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人生のサバイバル力/開催!世界史サミット (読書記録)

注意
今回は長いです。万里の長城を歩いているような、そんな心持ちで気長に読んでいただければと思います。

▪️開催!世界史サミット

この本を読んでいて気になった人物と出来事を少し調べてみました。

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ピョートル1世

皇帝でありながらじっとしていられないピョートル♪
知的好奇心が強い行動派。

執務時間以外は工房や造船所でハンマーを振るっているか、さもなくばお気に入りの臣下とウォッカを飲んでいた。
あだ名は「ハンマーを振る皇帝」。
その他にも歯科医に学ぶと虫歯を抜くことにハマり、歯が痛い家臣を見つけては歯を抜きまくる。死後、多くの歯を入れた袋が残されていたそうだ。

皇帝に即位した身でありながら、ヨーロッパ遊学に行ったピョートル。
このとき25歳で、身分を隠し偽名を使って参加したのだが、213センチもある高身長なためバレバレだったそう。
それでも家臣たちがうまくフォローし名目上はお忍びを通したようです。


ヨーロッパの短いヒゲに比べ、ロシアでの男らしさの象徴である胸まであるヒゲは後進国の表れだと思ったピョートル。
帰国後ヒゲ税を導入。警察にヒゲをきる権利を持たせた。ヒゲ税を納めた者には支払い済みの印にヒゲコインが渡された。
しかしその影響で反乱が起きたりもした。

浮気していた妻の愛人への仕打ち。
しかもピョートルの元愛人の弟が妻と関係をもっていたという…なんとも複雑。
人はいろんな顔を持っているものですね。

残酷さと劇場的効果を好むピョートルは、不幸なヴィリムを斬首させ、その首をアルコール漬にする前に、お盆に載せてエカテリーナのところへ持って行った。


そもそも紀元前って何?

よく耳にする紀元前という言葉。
全く理解してないまま今まで聞き流してきていたことに気付きました。
興味がないと何も覚えられない自分にも驚きではありますが…笑

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西暦=キリスト紀元の紀年法は、現在私たちが日常的に使用し、国際社会にも認知され、また世界史を記述する際の共通の物差しとして用いられている、たいへん便利な紀年法である。
その始まりはイエス時代ではなく、かなり遅かったこと。キリスト紀元は、キリストの生誕年を基準にした紀年法であるが、考案されたのはイエスの時代ではなく、6世紀まで降った時期であった。それはムハンマド時代に始まるイスラーム圏のヒジュラ暦と異なる点である。しかも、それが西ヨーロッパで広く用いられるようになったのも、ようやく10世紀ごろのころである。それ以前には別の紀年法が用いられていたことにまず注意しよう。
キリスト紀元元年の意味に注意すること。 イエス=キリスト生誕の年を基準とすることは、525年に教父ディオニシウス=エクシグウス(小ディオニシウスともいう)によって提唱された。一般にキリスト紀元はイエスが生誕したとされる年を紀元元年とするとされているが、ディオニシウスが提唱したキリスト紀元は、厳密にはイエスの生誕年とされた年を基準とし、その翌年を1年として数えたものであった。また、現在では、キリスト紀元は「主の年」を意味するラテン語、anno domini の省略形である A.D. であらわしている。
実際のイエス生誕年とはずれがあること。 ディオニシウスが基準としたイエスの生誕年は歴史的事実として探求されたわけではない。それは復活祭(年によって異なる移動記念日)を設定する必要から、聖書の解釈などをもとにして設定されたものであって、もとより正確なイエス生誕の年は判らない。現在では歴史的事実としてのイエスの生誕年は、紀元前4年までのそれに近いいずれかの年(前7年説が最も有力)、とされていて、キリスト紀元とは一致しない。そもそも事実に基づいて設定された年代ではないので、それを改めようという動きはまったくない。
紀元前という概念も後につくられたものであること。キリスト紀元以前をどう数えるか、についてもディオニシウスはまったく想定していなかった。必要があれば、天地創造紀年や殉教紀年などが用いられていた。紀元前=B.C.(Before Chlist) として遡って数える紀年法が提唱されたのは、さらにずっと後の17世紀になってペタヴィウスという人物が考案したものである。その時、紀元元年の前年は「前1年=1B.C.」とされた。
キリスト教紀元=西暦の広がり。現在は、西暦が紀元後と紀元前をあわせてひろく用いられている。かつては文明圏、国家ごとにそれぞれに紀年法があってバラバラだった。キリスト教世界では、カトリックで用いられたグレゴリウス暦をプロテスタント側が長い間否定していたなど、暦法に関して対立があった。しかし、紀年法に関してはキリスト紀元が新旧教会、東西教会の別なく、次第に共通に用いられるようになった。もっともエジプトに残るキリスト教であるコプト教会は現在も、大迫害時代のローマ皇帝の即位年を基準とするディオクレティアヌス紀元(殉教紀元)を用いている。アジア各地にも中国や日本のように独自の紀年法があったが、近代以降のヨーロッパ優位が明確になるなかで、キリスト紀元は宗教的意味合いよりも利便性が重視されて、非キリスト教世界にも広がった。現在ではまったく世俗化した紀年法として、中国においても正式に採用され、事実上世界共通の紀年法となっている。ただし、イスラーム圏では正式には現在も西暦622年を元年とするヒジュラ暦が用いられており、複雑な換算法を必要としている。日本では、1872(明治5)年に太陽暦に転換してから普及したが、明治・大正・昭和の年号が主として用いられ、戦前は皇紀も用いられた。戦後の1974(昭和54)年に元号法が制定された。公文書は元号が原則とされているが日常生活では西暦と和暦が混用されている特異な国である。

