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官足法 知覚できること、できないこと 

改めて「官足法とは何か?」と考えてみた。

 

官足法の原理としては、足をもみ循環を良くすることで血液をきれいにし、そうすることで病は自然に治っていくというものだけれど、違う側面もあるのではないだろうか。

官足法の悪い点を最初に挙げるとするとそれはひたすら痛い点である。
(痛くない部分もあるが痛い所をもんでいくのが官足法のもみ方のため)
足に柔らかさが出てくると痛みはやわらいでくるが、逆に柔らかさによってさらに深く入るようになりそれまでとは違う痛みを味わったりする。

反対に良い部分はなんだろう。

・冬でも朝まで足があたたかく、足が冷えて目が覚めることがない
・活力(気力)が出る
・慢性的な症状から解放される
・希望が持てるようになる
・自分の足や身体に興味が出てくる

自分自身で官足法をやることで身体の仕組みがわかってくる。
その複雑さやそのシステムのすごさを実感できるようになった。
身体のシステムも自然のシステムも凄いのだと、そのすばらしさを体感的にわかるようになった。

官足法を始めた頃は、すべてが硬く、皮膚の表面ももちろん硬かった。
その違いがわかりにくくひたすらほぐしていくような感じだった。

それでも痛みがある部分や足全体を揉んでいくと表面がだんだんと柔らかくなってくる。
するとそれまで表面にはあらわれていなかったが硬さが手で触れてわかるようになってくる。
あらわれた硬さをさらに揉んでいくと柔らかくなっていき、もっと深いところの硬さに触れることができるようになってくる。

「足というかたまり」だったものが、皮膚や骨や血管や筋肉や神経や様々なものから成り立っているものなのだと体感的に理解できるようになった。

はじめの頃は表層の硬さが原因だと思っていたけれど、原因は深部にあるのかもしれない。

足だけのことではなく硬さはこだわり、自分への縛りと思い込み、不安と恐怖、それによる歪み、アンバランス、連携のとれなさ、偏り…そんなことが頭に浮かんだ。

動作によるつっぱり感があるとき、それがどこへ続いていくのが手の感覚で辿っていく。
すると関節部分にしこりが見つかったりする。

官足法のおかげで辿る方法を知ることができた。
物事は単純ではないこと、複合的であることを知り、それでいて楽観的であることの大切さも知った気がした。

触れることでわかることが増えたが、触れてもわからないことだらけなのも見えてきた。

分からないことを受け入れる。
コントロールできないことを受け入れる。
受け入れ難きことも、とりあえず拒んだり逃げることを一度諦めて受け入れてみる。
その変化を観察してみる。

あることはあるし、ないことはない。
シンプルなことを自分で複雑にしないこと。

そんなことを思った。


動かしてないところは動かなくなってくるし、使わなければ錆びついてくる。
経年劣化も当然起こるし、逆に使い過ぎれば摩耗してくる。

当たり前のことにこれまでどうして気づかなかったのだろう。

自分の作り出した幻想に囚われて、目を開けていると思っていても目の前の現実を見ていなかったのかもしれない。


結局なんだかよくわからないが、だからこそおもしろいねというお話。

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