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今日の山田君 〜思うこと〜 50

脳疲労と考えて決めること

「考えて決める」は無限にはできない。

選択することが好きでも、いつでもそして無限にできるものではない。
そんなことを義母とのやりとりのなかで気づいた。

4月は普段と比べて不規則なできごとが多く、変更もたびたびあるため「考えて、決める」ことや「把握しておく」ことが自分にとって大きな負担になっている。
そのため脳が息切れ状態になりやすい。

義両親の家は住みながらリフォームをしていて、先日キッチンができあがった。
(現在、東側の外壁がなくなっていて茶の間が丸見えでおもしろい状態になっている笑)

主張が強めの義父と決めることが苦手な義母なので、台所にはほぼ足を踏み入れない義父が主導をにぎり決めたようだ。

ショールームに行った時はバタバタしていて義母も調子がよくなかったそうで、「なんでもいいよ。」と言ったそうだが、義母から話を聞いてみると出来上がったキッチンにどうやら不満があるみたい。

そのときに言わないで後で言ってくるのはあとだしジャンケンみたいでもやっとしてしまうのだが、決めないということは責任をとる必要もないということでもある。

10年くらい義母を見てきて思うのは、決めることに苦手意識があり、めんどくさい無理だと感じやすいということ。
それと自分が決めたことにあれこれとダメ出しされることへの恐怖心がある。


何をどのようにしたらいいか分からない

話が右往左往してしまいがちなわたしが言うのもなんですが、義母の話は散らかっていて何の話なのか想像するのがむずかしい。
方向性や着地点が定まっていないため、まるで謎解きゲームのような感じだ。

おもしろいのは、夫や義父に「話がよくわからない」などと指摘されると途端にそれまでの話を引っ込めてしまうこと。
わかってもらえるように砕いて説明するのではなく、話自体を無かったことにしてしまう。

この考え方は片づけにもつながっているような気がしている。

義母は片づけが得意ではない。
必要なもの、必要でないものを区別し選び取ることに関して判断がつかないようだ。
それと、とりあえずで買ってくるものが多い。


新しいキッチンが出来上がってどうしまっていいかわからなかった義母は、わたしに丸投げしてきた。
「しまうのやってくれる?」
というざっくりとしたお願いに、脳疲労中のわたしは次のことを伝えた。

•一緒にやるのは大賛成だが、わたしだけでやると問題が起きそうでは?

•わたしがしまうといざ使うときにどこにあるのかわからなくなってしまうのでは?

•決めるのはおかあさんにやってほしい。決めて指示してくれたらどんどんしまっていくし手伝えること

•わたしも今考えること決めることが多くて、決めるのって脳が疲れるし大変だなと感じていること
(決めるのは疲れるし大変だということは理解していると伝えたかった)

•体力的には余裕があるが脳に余裕がないこと
(わたしのいまの状態について)


義母もわかってくれて少しずつやってみると言っていた。
実生活に関することだけは「自分で考える」「自分で決める」ということを手放さずにいてほしいなと思っている。
義母がやったことや、やらなかったことに対して義父はマウントをとってくるので大変な環境だとは思う。
それでも手放さず、そういった行動を増やしていってほしいなと口には出さないが思っている。


生きていく上で生活というものを無くすことはできないし、自分で決めないということは後悔につながる気がするからだ。

趣味がなく時間がありすぎてつらいという義母だけど、何かをきっかけに自主的に楽しめるようになればいいな。
そんなことを最近思ったりした。



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