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日本習合論 / お盆本

 僕たちは「起きたこと」については、「どうして起きたのか?」という問いを立てますけれど、「起きなかったこと」については「どうして『起きてもよかったこと』なのにそれは起きなかったのか?」という問いを立てる習慣がありません。 

まえがきより

 千年以上にわたって栄えた「雑種文化」が、「純粋な日本の宗教」という政治的観念を創り出そうとした人々によって廃絶された。

 もし、加藤周一の言うように、雑種や習合が日本文化の本能であるのだとしたら、
どうして人々はそんなに簡単に本能を棄てることができたのか?
どうして日本文化の本能たる雑種文化はこれほどに脆弱だったのか?
神仏習合という旧習はこのまま宗教史から消失してしまうのか?
それとも何らかのかたちでよみがえるのか?

神仏習合という日本文化のリアルが、国家神道という日本文化についてのフィクション、、、、、、に負けたのはなぜか?
世の人は「そんなのどうでもいいよ」と言われるかもしれませんけど、僕は答えが知りたい。
だから、それについて考えることにしました。

まえがきより


あとがき 
 最後までお読みくださって、ありがとうございます。 
 僕の習合論は以上です。
なんだか話があちこちへ散らばってしまって、読みにくい本になってしまったと思います。
どうぞお許しください。

 書き終わって、読み返してみてんかりましたけれど、この本を書いた動機というのは、「恐怖心」だったように思います。

「話を簡単にしたがる人たち」「異物を排除して原初の清浄状態に戻せばすべては解決すると信じている人たち」の数がここ十年ほどでだんだんと増えてきているような気がします。

それに対する恐怖心です。「異物を排除する」傾向はレイシズムやゼノフォビア(外国人嫌い)としてわりと簡単に可視化されますし、本人たちも自分たちが「政治的に正しくないこと」を主張していることにそこそこ自覚的です。

対処がむずかしいのは「話を簡単にしたがる人たち」です。この人たちは善意だからです。当然のことを主張していると思っている。

「要するにどういうことですか。一言で言ってください」「だから、あなたはどうしたいと言うわけですか。具体的な代案出してください」というタイプの問いが多用されるようになってずいぶんになります。
「話を簡単にすること」が端的に良いことであって「話をややこしくすること」はそれ自体が悪いことであるという考えがいつの間にか常識化してしまったようです。

 現状について僕の分析にはある程度の客観性があると思いますけれど、僕がこれからやることは「僕が個人的にできること・したいこと」であって、他の人には関係ない。

僕が他の人に忠告したいのは「好きにしなさい」というだけです。

人の真似をしたり、多数派についてゆくようなことはしないほうがいいですよというアドバイスはしますけれど、そんなものは「なすべきこと」とは言えません。
だいたいほんとうに「なすべきこと」があるのなら、日本人全員が斉一せいいつ的に同じ生き方をすることが理想的だということになる。

そんなはずがありません。
そんな気持ちの悪いものを僕はみたくありません。

みんなが好き勝手しているけれど、自ら調和が達成するというのが僕の理想とするところです。

そういうナチュラルな調和は、ひとりひとりのプレイヤーが「ほんとうに自分のしたいこと」をしているときにしか実現できない。
命令されたり、利益誘導されたり、処罰で脅されたりしたせいでひとびとが動くなら、そこには「ナチュラルな調和」は存立しない。

いろいろな考えの人がいて、それぞれの立場から、さまざまなプランを提言して、それをすり合わせることができるシステムと、ただ一つの「正解」に全員が従わないと動かない硬直したシステムのどちらがシステムとして出来がいいかなんて考えるまでもありません。

僕たちがこれからさまざまな前代未聞の出来事に応じながら生き抜いていこうと願うなら、そういう可塑性かそせいで、しなやかなシステムを創り上げてゆくしかない。当たり前のことです。


日本では「神々」の信仰は、もともと土着の素朴な信仰であり、共同体の安寧を祈るものであった。日本の「神」は特定のウジ(氏)やムラ(村)と結びついており、その信仰は極めて閉鎖的だった
普遍宗教である仏教の伝来は、日本の従来の「神」観念に大きな影響を与えた。仏教が社会に浸透する過程で伝統的な神祇信仰との融和がはかられ、古代の王権が、天皇を天津神の子孫とする神話のイデオロギーと、東大寺大仏に象徴されるような仏教による鎮護国家の思想とをともに採用したことなどから、奈良時代以降、神仏関係は次第に緊密化し、平安時代には神前読経、神宮寺が広まった[3]。


初めて知った"習合"という言葉つながりでこちらの小さな本も。

▪️お盆本

祖霊との交信には、闇の中の火(光)が場を開いている。

【火/郡上】火をめぐる七夕とお盆のあわい

●日本のお盆
 では、何故数ある仏教法会の中でも日本においてこれほどまでに「お盆」が強調されるのか。
この点において小泉八雲、柳田國男、折口信夫などが「日本に元々あった祖霊信仰と結びついた結果ではないか」と位置づけている。

