今日の山田君 〜思うこと〜 64
オケラだって
会社の事務所で座っていると、床にコオロギみたいな何かの虫の死骸があった。
けっこうな大きさで見たことのない虫だった。
ひろいあげてよく見てみると、なんともかわいい手をしていた。
「かわいい手をしてる!!」
思わず口からそんな言葉がこぼれた。
すると、その時居合わせた年下の子が「それオケラだよ」と教えてくれた。
手に乗せると指と指の間を土を掘るように掘るらしい。
「痛いんですけどね笑」とも言っていた。
オケラだと知ったときにあの歌が頭に浮かんだ。
歌うたびに「オケラってなんだろう?」って疑問に思ったのに一度も知ろうとしなかった。
人に聞こうともしなかった。
きっと小さい頃からたくさんの疑問「なんだろう?」を気にも止めずに、ただただこぼれ落としていたんだろう。
やなせたかしさんの歌詞は、大人になって改めて目を通すとなんだか泣けてくる。
大人になるとそんなことはすっかり忘れて、日常に忙殺されて失ってしまったことでもあるのだろう。
けれど泣けてくるのは、大切にしたいことでもあるからなのかもしれない。
「返事」という歌の歌詞が自分のスタンスと重なってうるっときた。
オケラ
次男が幼稚園児だった頃つくった器。
上からみるとフライパンみたいに見える。
実は生き物。
器の中はぐるぐるした形があるから蛇が進化したのかな?
それとも想像上の生き物かな。
ただ作っていたら「できちゃった」だったりもしそう。
新聞deテント
学校から帰ってきてまもなく、「今日学校で作ったんだ」と言って黙々とつくりだした。
うちは新聞をとっていないのだけれど、時々古新聞が必要だなと思うことがある。
子どもがいると習字や工作や色塗りなど何かと出番があるものだ。
完成するとお気に入りの毛布と何よりも大切なぬいぐるみを入れていた。
気が散りやすく集中力がない子でも、自分の興味があることだと無心でやり遂げるのだと改めて思った。
ハイキング
ハイキングとピクニックの違いがあまりわからないのだけれど、両親に誘われて甥っ子姪っ子と一緒に山へ行った。
あまりにも騒々しすぎて撮った動画を見せたいくらいなのだが、最初から最後までずっと騒々しい笑
ずっとガチャガチャしていて、危なっかしい。
けど、すごく楽しそうだった。
赤ちゃんの腕ほどの太さの藤蔓が木の枝や幹にうまい具合に絡んでいて、蔓をつかんでターザン遊びをしたりブランコみたいに遊んだりした。
枯れたように見えるのに大人の体重でもびくともしなくてたくましい植物だなと思った。
まんまる太ったどんぐりが芽を出しているのを発見したり、姪っ子と紅葉がはじまった色とりどり葉っぱを交換したりもした。
その他にも綺麗な滝を見たり、風が強いなか吊り橋を渡ったら船酔いみたいになったり、美しいチョウチョやうるしをまじまじと観察することができた。
それはその日がお天気だったおかげだったりする。
いろんなもののおかげで、自分ひとりで編む時間とはまた別の時間を編むことができた。
どちらの時間も大切で、でもどちらかだけでは偏りがうまれてバランスが崩れる。
歳を重ねるのは頑なさから解放されて、ときには流れたり流されたりしながら「いいかげん」を体験として学んでいくことなのかもしれない。
そんなことをnoteを書いていてふと思ったりしました。
絶望と希望そして笑うとは何か?
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