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それでも夜は明ける/最初に父が殺された (鑑賞記録)

はじめに

日本で生活をしていて、差別で苦しんだ経験も、家族が殺される経験もしたことがない。
歴史を学び始めて知ったのは、それまで起こらなかったからといって、これからも起こらないとは限らないということ。
それに時代のながれ次第で、それらをする側にもされる側にもなる可能性はある。
そういった意味でも、差別とはどういうものなのか、内乱が起こるということはどのようなことなのか知っていたいと思った。


それでも夜は明ける

南部の農園に売られた黒人ソロモン・ノーサップが12年間の壮絶な奴隷生活をつづった伝記。

1841年、奴隷制度が廃止される前のニューヨーク州サラトガ。
自由証明書で認められた自由黒人で、白人の友人も多くいた黒人バイオリニストのソロモンは、愛する家族とともに幸せな生活を送っていたが、ある白人の裏切りによって拉致され、奴隷としてニューオーリンズの地へ売られてしまう。

180年前に実際に起きていたこと。

自分だったらどうするだろう?

ソロモン・ノーサップは自由黒人。
ある時友人から紹介された二人組に、自分たちの周遊公演に参加しないかと誘われたソロモン。
実はこれは嘘で、ソロモンは薬を飲まされ拉致されてしまいます。
目覚めると暗い部屋の中で手首は鎖で繋がれており、彼はジョージアの奴隷逃亡者だということになっていて、他の奴隷と共に収容所へ移送されました。


突然こんなことが起こるなんて想像できるだろうか?


客観的にみてみると奴隷になってしまうことは絶望しかないなと感じた。
奴隷を同じ人間としてあつかってくれる可能性はほぼ無いに等しいだろうし、いい主人に買われ大切にされたとしても、それによって生じた他者からの妬みやひがみから殺されそうになったりするのだ。
主人の言うことは絶対で、暴力や死が身近にある世界。
労働力であり、ストレスのはけ口や快楽のための所有物。
生きることを望むなら、秀でている部分を隠す必要がある。

自分が奴隷という立場であったとしたらどうするだろう?

自分のアイデンティティと自分の命の重み、まず最初にそれらを比べる必要があるなと感じた。
もし生きることを選ぶなら「考える」ことをやめる必要がある。
余計なことは考えず、目立たないことがきっと重要だ。
なるべく主人の意識や記憶に残らないようにすること。
その日を無事乗り切ることだけを考えて生きること。

人はどこまで残酷になれるのだろう?

残酷な性格、選民主義者の農園支配人エップス。
エップスの行動を見ていると心の弱さや苦悩が、選民意識を強くし、それによって万能感を得ているような気がした。


アメリカ独立戦争(1775~83)の中で出されたのが独立宣言です。独立宣言では、「われわれは以下のことを自明の真理と信ずる」として、次のような内容が語られています。「すべての人は平等に作られ、神によって一定の権利を与えられている。その権利というのは生命・自由・幸福の追求である・・・・・・」

宣言に書いてある「すべての人は」という人の中に、黒人と先住民は入ってない。独立宣言で自然権を神に与えられたのは「すべての白人」なのです。

イギリスは国教会ですが、アメリカに渡ったのはイギリス人の中でかなり特殊な人たちです。じつは、アメリカに入植した人たちの多くはカルヴァン派だったのです。
イギリスのカルヴァン派をピューリタンと言いますね。これは「purify(ピュリファイ=清める」から来た言葉で、文字どおり、清らかな禁欲生活をして、一切の邪悪なものを避けていくという考え方の人たちです。それゆえに、自分たちは神によって選ばれた民だという選民意識を強く持っています。自己犠牲の精神と選民思想は表裏一体なのです。


盲信すること、そして自分たちだけが優れていると思うことは、他者を排除することにつながるがそこには大きな矛盾も見え隠れしている。
しかし、走りはじめてしまったから変えられない現状と多種多様な人のさまざまな感情がうごめいて解決の糸口を見つけるのは不可能なことのように思えた。

それでもあきらめず行動した人たちを思うと言葉が出ない。



黒人奴隷を必要とするアメリカ南部の経済
 奴隷貿易は1808年まで続き、アメリカ合衆国の経済には奴隷が必要不可欠になっていた。特に、合衆国南部の州に奴隷が集中していた。農業を中心に発展した南部経済はワタ栽培が重要だったのだ。大規模な綿農場は多くの黒人奴隷が使用されていた。1790年代に発明された綿繰り機が導入され、18世紀を通じてワタ栽培が南部と南西部に広まるにつれて、奴隷労働を前提とする南部の体制は発展していった。1860年までには、アメリカ合衆国の経済は南部が生産するワタに大きく依存するようになり、ワタはアメリカ合衆国の主な輸出品になっていた。

( ↑ 市川隆久の大まじめブログの市川さんのプロフィールがまるで小説のようでおもしろかったです。)

都市化が進む19世紀初頭、貧しい白人たちは自分たちが「奴隷」になるのではないかとの不安を抱えていた。だからこそ彼らは、「奴隷=黒人」とはちがうという「白さ(whiteness)」に執着するようになった。「白人労働者は「奴隷にあらず」して「黒人にあらず」という自己のアイデンティティをつくりあげることによって、自らの階級的な位置を明確にしてその位置を受け入れることができたのだ」とローディガーはいう。

興味深いのは、こうした黒人への嫌悪が、黒人への憧れの裏返しとなっていたとの指摘だ。


憧れや羨ましさの裏返し。
不安から危機感を覚え
嫉妬から攻撃性が生まれる。


自分たちの中の嫉妬心や不安感に向き合うことはそれだけ難しいということなのか?