つまり「日本のお盆」とは、この地に元々あむた固有の祖霊信仰と仏教の盂蘭盆会うらぼんえ習合して「お盆」という行事に集約され、独自の発展を遂げて現代まで続く行事となっているのである。


 火を用いたもっとも有名なお盆の行事といえば、京都で行われる「五山の送り火」だろう。

これは8時に東山の如意ヶ岳の「大」の字から初めて、松ヶ崎の万燈籠山の「妙」と大黒山の「法」の字、大北山の「大」の字(左大文字という)、舟山の「船形」、曼荼羅山の「鳥居型」に模った火を、京都市を囲むように左回りで順に点じるものである。
なお、火が点じられるところはいずれも葬地の上の丘状の山である。

この行事の起源は必ずしも定かではないが、『案内者』(中川喜雲著 1662年)に、杭を打ち松明を結び付けて点火した有様が記述しており、17世紀中期には成立していた様子がうかがえる。

「大」は人体を示し、この字で死霊の煩悩を焼き尽くし「妙」「法」で南無妙法蓮華経の題目を唱え、「船形」で精霊船に乗せて、「鳥居」をくぐって他界に送ることをあらわすと解されている。


 【円 / 遠野】
魂をほどく左回転と、食卓という名の円を囲む

出棺の際、霊柩車に棺を乗せる前に、時計回り(右回り)もしくは反時計回り(左回り)に3回回す習慣もあります。
今回は、左回り3回を棺を担ぎながら回っていました。
これも、地方によって、右か左か諸説あるようです。そもそも回る理由もこちらの著書にあります。

3回の理由は、
「過去、現在、未来」を意味する
といわれ、
右回りの意味は、仏教の行道では本尊の周囲を右回りに回るというところから。
左回りの意味は、逆回りすることで、転じて死霊封じのためという説があるようです。

父の実家のお墓では、納骨する前にみんなである立方体の石のまわりを左回りに3回まわっていたような気がします。
詳細を忘れてしまっているため、確認してみなくては。


 【円 / 郡上】
マレビトを迎える場の形 「円 / 輪」


 【円 / アイスランド】
伝統的信仰の復活を目指すアウサトゥルー、そして円


 【歌/遠野】故人を偲び、生者もまた心静まる

 遠野のお盆では、昔から集落に伝えられてきた先祖に捧げる歌を聞くことができる。
それらはどれも心静まる音色であり、低く響く太鼓の音、近くから聴こえる虫の音色と合わさり独特な雰囲気を生み出す。

●故人の性別・年齢によって変わる歌
 前述した小友町長野地区で行われる「ミソウロウ(新精霊)」はおよそ450年前に出羽修検の能傳房のうでんぼうがもたらしたと言われる。
長野地区の中でもさらに上・中・下と地区が別れ、それぞれ微妙に様式が異なるという。


 【歌/郡上】そして私たちは、この身に歌の種を蒔く

拝殿踊りで歌われている曲目の多くは、農作業や大工仕事で歌われていた労働歌や作業歌が多い。それだけ当時の暮らしには、労働を癒す何かが必要だったのだと思う。

 寒水かのみずの拝殿踊りは30年ほど途絶えていたが、ここでしか踊られていなかった貴重な歌や踊りもあったため、平成25年に地元の有志が復活させた。
村の人々が年月とともに入れ替わる中、その土地の文化そのものに血肉として残っていたからこそ、30年も途絶えていた民族芸能が復活できだのだと思う。
この村は今もなお過疎化が進んでおり人口はわずか300人ほどだが、村に残る重要無形文化財であるまた別の秋のお祭りも、集落一丸になって支え続けている。


 【歌/アイスランド】
妖精の歌、そして異界との壁を打ち破るメロディ

 大晦日や1月6日に妖精たちが居住を移動するという信仰はアイスランドに歴史的にあり、それとこの詩の内容が偶然一致したことから、この歌が広く歌われることになったのであろう。
アウラファブランナの際には他にもアイスランド人がよく知る民謡などが歌われることが多く、自分が訪問した時には上述のアウルファレイジンではなく、"krummi Svafl' Klettagja'"(クルンミ スヴァフ イ クレッタギャウ=「岩山で眠るワタリガラス」)という曲が歌われていた。

 ところで、アイスランドにおいて、妖精や異界のものが見える人々のことをシャウアンディと呼ぶが、彼女たちの1月6日におけるセイズルという儀式(アウルファンブレンナとは別のもの)に酸化した際、まるで今まで聞いたこともないような、どんな文化の文脈でも説明のつかないような声の重奏があった。
一人のシャウアンディが、声で美しいメロディや、時に荘厳な、時に呻き声のような音を放ち、それに一人、また一人と重ねていく形で、和音とも、不協和音とも言い難い重奏を作り出していく。
最初のメロディにより最終的に出来上がるメロディは全く違うので、一回たりとも同じ音にはならないとのことだ。
 メロディは魂から自然に導き出されるもので、古くから儀式で使われていたものもあれば、全く新しいものもあるとのことだ。
そして、このメロディにより、人間の世界と異界の間の壁を打ち破るのだという。