強国が使っていたし、共通認識として使えたりもして、実際便利だったからこの紀年法は広く使われるようになったのね。
概念としてのイエス・キリストの生誕の日。
見えないものを数えるための基点となる日。


レクターではないハンニバル


違う角度から見るとおもしろい!名前と映画


それと、ポエニ戦争



▪️人生のサバイバル力

整える時間があまりなかったので、流れを無視してガチャガチャっと書いてあります。

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I.   何のために勉強するのか
II.  歴史から何を学ぶか
III. 君たちははどう考えるか
IV. これからの時代をどう生きるか

【個人的な備忘録用メモ ①〜⑤】

①悪については小説やフィクションから学ぼう!

②つらい過去には向き合わなくていい
場所を変えて一度リセットする(ドカンと大きく変えることが重要)
年齢を重ねていくと向き合えるときがやってくる

③論理をめぐる2つの考え方
フランス革命のとき、議長席から見て左側に座っている人たちが「左翼」と呼ばれた。
左翼の人たちは理性と論理を信頼する正しい情報をもとに論理的に考えるならば結論は一つになるはずだ。だから結論に向かって設計図を引き、理想的な社会をつくっていくことができる、という考え方の人たち。
それに対して、議長席から見て右手に座っている人は「右翼」と呼ばれた。
この人たちは理性を完全には信頼してしていない。人間には理性や論理だけでは割り切れる存在ではない。それぞれ生まれた環境によって文化的な背景が違うし、人にはみんな偏見がある。
いろんな見解があることをお互いに認める「寛容の精神」が重要だろうというのが、実は保守思想・右翼思想の考え方の基本です。
また彼らは、教会とか職能組み合いとか、昔から続いているものには、きっと理性や論理を超える知恵があると考えて尊重する。

