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今日の山田君 〜思うこと〜 22

ふだん何気なくしていること
物事に対する自分の見方を振り返ってみたとき
わたしは「私に」どのような感想を持つのだろう。

夜と霧を読んでいて「コペルニクス的転回」という言葉がでてきた。

これは、「物事の見方が180度変わってしまうこと」を比喩した言葉なのだが、「コペルニクスの地動説」「プトレマイオスの天動説」のように、自分自身をどのような位置そしてどのような関係として捉えるかによって、その影響も大きく変わるのではないだろうか。

地動説
宇宙の中心は太陽であり、地球は他の惑星とともに太陽の周りを自転しながら好転しているという学説。
天動説
地球は宇宙の中心であって静止しており、全ての天体が地球の周りを公転しいるとする学説。

よく年配の人が「若い頃はよかった」「もう歳をとりたくない」などと言ったりするのを耳にする。けれども若い時というのは「天動説の地球」のようだなと思うのだ。
自分が中心にあって、自分の影響がどれだけあるかに意識が集中していて、自分にばかり目がいっている状態だな…と。

それが歳を重ねるごとに、現実が見えてくるようになる。
所詮自分は一部に過ぎない。それでも、周りの影響を受けながら、自身もまた存在することで何かに小さな影響を与えている。
まさに、「地動説の地球」の状態ではないだろうか。

30代最後の年を過ごしていて思うのは
20代のようなエネルギーみなぎる行動はできなくなったけれど
それと引き換えに「一歩引いて見る冷静さ」と
「頑なになり過ぎない適度な脱力感」が身についてきたように思う。
それは、鎧のように自分自身を守ってくれている。
20代のころのように無防備で出ていくことは少なくなり
傷だらけにはならなくなった。

しかし「なにかを得ること」は「なにかを失うこと」だし
「なにかを失うこと」もまた「なにかを得ること」でもある。

自分自身に囚われることや、ひとつの物事に囚われることもまた
見えているようで実際にはよく見えていないのだろう。

自分の正義もきっと、自分のこだわりに過ぎないのだと思う。

「自分の正義」は「他の人の正義」と異なることを理解したうえで、それでもやっぱり「自分の正義」は貫きたいと思う。

そして自分のかかげる正義は、人を傷つけるものではなく、自分を守るものでもなく、自分を奮い立たせるための象徴としていきたい。

そう思う。
そう願う。
そうありたい。

今日もあなたに心の安らぎと幸福感が訪れますように♪



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