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内側から見えるわたしと、外側から見るわたし

あるサロンのzoomで
LTという、3分以内に話したい内容を話す」
という体験をさせてもらった。

わたしは人前で話すのが本当に苦手で
あがる必要がないのに
毎度あがってしまい
そのたびに頭が真っ白になっている。

会話なら全く緊張しないのに
「発表」という形になると途端にダメになる。

今回、音声で会話するのが初めましての人たちの前で発表をした。
発表と言っても
目の前に人が立っているわけではない。
(zoomでやっているのだから当然なのだが)
なのに、声はうわずり
呼吸が苦しくなってしまった。
あがりそうだからと
下準備でカンペも用意したし、
何度か事前に練習もしてみた。
それでも、
とんでもない緊張感が押し寄せてきた。
「完全にしくじったな」そう思った。

主催者の方が動画を撮って上げてくれていたので
どんなものかと確認してみた。
恐る恐る見てみると
あのガタガタ震えてしまいそうなほどの緊張感が
その音声からは感じられないことに驚いた。
つっかえたりはしているけれど
思ったよりも普通で
なんだか拍子抜けしてしまった。

自分では「やっちまった」と思っていたのに
客観的に聴くと
そこまでやっちまってはいなかった。

あの時のわたしは
緊張に支配されていて何も見えていなかったし
その判断さえあやふやなものだったのだろう。


昨日、友だちの出産祝いに行ってきた。
そこで L T のこと、
「自分のダメダメなしゃべりが、録画の音声で聞いたら
思ったよりもひどくなくて驚いた話」をしてみた。

その友だちは保育士をやっているのだが、
彼女も人前で話すのが苦手なのだ。
仕事がら、人前で話す機会が多いそうだが
未だに毎回緊張してしまうそうだ。
だけれども、周りからは緊張なんてしていないように
思われていると言っていた。


「ひとはなぜ緊張するのだろう?」


あれやコレやと考えてみたのだが
たぶん、わたしはダメなわたしを晒すのがこわいのだ。
ダメなわたしを完璧に見せようと装ってしまうから
緊張してしまうのだろう。

文章を書くときに
情けない姿や弱いところ、苦手なことを
なるべく隠さずに書いてきた…と思っていた。
隠さずにオープンにすることで
気持ちは昇華してきている…と思っていた。

だが…そこには
まだ完璧を装いたいと思っているわたしがいるのだ。
完璧な姿なんて幻なのに。

うまくできなくても、一生懸命やっている人を見るのは好きだ。
応援したくなるし、見ていて清々しい。
なのに、わたし自身にはそれを許していない。


「なぜわたしはわたしに厳しくしてしまうんだろう?」


ダメなわたしでは受け入れてもらえないと思っているのだろうか。
そもそも受け入れられたいと思っているのだろうか。
これ以上、だれに受け入れてもらおうとしているのだろうか。
わたし自身、自由であることに固執してしまうのは
自分で自分を縛っているからなのかもしれない。
やはり相反するわたしが混在しているのだ。


また、L Tをする機会があったら
そんなわたしに、この言葉をかけたいと思う。
「大丈夫。失敗するのがあたりまえなんだから。」と。


息子が小学校に上がったとき
担任の先生が子供たちにこんな言葉をかけていた。

「テストが0点でもいいんだよ。最初はたくさん間違っていいんだよ。」


ついつい最初から100点をとりたくなってしまうわたしは、
とても欲張りで
それでいてとても臆病なんだと思う。

最初は0点でもいいのだ。
それ以上悪い点数はとりようがないのだから。


最初から100点をねらわないこと。
まずは1点が取れるようにやってみる。
そして、1点が取れたら
自分をおもいっきりほめてあげようと思う。



今日もあなたに心の安らぎと幸福感が訪れますように♪



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