踊 DANCE

 反閇へんばい」とは、大陸伝来の陰陽道における呪法の一つで、天皇や貴人の外出に際して邪気を払い、その安泰を祈って行われる足踏みである。
折口信夫によれば、反閇伝来以前から日本にも力足を踏んで悪いものを踏み鎮める所作があったといい、反閇伝来以降同一視されたという。


現代においても相撲の四股にその名残を見出せるし、岩手県の郷土芸能である「鬼剣舞おにけんばい」はもともと「反閇」が語源とも言われ、大地を力強く踏みしめる所作が特徴的である。

つまり、死者は荒ぶるもので恐ろしいものであり、それを踏みしめることにより穏やかな御霊となるように祈るという意味と、荒ぶる魂を鎮める意味があったのだろうと推測されるのである。


 【踊/遠野】死者供養としてのしし踊り

 遠野は、人口の37%•約10,000人が郷土芸能に関わっていると言われる、非常に芸能が盛んな土地である。
その中でも代表的なのが「しし踊り」である。
しし踊りのシシとは山に棲む獣や神々の総称であり、狩猟の対象となった鹿の魂をなどを鎮める意味があった。
やがて後述するように動物だけでなく人に対する供養の意味合いも生まれたが、日本の民族芸能のなかで、野生動物に扮して死者供養を行うのはしし踊りのみだそうだ。

 また、東北地方のしし踊りの役割として大きな特徴なのが鎮魂供養である。
特に江戸時代に入ると冷害よる凶作・飢饉が東北地方に増え、前述したように酷い時には遠野で6分の1の人口が餓死した。
こうした環境的な厳しさによって、餓鬼仏・無縁仏供養の必要性がいっそう強まり、しし踊りに動物だけでなく人に対する供養の意味合いが加わったと考えられる。


 【踊/郡上】踊りに来なれ、お盆を旅する数日間

 最終項「踊り」に関しては、郡上踊りと白鳥踊りについて語らずにはいられまい。
郡上踊りは400年ほどの歴史があると言われ、郡上の中でも粋な町内文化が息づく城下町「郡上八幡」の、上品さ、華やかさを感じられる盆踊りである。
時の八幡城主が民衆の融和を図るために郡上踊りを推奨する際、各集落ごとにそれぞれで踊られていた盆踊りを集め、その形を整えていったものだとされているが、その原形であったはずの白山民謡系の白鳥踊りや拝殿踊りの名残はあまり残されていない。

 郡上の八幡 出ていく時は 雨も降らぬに 袖しぼる
 
 この歌い出しで有名な「かわさき」は三重県は伊勢の河崎であり、毎回最後の締めに踊られる「まつかさ」も伊勢の松阪のことである。
山岳の修験道である白山信仰からではなく、皇神の伊勢信仰である「お伊勢参り」から持ち帰られたことが伺える

一方で古を偲ばせる拝殿踊りも踊り継ぎ、もう一方では変化を恐れずに取り入れる。
ここが古きも新しきもうまく共存させる郡上人の感性と言えよう。

それは別名「白鳥マンボ」と呼ばれるだけあり、アップテンポに飛んだり跳ねたりしてぐるぐる輪の一部になっていくと、まるで大きな生命の一部となって、自分がどこまでも拡張していくような、不思議な高揚感を得ることができるのだ。

 こうして郡上にとって最も大事なお盆の要素である「踊り」の項で締めくくりつつ、その風習を様々な切り口で書き進めてみると、ふと感じることがある。
遠野の内に秘めた灯火のような「静」のお盆であり死者への魂鎮めの儀式に比べ、郡上はやはり「動」のお盆であり、そしてそれは生者に対する魂振りの儀式のような気がしてならない。


 【踊/アイスランド】弾圧された伝統的ダンス•ヴィキヴァキ


あとがき〈私たちのお盆〉

 本の制作が佳境に差し掛かった頃、大切な視点を二つ得た。
一つ目は、本書の中で死者に対する供養は様々な角度で触れてきたが、お盆は生者のための儀式でもある点だ。
これは遠野文化研究センターの前川さおりさんが教えてくださった。
死者を招いて歌や踊り、供物でもてなし、家族や親戚が集まって故人を偲ぶ一連のプロセスを経て、ようやく心は落ち着き、死者との未練を断ち切ることができる。
そして、毎年この"死を学ぶ期間"があることによって、私たちは死を内省し、受け入れ、またそれぞれの現実世界を歩き出すことができる。


最後まで読まれた方おつかれさまでした!



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