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ららら誕生日

昨日は誕生日だった。
私は過去にあまり執着しないせいか
楽しかったことも、嫌なことも
どんどん薄れていってしまう。
ぼんやりとした記憶しか残らない。
だから、誕生日に感じたことを
残しておこうと思う。

昨日は2人の息子と共に誕生日登山をした。
誕生日だから登ろうとしていたわけではなくて
、6月から人の動きが激しくなりそうだから、5月のうちに登っておきたいと思っていたのだ。山の天気のサイトで調べたら、わたしの誕生日が登るのに最適な日だった。
山のコンディションは最高で、
「天気もお母さんの誕生日を祝ってくれてる♪」
なんて子どもたちの前でそう言うと、いつもの如く長男に苦笑いされた。しかし、わたしは本気でそう思っている節がある。自分をご機嫌さんにするために、都合よく考えるのが得意だ。
イイコトはわたしのおかげ、みんなのおかげ。
ワルイコトはできることはやって、あとは「しょーがないね」にする。

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子育てに無我夢中だったとき
わたしの誕生日は「生まれた日」というだけで、他に意味がなかった。

無気力に陥ったのがきっかけで、
すっかり忘れていた、「直感を信じて行動する」ことを再び始めた。

元々人に気持ちを伝えるのが好きなのだが、
以前は相手がどう受け取るかを気にして
受け取ってもらいやすい形で伝えていた。

今はわたしの伝えたいように伝えている。
苦笑いされることもあれば、
恥ずかしそうに笑う人もいる。
「重すぎ、うざ!」と思う人もいると思うが
受け取ってもらえなくても仕方がないと思っている。
ただ「あなたのこんなところ素敵だね」と伝えることが好きなのだ。
わたしの中で伝えることに意味があって、
伝えたことに意味があるから。
どこまでも自己中なのである。

そうして気づいたことがある。
気持ちを伝えていると、
後から温かい気持ちがやってくるのだ。
そして、素直に受け取れている自分に気づく。

もしかしたら、昔のわたしは人の気持ちを「受け取り拒否」していたのかもしれない。

わたしは昨日で39歳になった。
今までの39回あった誕生日の中で1番の誕生日だった。
(わたしにとって過去は薄ぼんやりとしたものになってしまうから、その時が最高なのだ)

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誕生日に届いたバースデーカード
「あんみつの健康と笑顔を守り続ける友達でありたいです」

なぜだか小学生の頃から「あんみつ」というあだ名が付いている。わたしのことを、昔からの友達は「あんみつ」とか「あんみちゃん」とか「あんつみ」とかよんでいる。

名前に興味はないからなんでもいいのだが、看護師の友達からのメッセージに心が打たれて涙が出た。

父親からLINEで動画が送られてきた。

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甥っ子と姪っ子がバースデーソングをプレゼントしてくれた。
空のティッシュケースに輪ゴムの弦を張ったものを手作りピックを使って演奏してくれた。
その気持ちがうれしかった。


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彼女は自由で台風のような人。
あっという間にやってきて、
周りを巻き込んであっという間に去っていく。
私たちは、そんな彼女は彼女らしいと感じている。
昔のことも事細かに記憶していて、すごい脳の持ち主。


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ひょんなことから出会った人。
1度しか会ったことがないのだけれど、
ただ存在を受け止められる人で、
そのおかげで「わたしは私でいいんだ」と思えた。
わたしの中では恩人である。
無意識に人の素を引き出せる人で、コロナ前まではちょっと擦れていて、とてもドライな印象だった。素質がすごくあるし、愛されてキャラなのに使いこなせていなくてもったいなくて、私は嫌がられるの覚悟で好き勝手言って、やはり疎遠になった。
それが数日前に連絡が来た。

文面だけだが人間味が溢れていた。
人の人生は背負えないので
わたしは深く介入しない。
元気そうで何よりだわ♪
そんな感じだ。


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二十歳くらいから、
28歳で子どもを産むこと
お金には困らないこと
幸せになること
これらは叶うと思い込んでいる節がある。
根拠は何もないから、人からつっこまれると何も言い返せない。
だから普段言わないようにしている。

お金はたくさん稼ぐ力はないのだが、
巡り巡ってやってきて、助けられている。
そしてお金のある無しは、わたしの人生に影響は与えないと思っている。
5年前家を建てた。家を建てるまでの過程が楽しすぎて、没頭した。2000万の借金を抱えたが、あの体験はその価値があった。5年経って住むのに飽きたが、プライバシーを死守するためにはこの家すごく価値がある。
そして、借金もただの数字の羅列であって、わたしの精神を脅かすものではないことを知った。

28歳で子どもを産んでから、さらに確信するようになった。
わたしの内面はジェットコースターみたいに上がり下りが激しい。
そんな中でただ思うのは、人生は自分が想像できた中にあるもので、どれだけそう思い込めるのかなのではないか、ということだ。

30代最後の年はどんな1年になるのか楽しみだ。
どれだけ楽しいを思い描けるかなのだから。


今日もあなたに心の安らぎと幸福感が訪れますように♪

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