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自然体とスタンス

「Charaさんはどんなお母さんですか?」との質問に「イメージ的には小さな妖精さん」と答える。
そんな娘の答えに「あはは〜それね〜笑」とゆるく反応する。

生活を共にしている子どもたちにも妖精のイメージを持たれていることがおもしろかった。
外の顔と内の顔を使い分けるのではなくて、自然体であることを意識してのことなんだろうか。

それでいて、子育てには地域とのつながりを持たせようとしていて、一般的な社会とのつながりが切れないようにしていたところに意外性を感じて驚いた。


お金を捨てるとき以外お金を触らないと決めた人のスタンス。

「生き延びる」より大事なこと

お金を使うのを完全にやめた者の人生は、生き延びるためにつねに奔走するようなものと思われるかもしれない。

しかし、ジョンストンは走り回ってはいない。何か食べようと思う日は、何かしら食べるものが見つかる。人が食べ物をくれることもあるし、くれないこともある。ゴミ箱で拾うこともあれば、拾わないこともある。どんなことがあっても、店で自分の食料を買うことはしないという。

そして人から施しを受けることはあっても、物乞いはしない。生き延びられているのは何かの縁だ、と彼は語る。
だが、彼にとって一番大切なことは、生き延びることではない。一番大切なのは、正しく誠実な生き方をすることだ。そして、正しく誠実に生きた結果、生命を維持できないのであれば、そういうものだったということだ。つまり、自分はこの世界に合わなかったということなのだ。


家のない人々の権利をめぐって

2007年8月、市はこの訴訟を終わらせるため、公共の場所でうろつくことを禁止する公園規制条例を撤回し、改正した。改正された条例では、状況次第では公園や公共スペースで寝ることが許されている、と市は主張した。

しかし、改正後の条例でも「一時的な居所として一晩中使用すること」は依然として禁じられていた。この「居所」の定義は非常に広く、風雨をしのげるようなものなら何にでも適用された。「タープを紐で吊るす行為すらも禁止されていました」とボイース・パーカーは語る。

それに彼女によると、問題の本質は変わっていなかった。全員を住まわせるだけの屋内スペースがないなか、家のある人が屋内で行っていることを、家のない人は屋外で行っているわけだが、これに市はどう対応するのか? 

家のない人だって食べたり寝たりする必要があるということを、社会は認識しているのか? それらをおこなうためのスペースを認めるのか、あるいは犯罪者扱いするのか? こうしたことが問われていたのだ。


なぜテント村にそこまでこだわるのか?

ジョンストンは、経済の破綻はいずれにしても起こりつつあると考えている。通貨ベースのシステムは失敗する運命にあるからだ。

お金には信仰が必要だ。それが機能するためには、全員がその価値に同意しなければならない。大麦に裏打ちされたメソポタミアのシェケル銀貨から、金に裏打ちされた西洋の銀行券まで、かつて貨幣は物理的な商品と結びついていた。

だが今では、貨幣は商品ではなく政府の言葉に裏づけられており、本質的な価値を持たない紙切れや画面上の数字を信仰するように求められている大衆による、ほとんど不条理な同意で成り立っている。

この貨幣という制度は「大衆の精神異常的な振る舞いなしには維持できない」ので、そのうち機能しなくなるだろう、とジョンストンは言う。

そこから私たちを救ってくれるのがテント村だと、彼は信じている。「ただ、依存の蔓延している状態をなんとかしない限り、テント村は成立しません」と彼は言う。
お金の力が強すぎて、人々の自由を阻害し、腐敗や強欲を助長していると訴えたのは、ジョンストンが最初ではない。また、お金なしの世界を思い描いたのも彼が最初ではない。

共産主義者や無政府主義者たちは、100年間そのような世界を夢見てきていると、ニーアル・ファーガソンは『マネーの進化史』に書いている。「1970年という時代になっても、ヨーロッパの共産主義者のなかには、お金の存在しない世界をいまだ切望する人もいる」


歯がなくなっても、家族に会えなくても

お金を使わない人生には、多大な犠牲も伴う。パンデミックのずっと前のことだが、ジョンストンは病気で危篤状態の母親のもとに行くため、飛行機に乗ることもできないという現実に直面した。

他州に住む親類たちと顔を合わせることもほとんどない。友人を訪ねるために自由に旅行できるわけでもない。

また、ジョンストンの生活スタイルは、彼の健康を害している。食べものを選ぶこともなく、もうすぐ下の前歯がなくなりそうだ。すでに歯の大部分は失われており、入れ歯も入れられないと覚悟している。

「そうなったら、急に老けたような見た目になるでしょうね」と彼は言う。「あっという間に80歳になってしまいます」

ジョンストンはたいていのことを平然と乗り越える。シェビブは私に、ジョンストンが不平を述べているところを見たことがないという。彼はその日一日、その一瞬を大切にして生きており、どんなことでも受け入れているのだ。


お金を使わない人生で、一番辛いこと

ほとんどの犠牲は簡単に受け入れられる。ただ、彼の頭をいついかなる日も悩ませるほどの、大きな犠牲もある。

それは、もう10年ほど会っていないという子供たちとのつながりがなくなってしまうことだ。ジョンストンの子供たちは、彼がお金を使うのをやめてから生まれ、一人は10歳、もう一人は14歳になろうとしている。

彼らの母親は、付き合う前からジョンストンがお金を使わないことを知っており、妊娠してもお金を使うことはないとジョンストンに言われていたそうだが、それが問題になった。「彼女は怒りました」と彼は言う。

「どんなにうまくやろうとしても、お金を使わなければ子供を育てられない、と」。子供たちにしっかり関わることも約束できなかったので、父親としても頼りなくなってしまった。面会に行けるかどうかもわからない。

「子供たちのことを考えない日はありません」とジョンストンは言う。しかし、この喪失は彼の決意をますます固くしたのだった。

「子供のことを想うと、私はますます真剣になります。これは無駄なことではありません。私の存在のすべては、子供たちの生きる世界をよりよい場所にするためにあります。自分に子供がいなければやらないというわけではありませんし、逆に、子供がいることが立ち止まる理由になることもありません。私があの子たちに与えられるものは、誠実さ以外にないのですから」


自分はどんなスタンスで居たいのか。
改めて問いたいと思った。

いろんな人のスタンスを見て、自分につけたしたり切り離したりしていく。
自分のスタンスも人のスタンスも少しずつ、時にはガラリと変化していく。
でもきっと核になる部分だけは変わらず持ちつづけるんだろうな。


それでも心の片隅には希望と祈りを


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