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焼き肉を食べる前に。(読書記録)

居心地のいい場所で手持ちの本を読もうと思い図書館へ行った。
たまたま通った通路で2冊の本に目が留まった。

一冊は子供向けの本が置いてある場所にあり、少し悲し気な牛の表情が妙に気になり思わず手に取った。

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2003年に絵本の仕事で食肉工場へ取材に行った。
そこで食肉用の牛と豚が屠畜され、お肉に変わっていくようすを生まれて初めて見せてもらった。

屠畜というのは、牛や豚、馬などの家畜を絶命させ、解体し、食肉や皮などに加工すること。
大きな食肉市場だと、牛を気絶させるときには、銃が使われる。銃といっても、銃口から芯棒が飛び出すもので、それが牛の眉間に小さな穴をあけ、そのショックで気絶させる。
そして頸動脈をナイフで素早く切って放血することで、牛は絶命する。そのあと、倒れた牛はつり上げられ、素早く解体作業へ流れてゆき、枝肉になっていく。
工場内の脂のにおい、牛の大きさ、放血の量、ナイフを使った作業のスピード、枝肉から立ちのぼる湯気・・・全部が見たことのない光景だった。

食肉市場の中の、生々しい作業現場を見学しているときには、お昼ご飯が入らないかもしれないと感じていたのに、熱々の鉄板にのせられた牛肉ステーキを見たら、そんなことはすっかり忘れて、集中してガツガツ食べていた。

この本は食肉業(屠畜)についている人たちのインタビュー集である。
インタビューの中で何人もの職人さんが、屠畜という仕事に対する思いや喜び、悩みを包み隠さずに話してくれた。
この内なる気持ちが、今晩、お肉を食べる前に、少しでも伝わってほしいと思う。

焼き肉を食べる前に。  /中川洋典
プロローグより一部抜粋

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自分の手で命を摘み取るという経験をしていない私たちは、生き物を殺すということに対して過剰反応してしまいがちのように思う。
どことなく湧いてきてしまう罪悪感からか腫れ物を触るような態度になってしまうし、ぎこちなくなってしまう。

それは、本当に罪悪感からなんだろうか?
「生き物を殺す=かわいそう」というのは、表面的にしかとらえていないから言える言葉なのだとこの本を読んで思った。

学校でニワトリやウサギを飼って豊かな優しい心を育むのはいいことだろうけど、一方でニワトリやウサギを殺して生活している人たちだって、もちろんいるわけだよ。そういう人たちは、子どもたちの目にどういうふうに映っているんだろうな。本来それを教えるべきなんじゃないだろうか。

中学生のとき、塾のサマーキャンプで生きたニワトリを殺して食べるという体験をした。
じゃんけんで勝った私は、ただの傍観者だったのだけれど、その様子が直視できずに目をそむけてしまって先生に「ちゃんと見ろ!」と強めに注意を受けた。
不思議だったのはあんなに怖くてたまらなかったのに、処理がすすむにしたがって「生き物」としてではなく「肉」として見えてくることだった。
わたしを含め泣いたり怖がっていた人たちも、自然の流れで食べていたしおいしいと感じていた。

人間は身勝手で薄情な生き物なんだと思う。
それを踏まえたうえで、生き物を大切に思うこと、生きることは食べることであること、どちらの面も大切なことして子どもたちに伝えられたらいいなと思った。

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彼らは自分たちの仕事を「特別ではなく普通の仕事」だと言う。

そんな彼らの普通の仕事を「普通の仕事」として理解するためにもう少し子どもが大きくなったら見学しに行ってみたいと考えている。

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インドネシアの子たちと一緒に車で出かけたとき、目の前を野うさぎが横切った。
するとある子が「うさぎはおいしい!」と言い始めて、すかさず夫が「かわいそうだろ。食べるなよ!」と笑いながら嗜めた。

改めて考えると、「うさぎはおいしい」と言う感想が出るのは正直な反応だったんだなと思った。

急にさかなクンが頭に浮かんだ。
魚が大好きで食べるのも大好き。
好きなものを殺生するのに違和感を持ちやすいけれど、相反することではないのかもしれない。

もう一冊の本はまた次回 ♪



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