「安全ではない」(unsafe)と分類されている。

25 の言語は「確実に危機が迫っている」(defi- nitely endangered)と分類され、これは子どもたちがもはやその言語を母語として習得していないことを意味している。

32 の言語は、話者が主に高齢であり「深刻な危機に瀕している」(severely endangered)。

71 の言語は、最も若い話者が高齢者であるため「消滅寸前である」(criti- cally endangered)と分類されている。

米国では、すべての先住民言語が危機に瀕している。


現状、そして将来の方向

近年、 2言語併用政策に対する考え方が徐々に変化してきている。すなわち、2言語併用教育を、奨励はしないまでも認めるようになってきている。

最も顕著な変化が見られるのは、アメリカ先住民コミュニティ内部の考え方である。 継承言語を使用することを以前は恥だと思っていたのが、今では自らの言語に誇りを持つようになった。
若い世代は先住民言語の復活に意欲的に興味を示し、言語プログラムの数も増えつつある。


制度面でも、先住民言語教育を積極的に進める取り組みが増えている。
「先住民言語研究所」などの組織は、先住民言語の資料の収集および復活に取り組む共同体や個人を、政府や非政府組織、国際機関から助成金や技術援助により支援している。

すべての言語はそれぞれに貴重なものである。
言葉を使って、人間は集団を形成する。
言葉を使って、人間はひとつの宇宙――人間とその周囲の環境との関係が築かれ、育まれ、維持されている宇宙――を創造する。
われわれがひとつの言語を失うということは、ひとつの世界観、ひとつの固有なアイデンティティー、ひとつの知識の宝庫を失うということである。
われわれは多様性と人権を失うのである。


ナバホ族の長老の言葉が、それを雄弁に物語っている。

目を開けて見なければ
空はない。
耳を傾けなければ
祖先はいない。
呼吸しなければ
大気はない。
歩かなければ
大地はない。
話さなければ
世界はない。


(ナバホ族の長老の言葉をヤマモトが意訳したもの。PBS テレビ、ミレニアム・シリーズ「部族の知恵と現代世界」よ り)


※本稿に述べられている意見は、米国政府の見解あるいは政策を必ずしも 反映するものではない。


儀式
 ジョセフ・ブルチャック

アベナキ族の血を引いていることに触発されたジョセフ・ブルチャックは、アメリカ先住民の物語作家となり、さまざまなアメリカ先住民部族の伝統に光を当てることにその生涯をささげている。

アベナキ族は、北米東部でワバナキ同盟を結成していた 5部族のうちのひとつである。

ブルチャックには、 大人や子ども向けの詩、フィクション、 ノンフィクションなど70冊以上の著作があり、全米図書賞、全米子供向け科学書賞、チェロキー・ネイション散文賞、児童文学の優れた功績に対するホープ・S・ディーン賞など、数多く の賞を受賞している。ブルチャックは出版社グリーンフィールド・レビューの創設者であり、米国内外で物語作家として幅広く活躍している。

美を前にわたしは歩く
美を足元にわたしは歩く
美に包まれてわたしは歩く
美の中ですべては回復される
美の中ですべては完全になる
――ディネ(ナバホ)族『ナイトウェイ』より


「毎朝目覚めて台所で水を飲むとき、わたしはいつも 水への感謝を忘れないようにしている」

 この言葉は30年前に「オノンダガ・クランマザー(族母)」であるデワセンタがわたしに言った言葉である。デワセンタは、万物の間に神聖な関係があることや、わたしたち人間にはその関係を受け入れる義務があることを、いつもわたしに気付かせてくれた。

米国人の生活の中でこのような神聖な関係を表すやり方のひとつに、ヨーロッパ人が儀式と呼ぶものがある。
辞書の定義によれば、儀式とは、慣習や部族が定める手 順に従って厳粛に執り行われるひとつの(または一連の) 形式的行為である。
この定義は確かにその通りであるが、 アメリカインディアンにとって、儀式は生活そのものだと言うこともできる。

モホーク族の長老トム・ポーターは、インディアンに儀式が多い理由のひとつは、人間は忘れっぽいからだと説明した。

われわれが、毎日感謝すること、そして感謝と尊敬の念を持って行動することを忘れなければ、それで十分だろう。

だが、われわれが物事を忘れるたびに、それを思い出すためにより多くの儀式が必要になるのである。

アメリカインディアンの儀式は、祈りとともにタバコ を供えるといった単純なものもあれば、ディネ族の癒しの儀式のように複雑なものもある。

こうした伝統的儀式 はウェイ(Way)と呼ばれ、高度な訓練を受けた hataaXii(「詠唱者」)が執り行う。詠唱者は、ひとつ(あ るいは複数)のウェイについて、詠唱の言葉や手順を何年もかけて覚える。

ウェイはそのひとつひとつに、それぞれ異なる癒しの目的がある。

最も一般的に行われる「祝 福のウェイ」は、個人の身体的・精神的なバランスを回復するために行われることが多い。
「敵のウェイ」は、 戦場で敵に触れたことで霊的なバランスを崩したディネ族の者に対して行われる。

