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今日の山田君 〜思うこと〜 23
是正
○○自動車はサービス業である
他社との違いは
お客様への対応である
お客様の笑顔は社員の喜びである
これはいつもお世話になっているくるま屋の事務所に掲げてあったもの。
たぶん20回以上、その事務所に足を踏み入れているのに最近初めて気づいた。
それは目の前の壁にある。
おそらくお客さんに伝えたいからこそ目に入るであろう場所にあるはずなのに、今までは気づかなかった。
この是正に書かれていることは、このくるま屋を知らない人から見たら綺麗事だし違和感を感じるのかもしれない。
正直、そこで働いている人の喜びになっているかは定かではないけれど、心意気は伝わってくる。
・細やかな対応
・にこやかな事務員さん
・修理担当の方の心配り
・支払いは毎回端数切り捨て
伺うといつも粗品のタオルやBOXティッシュをくれるのだが、今ではそれに加えてマスク2枚がプラスされている。
いろいろと良くしてもらっているし、そこまでしてくれなくても…と思うのだが、笑顔で「ありがとうございます。お世話になりました。」と伝えるようにしている。
気持ちを受け取ることこそ大切だと思うからだ。
何かを選ぶとき、わたしはどんな基準を持っているのだろう?
いつも利用している病院や、整骨院、美容室はどんな基準で選んでいるのだろう…と、ふと気になった。
整骨院は、以前は違うところを利用していた。
以前通っていた整骨院の先生は「良い状態にしたい」という想いが強すぎで、従順でない患者さんにとても厳しかった。
それに、先生に言われた通り自宅で姿勢を意識したり体操している人に対しても、褒めるどころかもっと頑張れと言い、労いや受け止めることができずに患者さんとの距離が遠く、摩擦を生んでいる印象だった。
口調は柔らかいけれど、どことなく圧を感じる先生だった。
努力しても毎回お小言を言われていると不思議とやる気自体が削がれていくのだ。
今通っている整骨院は男性なのに母性がある人で、辛さを受け止め寄り添ってくれる先生だ。
伴走してもらっている感覚があって、ついその想いに応えたくなる。
週に1度通っているのだが、施術を受けると気持ちまで緩み、ほぐれていくのを感じる。
月に1度通っている皮膚科は隣町にあって、車で30分ほどかかる。
近くの皮膚科に行ったりもしたが、やっぱりその先生が良くて隣町まで通っている。
そこへ通う理由はなんだろう。
きっと、その先生の性格がおおらかであること、患者を人として扱ってくれること、いつも「大変だよね」と言ってくれて寄り添ってくれている印象を与えてくれるからかもしれない。
実際、寄り添ってくれているかは重要ではない気がする。
寄り添っている印象を相手に示せていることが大切なのだと思う。
伴走者がいると人は元気や勇気が湧いてくる。
しかし、本人が寄り添っていると思っていても相手に伝わっていなければ意味がない。
どんなに相手を想っていても、伝わらなくては意味がないのだから。
美容室も同じような理由で選んでいる気がする。
わたしにとって大切なのは、たとえその時間だけだったとしても寄り添ってもらえていると感じることなんだと思う。
わたし自身も誰かと一緒にいるときは、相手に寄り添いたいと思っている。
すべてを共有することは出来ないし、それを望みもしないけれど、一緒に過ごすそのひとときだけは気持ちを贈ったり受け取ったりしたいと思っている。
その時間が楽しく過ごせれば満足なのだ。
たぶんわたしは直感で、気持ちを贈りあえる人を感じ取り、その人と意識的に関係を繋げようとしているようだ。
それでいて繋がることが難しいとわかると、わりとあっさり諦めがついたりもする。
誰かと濃い時間を過ごすこともできるけれど、刺激は長く続かない。
強い刺激はある日突然、物足りなさを生み出す気がする。
それに、関係が近すぎると見えすぎてしまうから
適度な距離が心地よいのだ。
いつもは薄めのカルピス、たまに濃い目くらいがちょうどいい。
ちょっと物足りないなくらいがね!
今日もあなたに心の安らぎと幸福感が訪れますように♪
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