④歴史は解釈によって変わる
⑤サバイバルに必要なのは「総合値」


人間が自分を中心としたものを見たり、考えたりしたがる性質というものは、これほどまで根深く、頑固なものなのだ。

吉野源三郎「君たちはどう生きるか」岩波文庫


按司(あじ)と久米島

初めて知った久米島の歴史。
15世紀初め沖縄本島から勢力争いに敗れた按司が軍団を連れて久米島にやってきて、島の支配者となった。

按司とは、12世紀ごろに琉球で栄えた城(ぐすく)を拠点とする豪族たちのことです(正確には按司は称号の一種)。

日本本土で朝廷や貴族に変わって武士が力を持ち始めたように、琉球においても武力を背景に按司たちはその影響力を高めていきました。

久米島土着のリーダーだった「堂のひや」は新しい支配者と争わず、島内の税金を代わりに徴収する仕事を請け負って信頼を得た。

戦後、久米島で起きた事件に対してセンセーショナルな対応をしなかったのも、島の中に亀裂が入ることを避けるためだった。それは、強大な国家に対して、小さな共同体が生き残るための知恵だと思う。


パラダイムとは「ゲームのルール」

クーン: パラダイムの変換

 哲学史の研究家クーン〈1922〜96〉は、科学者が対象を考察する論理的な枠組みをパラダイム(模範)と呼んだ。
 科学者たちは、あるパラダイムを共有して、その枠の中で科学的な発見をしていく。しかし、パラダイムでは説明できない事実に出会うと、古いパラダイムは捨てられ、新しいパラダイムが採用される。

小寺聡編「もういちど読む山川論理」山川出版社

●パラダイム
本来は動詞の変化形一覧表のこと。
これをクーンは科学の歴史を説明するための概念として使った。

パラダイムはゲームのルール?

パラダイムというのは、ゲームのルールなの。将棋とチェスとドラクエは、みんなルールが違うよね。ドラクエにはドラクエのパラダイムがあるし、将棋には将棋のパラダイムがある。どれが正しくて、どれが間違っているというわけじゃない。


二つの「ものの見方」を行き来しよう

 人間は自分にとって利益があることが大事で、そこから離れて「これが正しい」と言っても、そんなのは長続きしない。よいことを毎日しましょうと言われても、いくらよいことをしても全然ほめられなかったらやらないよな。
 そういう意味で、人間というのは本来、自己中心的な動物だし、生物はみな自己中心性がある。


自分の中の自己中心性を認めたうえで、どんな行動をとっていくのか?

 当事者である自分にとってどう見えるかということと、一歩引いて、学問的、客観的にどう見えるかということは違う。このとき、学問的なことだけが正しいと考えたら、頭でっかちのつまらない人になってしまう。理屈のうえではいくら正しくても、人間の心情として理解できないことに対しては、そこを追体験して理解してあげる必要がある。その両方の考え方ができるということ、その二つを往復することが人間にとって非常に重要なことなんだ。


ラブレターを書いたらポストが気になる

 「損得にかかわること」になると、人間は非常にアンテナが働くわけだ。ドイツの社会学者で、ユルゲン・ハーバーマスという人が言っているのは、「認識を導く利害関心」、つまり手紙を出したいときにはポストが気になる。そういうふうに物事には、自分の利益と関係することが必ずしも何かあるのだと。純粋客観的な立場というものはない。自分で意識していないところにも必ず利害関心が隠れている。人は自分に利害関心あるものだけを情報として引っ張ってくる。

『純粋客観だと思っているときには、必ずそこには偏見があると考えていい。』

この言葉にドキリとした。
何かに属するとき、わたしの立ち位置として、中に入りすぎないようにしている。
中に入りすぎると見るべきものも見落としてしまうから、なるべく純粋客観を保とうと意識している。
『必ずそこには偏見があると考えていい』
この言葉にドキリとしたのは、自分の中に無意識の中に無自覚の偏見があるからなのだろう。
もしかしたら都合よく意識しないようにしているとも言えるのかもしれない。

自分の中に「好ましい形」がある。
もちろん「好ましい形」があるということは、「好ましくない形」もあるということでもある。
この本を読んだとこがきっかけではあるが、わたしの中の「好ましくない形」と向き合ういいタイミングなのかもしれない。

