今日の山田君 ~思うこと~ 20
最適化するか、しないのか?
工夫をすること。
それは自身の考えや物事をよりよくする。
よどみをなくし流れを良くする。
それはあいまいな部分を明確にし、ルール化していくこと。
製造業で仕事をしていたとき
30人ほどの課に
お父さんみたいなリーダーと
お母さんみたいなサブリーダーがいた。
リーダーは私の親ほどの年齢で女性だったけれど
みんなを守りひっぱっていく姿がまさにお父さんそのものだった。
AB型で怒っていたと思ったら、その数分後には笑っていたり
ころころ変わる気分屋なところも
さっぱりとした性格もわたしは好きだった。
サブリーダーもまた男性だったけれど
男気があるけど自由奔放なリーダーを
フォローしたりぼやきながらも見守る姿が
お母さんのようだった。
みんな自由に言いたいことを言い
不仲の兄弟のようにいがみ合う人たちもいたものの
それはまるで大きな家族のようで居心地がよかった。
やりたい仕事が見つかるまでのとりあえずの仕事だったはずが
気づけば3年が経っていた。
定期的に飲みの会が開かれ
夏にはバーベキューをした。
学生にもどったような気分だった。
だが、その間には変化が起こっていた。
無駄が省かれ
新しいルールができた。
成果が求められ
和やかムードは減っていった。
縮小される課がでてきたり
他の工場へ移動させられる人もでてきた。
たしかに効率的になり生産性もあがったのだろう。
しかし、それとともにストレスや不満も増えた。
わたしはなんだか窮屈になってしまって
そこを辞めてしまった。
リーダーはただの派遣社員に花束を贈ってくれ
みんなで集合写真を撮ってくれた。
送別会まで開いてくれた。
仕事を辞めた後も
リーダーとは個人的に食事に行ったりしていた。
親ほど年齢は離れていたものの
気さくに関係を築いてくれる人で
わたしのお手本であり
尊敬している人だ。
関係を継続させるのが苦手なために
今では疎遠になってしまっているが
また会うことがあれば
空白の時間は関係なく
すぐに会話が弾みそうな気がしている。
最適化しながら、余白も楽しむことはできるのか?
最適化すると、遊び心が維持できない気がしてしまう。
工夫することと最適化することは同じなのだろうか。
工夫することには、遊び心を持ち込める気がするが
最適化には、余白を持ち込める気がしない。
これらは、ただの言葉によるイメージなのか……
まだこたえは見えそうにもないが
のんびり探していこうと思う。
今日もあなたに心の安らぎと幸福感が訪れますように♪
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