この癒しの儀式では、色のついた砂と砕いた木の皮を使って地面に砂絵が描かれる。

砂絵は、ディネ族の天地創造物語に出てくる出来事を描いた世界観図のようなもので、「双子の英雄」が怪物に勝利した場面を示すものと思われる。

癒しを受ける人は砂絵の上に座り、詠唱者が特定の癒しのウェイを詠唱する。これらのウェイは全部終えるのに数日かかることもある。
癒しのウェイでは、その手助けをしたい者の存在 が成功の可能性を高めるとされることから、多くの人が儀式に招かれる。

単なるゲームとしか思えないような行事も先住民の儀式の一部であることが多い。現在ではラクロスとして知られているアメリカインディアンのゲームがそのひとつ。

 モホーク語で Tewaarathon と呼ばれるラクロスは、「偉大なゲーム」もしくは「創造主のゲーム」である。
ゲー ムでは、距離が数マイルにも及ぶ野原が競技場として使われ、ひとつ以上の村の全員が参加することもあった。
このゲームは、通常、一人の人間の健康回復を手助けするために行われ、その人物にささげられた。

イロコイ族 の預言者ハンサム・レイクは、1815 年にオノンダガ・ ネイションを最後に訪ねた折に体調を崩した。
死に至る病を患ったこの長老を回復させようと、直ちにラクロス のゲームが計画され実施された。

(レイクの病気は治らなかったが、オノンダガ・ネイションの人々が与えてくれた栄誉に感謝し、レイクは次のように述べた。「わたしは間もなく新しい家に行く。間もなく新しい世界に足を踏みいれる。なぜなら、そこへわたしを導いてくれるはっきりとした道があるから」)

アメリカ先住民の間で最もよく知られた儀式のいくつかは、センセーショナルな扱いをされてきたか、誤解されてきたかのどちらかである。

太平洋岸北西部の先住民 に多く見られるポトラッチという儀式は、人類学者に「富を用いた戦い」と呼ばれている。
人類学者の説明によると、ポトラッチは、部族の名士が、所有している物を大量にただで分け与えてしまうか壊してしまうことで競争 相手に打ち勝とうとする儀式だという。

カナダ政府と米国インディアン局は、ポトラッチがあまりに浪費的であると懸念を抱き、20世紀の大部分にわたってこれを禁 止した。

事実、ポトラッチは、名声の確立や回復のためにこれ見よがしに行なわれる儀式であったが、先住民にとってはヨーロッパ人が考える以上の意味を持っていた。
ポトラッチ自体は、ヌートカ語で「与えること」を意味 する patshatl という語に由来する。

個人による富の蓄積は、主流のアメリカ文化においては望ましい社会規範であるが、アメリカインディアンの文化においては全く逆だと言うことができるだろう。

ラコタ族の偉大な指導 者シッティング・ブルは、部族の者が自分のことを愛してくれるのは、自分が非常に貧しいからだと述べたことがあった。

物をただで分け与える伝統は、気前のよさを示すことで感謝を表す儀式として、北米の先住民の間で広く行われている。

わたしが聞いた話では、モンタナ州に住むシャイアン族の家族は、自分たちの息子がベトナムから無事 に帰還したら、大々的にポトラッチを行うと約束した。 息子が戦争に行っている間、家族はポトラッチに備えて、 毛布や缶詰などあらゆる品物を大量に蓄え、息子が無事に戻って来るとポトラッチを行なった。それまでに集めた物を全部分け与えただけでなく、息子の帰還を喜ぶあまり、自分たちが使っていた冷蔵庫やテレビ、レコード プレーヤー、ラジオ、軽トラックに加えて衣類まですべ てを分け与えた。最後には、自分の家の譲渡証にまで署名して、他人にやってしまった。

彼らは息子に対する愛情の大きさや Maheo(偉大なる神秘)への感謝を示しただけでなく、部族の中で大いに名を上げた。

貧乏にはなったが、部族の者から見れば彼らは豊かになったので ある。

ポトラッチは、物質的な富を少数者の手に委ねておかずに再分配する最高の手段であった。
19 世紀後半には、 毛布や他の品物がただで分け与えられただけなく燃やさ れるという一般的でないポトラッチが行われたが、これ はヨーロッパの物品が流入し、白人と交易した者が過剰な富を蓄える可能性がでてきたことが原因のようである。
ポトラッチは現在、感謝をささげ、物を分け与えること で名声を得るための儀式として、米国北西部の部族国家の多くで復活してきている。

儀式における歌や物語、踊り、衣装を通じて、またしきたりに従った所作やささげ物を通じて、われわれは自分を取り巻くすべての物と一体になっているということを思い出させてくれる。

自分自身の中でバランスの取れた状態でいること、そして自分を取り巻くこの世界とバランスの取れた状態でいることは、適切かつ自然なことである。

儀式は、われわれがそのバランスを認識し回復する手段と言えるだろう。



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