モーニング・ページで考えてみてもいいのかも。


人間は無意識に動かされる

 人間は誰でも、自分の生まれた文化とか習慣とか、無意識的なものに動かされる。たとえば競争社会の中で、自分が少しでも上に行きたいと思うのは、バラバラになった分子のような人間が競争している近代的なモデルに、無意識に動かされていると考えられる。

レベルの高い催眠術師が
「午後3時になったらドアを開けろ」
と催眠術をかける。

催眠術にかけられた人は午後3時になるとドアを開ける。

なぜ開けるのかと聞くと
「ちょっと息苦しくて」とかいろんな理由をつける。

自分では催眠術をかけられていることがわからない。

人間には、そういう無意識の領域があるそうだ。


文明は後戻りできない

中世の農民がどれくらい働いていたか、実証研究がなされているそう。
中世の農民は1日にどれくらいのカロリーを摂っていたか。

今の日本人:約2000〜2500キロカロリー
中世ヨーロッパの農民:約3400キロカロリー

彼らは筋力を使う重労働を朝から晩までやっていたから、それだけのカロリーが必要だった。

ではそのうち、肉はどれくらい食べていたか?

たとえば鶏肉だったら、1年間でたったの2羽でほとんど肉を食べなかった。オートミールみたいな穀物ばかり食べていた。

飼育されている鶏はどれくらいエサを食べるのか?

もし飼料になる穀物をそのまま食べれば、何十人分もの量になる。エネルギー効率から考えれば、鶏なんか育てないで、鶏のエサをみんなで食べたほうが効率がよいはず。

だから、人類の食糧危機は、みんなが肉食を止めれば相当な解決する。でもそうはいかない。人間が肉を食うようになったら、もう後戻りできない。それが文明なんです。

遊牧民のような生活スタイルであれば狩猟が主で肉食でも問題ないのだろう。
定住したことで生活が安定し人口も増えた。
こういった今のわたしたちのような環境であれば、肉を食べる割合を減らすことは、人間や地球に対する負荷を軽減するためのひとつの方法なのかもしれない。

富が生まれることで格差ができ争いが起こる。
定住するために適した場所であれば安定はする。しかし、定住するために適した場所でなければ大きな歪みが生まれる。
国というものや国境という線引きがもたらすものなどまで考え始めてしまってすこしモヤモヤしてしまった。

贈与、相互扶助、労働力の商品化

 戦前の久米島では、現金で買わなければならないのはマッチだけと言われていた。他はほとんど自分の家で作っている野菜とか自分で獲った魚とか、それらの物々交換によって成り立っていたから、貨幣経済はほとんどない状態だった。

 コロンビア大学の先生であるカール・ポランニーという経済人類学者は、人間の経済には三つあると言っています。

一つ目は「贈与」。
贈与というのは、見返りを求めずに人に何かをあげることです。

二つ目は「相互扶助」。
これはさっき話したように、野菜がたくさん採れたから近所の人に配る、魚が獲れたから近所の人に配る。そうすると今度はうちで鶏をつぶしたからと、それを捌いて持ってくる。こうやってお互いに助け合うことです。

そして三つ目が、「労働力の商品化」。
労働の対価にお金をもらうという考え方です。

 ポランニーは、この三つの経済のバランスがとれているのが「人間の経済」だと言う。

ところが今は、3番目の商品化経済だけが肥大して、人間と人間の関係が希薄になり、すべてを金で換算するような人間が生まれてしまったと批判しているわけです。


文字も読みやすい大きさでページ数も124しかない高校生向けの本。
内容は濃く幅広い。
まさに人生には総合力が必要なのだと言うことがよくわかる本でした。
今小学生の子どもたちが高校生になる頃には、またずいぶんと変わっていることでしょう。
それでも、子どもたちにはぜひ読んでもらいたいなと思うようなすてきな本でした。



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