白人の役者が黒人を演じるようになったのは、人種差別的な風潮によって黒人の芸人や黒人の祭りが排斥の対象になったからだ。しかしこれだけでは、なぜ大衆芸能のなかで黒塗りのコメディアンが人気を博したのかは説明できない。黒人を差別する白人大衆は、その一方で「黒人性の魅力(attractions of black face)」にあらがうことができなかった。「黒さ」は、産業化以前の古き良き時代を体現してもいたのだ。


最初に父が殺された

1970年代、内戦下のプノンペン。
少女ルオンは政府の役人である父や家族に囲まれて裕福な暮らしを送っていたが、反米を掲げるクメール・ルージュの侵攻により、わずかな荷物だけを持ってプノンペンを追われることに。
過酷な道中の末、クメール・ルージュ支配下の農村に辿り着いた一家は、そこで重労働を強いられ、飢餓で命を落とす人々の姿を目の当たりにする。
そんなある日、ルオンの父が兵士たちに呼び出され……


ポル・ポトの名言をいくつか紹介します。

名言①
「たとえ親であっても社会の毒と思えば微笑んで殺せ」

子どもの病気のためヨーロッパの薬を使ったというだけで、処刑されてしまう。

なぜなら国外のものを使うことも所有することも禁じられていたから。
労働村にいる子どもが目撃しそれを報告したため発覚した。
新たな刷り込みによって悪の概念が書き換えられる。
子どもたちはその行いが正しいことだと信じて疑わない。

刷り込みの怖さと互いに監視する密告制度の怖さを知った。


名言②
「腐ったりんごは、箱ごと捨てなければならない」

1人殺せば、その家族は復讐心を持つ。ならば、家族ごと殺さねばならない。


名言③
「知識人は余計な知識が多すぎるし、金持ちは財産に未練があるので「改造」には適さない。最も改造しやすいのは、捨てるものが何も無く、知識もない、貧乏で純粋な農民や底辺の労働者だ。」

真っ先に役人や教師など知識人が殺された。
次第に眼鏡をかけている者、賢そうな者など曖昧な理由で次々に殺されていった。

これからはみんな平等だという言葉に従い、財産も家財も必要最低限の物以外は全て手放さなくてはならなかった。
当初は3日で戻れると言われて家を出た街の人たちは、夜は道端でホームレスのように眠り、家畜のように追い立てられながら農村に向かって何日も何日も歩いた。


名言④
「国を指導する我々以外の知識人層は自国には不要」

施しによって生活していた僧侶たちは寄生虫とみなされた。
クメール・ルージュの用語で言うと、「他人の鼻で呼吸していた」とみなされた僧侶たちは兵士に罵られながら過酷な労働をさせられたり殺されたりした。


名言⑤
「我々はこれより過去を切り捨てる。泣いてはいけない。泣くのは今の生活を嫌がっているからだ。笑ってはいけない。笑うのは昔の生活を懐かしんでいるからだ。」

ポル・ポトは共産主義による新しい国を作ろうとした。資本主義を否定し、階級を否定し、完全な理想的な共産主義国を作ろうとした。

そのために、それまでの思想は古い思想として否定し、古い思想で汚れた人々を作り変えるか、消さねばならなかった。

古い思想に汚染されていない子どもに価値を置いた。しかもそのやり方は狂気としか思えない。10歳以上の子どもたちは親と離され、子どもたちだけの集団生活をさせられた。

また、都市住民は汚染されており、農民は純粋だとした。
都市から農村に強制移住させられた人々は「新人民」とされ、もともと農村に暮らす人々は「基幹民」とされて、「新人民」は自己を修正せねばならず、迫害された。

労働村に住む人たちは過酷な労働といくつかの穀物が入っているだけ少量のスープという質素な食事でいつも飢えていた。
笑うことも泣くことも禁じられその姿はまるで生きる屍のようだ。

それを観ていて「夜と霧」という本を思い出した。
食事環境が似ているなと思ったからだ。
豆が数つぶ入っただけのシャバシャバの水のようなスープ。
ナチスドイツ時代の強制収容所での出来事と。



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こんな殺され方もあるのだと、この記事を読んで驚愕してしまった。


おわりに

最後にわたし自身について思ったことを書いてみようと思います。

わたしはポジティブ思考ですが、現実主義的だったりします。
楽しいことを想像して夢を見るのが好きですが、最悪の状況を考えるくせがあります。

人間関係のトラブルや予定がコロコロ変わることは苦手ですが、突発的な事故やケガや災害などにはわりと冷静でいられます。
最悪の状況を考えるくせがあり、それがシミュレーションするいい機会となっているのかもしれません。

平和な日常生活のなかでは、「なぜそんなことまで考えるの?」と驚かれたりします。

コロナ禍になってすごく感じましたが、人は不安になると暴力的になります。
「わたしたちは正義である」という武器で攻撃しはじめます。

そんななかで不安になりやすい人たちは、悲観的ではない(正確には悲観的になった自分にのまれにくい)わたしたちみたいなタイプがいると安心するようです。

よくよく考えてみると、ネガティブ思考が一周まわってポジティブ思考になっているだけなんですけどね♪

人それぞれ持っている要素がちがう。
それをうまく組み合わせて協力したり、あいまいな関係を築き均衡を保てるといいのでしょうけど、それが困難だということは、それだけ「欲」や「不安」というのは強敵なんでしょうね。



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