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片想いと整理整頓。

片想いは楽しい

おもしろそうなジムを見つけたので入会してみることにした。

入会手続きの仕方がホームページには記載されていなかったので、問い合わせフォームから送信してみた。
しかし翌日になっても返信がなく、「こりゃ返信を待っていても意味がないな」とあきらめて、電話をかけてみることにした。

なんと電話も繋がらない。
おまけに留守電にも切り替わらない。
時間帯を変えて再トライするもけっきょく繋がらず…

SNSで毎日情報発信はしているようなのでTwitterからDMを送ろうか悩んだが、らくだ🐪からのDMでは怪しまれそうだし、そもそもnoteが紐付けされているのであきらめた。
(そもそもわたしの名前が"楽らくだ"になってますし、相手が深く考えるタイプではなかった場合、正直めんどくさがられそう…笑)


とにかく、とっても間口の狭いジムである。
正規の入口が分からず入りづらい。
入会すること自体をあきらめてしまう人もいそうである。

あれから3日ほど経った今日、問い合わせフォームからの返信がきた。
その通知に気づいた瞬間、
「ひゃっほぉ〜〜〜!!」
と歓喜の声をあげていた。
(その場にいた夫に「まずは内容を見たら?」といなされました)


返信メッセージには質問が添えられていたので、それに答え湧いた疑問もつけて再送した。
するとまた、音沙汰がなくなった。

まるで片想いのような状態ではないか!
それがなんだかおもしろく感じた。

果たして思いは届くのか。
無事ジムに入会することはできるのか…

乞うご期待といったところである。


人をツンツンしながら整えていくこと

今日は育成会の総会資料を30部印刷して、配布できる形にまで整えた。
田舎で居住範囲が広いため、役員経由で渡すものと、子ども経由(学校経由)で渡すものと仕分けをし、手違いが起きにくいように段取りをした。


自分の特性として人を観察する癖がある。
観察していると、もっと良くなりそうなポイントが見えてくることがある。


ただ人は基本的に変化することを好まない傾向があるし、そもそも受け取ってくれるとは限らない。
そんなときにはとりあえずツンツンしてみることにしている。
実際にはふわっと質問をして反応を確かめたりするのだが、その反応をみて伝えるかを決める。
「本人は欲していない」とわかったときには、自分の中で必要のない情報になる。
だからさっさと忘れることにしている。
というより「興味がないなら ま、いっか!」となると、すぐに意識の外に勝手に流れて出てしまうのだが。

育成会長の引き継ぎをしたときに、それまでの資料や備品も一緒に引き継いだのだが、あまり整っていなくてガチャガチャだった。
大きな紙袋に髪の毛や埃といっしょに6冊のクリアファイルが統一感なく入っていた。

それでまず最初にしたのは、紙袋の中をきれいにすることだった。
それから、いる物といらない物の選別をした。
一目見てわかるように、入れ替えたりラベリングをしたりした。

育成会の副会長だったときから、それまではなかった引き継ぎノートを勝手に作成した。
それは次年度育成会長をやる自分のためだった。

やったことを記入し、感想や改善点も書き込んで、誰が見てもわかるように足跡を残すことにした。

自分が育成会長をやってみて、手続きやそのタイミングが分からなくてたくさん骨をおった。
だから次の育成会長がやりやすくなるように、どのタイミングでどんな手続きをするのか細かに記録を残すことにした。


次年度の地区理事も育成会長が声かけして探さないといけないのだが、地区理事をやったことがないわたしは、声かけをしているときに質問をされて困ることが多かった。
なので、地区理事の業務と集まり等がある日などを一覧にした。

もともと人の反応を見ながら、その場に必要そうなことをこそっとやるのが好きである。
それが喜ばれればまあそれはそれで嬉しいのだが、「次の人が楽になればいいな」と思いながらやることで、そこですでに満足感を得られている。
だから、スルーされてもあまり気にすることもない。
ときには「ありゃりゃ」と思ったりするときもあるが、普段からわりと空回りすることが多いためあまり気にしない 笑


まとめと感想

これら2つの出来事を振り返ってみて、自分の特徴に気づくことができた。

わたしはわりと楽天思考である。
先が見えないこと、予測がつかないことが好きな傾向がある。
良いこと、悪いことが五分五分くらいの状況であれば楽しんで結果を待つことができる傾向がある。

工夫するのが好きなので、片想いのような状況は「何かいい方法ないかなぁ?」と考えるきっかけになっておもしろさを感じるようだ。

興味を持たれるより、興味を持つ方が好きである。

「自分の意見をどこかで伝えてたい」という思いはあるが、「自分の意見を必ず通したいといった執着」はあまりないのかもしれない。

noteで吐き出し再考することが、自分を整えるきっかけになっているように思う。
noteという存在(場所)があることがありがたいなと思う。
飾らない自分を書くことができる場である。


noteも好きだが、ノートに書くことも好んでしている。
散らばった情報を自分が見やすい形に集めて整理するためにノートが必要で、なぜなら散らかったままの情報だと把握ができなくてポロポロどころかボロボロと取りこぼしてしまうからだ。

ノートに書くということは、その情報が均一ではない文字と単色ではない色で記されるということでもある。
そのときの気分が文字に表れる。

それは記憶するための方法でもあり、すぐに忘れる自分がまた見返したくなるための方法でもある。

人を知るのも楽しいが、自分を知るのはもっとおもしろい♪
そして、やめられない楽しい遊びでもある。

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