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「大人の遠足」という自分を知るための時間

自分がHSS型HSPという気質なせいか、それともただの性質なのか、安心な場所にいても「美しいものに出会いたい」という欲求が湧いてくる。

「美しいもの」に触れると、いつの間にか空になっていたタンクが少しづつ満たされていくのがわかる。

わたしにとっての「美しいもの」は
景色だったり、空間だったり、質感だったり、気持ちだったり、佇まいだったりする。
見て、触れて、そこにある何かを感じて体感することに意味がある。
それらは家にいては得られないものばかり。
安心で安全な場所から飛び出し、出会う必要がある。

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安全であることは何よりも大切だけれど
ときには冒険も必要で
安全すぎない場所に行くことも必要なのだ。
そんな場所に足を踏み入れることで
戦慄を覚えつつも好奇心が掻き立てられるのだから。

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どうやらわたしは「暗闇」と「水」がこわいようだ。
そして、このふたつがあるときに戦慄を覚えるらしい。

今回、美術館にも行ったのだが、絵画を見ていて思ったことがある。

人は見えないときこそ、何かを見出そうとするのではないか。

その闇の中に何かを見出そうとする。
見えないことは不安だからなのか。
見えたら安心するのか。
見ることで逆に見えていないこともあるのではないか。

そこに何が見えるのか。
自分は何を恐れているのか。

引きずり込まれたらもどってこれなそうな気がするのだろうか……

好みの変化からわかること

母親が焼き物が好きだった影響か
特にご飯茶碗とマグカップは怪しいくらい吟味してしまう。

手に持ち、重さを確認し手触りをチェックする。
それからまた置いて眺めてみたり、角度を変えてみたり、何度も何度も手に取り手触りを確認する。
「やっぱりこれだ!」
自分の中に叫び声が起こるまで。
書いていて思ったが、興味のない人から見たら気持ち悪がられそう 笑

言い訳がましく言っておくが、日用品や洋服などの自分の基準ができてしまっているものは悩まないし、決断ははやい。

しかし、焼き物は一期一会みたいなところがあるからか、自分との相性はどうかと確認せずにはいられない。

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今回、買ったご飯茶碗は「つるつる、さらり」としている。色は別のものが好みだったが、手触りを優先した。
やっぱりお茶碗もマグカップも手に収まりがいいものがいい。

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昨日まで使っていたお茶碗。
以前から質感も大切にはしていたが、それよりもデザイン性、色の影響を強く受けていたように思う。
これはお茶碗用としては小振りで軽すぎて、使い勝手はあまりよくない。


自分の好みの変化から、最近は刺激よりも安らぎに重きをおいているのがよくわかる。


普段、当たり前に使っている手のひらは、いろいろな情報を汲みとってくれる魔法の手なのだと思う。

喜びも悲しみも感じとり、安心感を与えることもできる魔法の手。

大切な人に触れるとき「ほんわり」するように、苦手な物に触れると心が「がざがざ」になる。

だから毎日使うご飯茶碗は、手のひらが喜ぶ質感のものがいい。

いくら好きな人の手だって、汗でべとべとだったら手を繋いでも嬉しさは半分になってしまうよね。

やっぱり触れた感触、質感は大切なのです 笑

今日もあなたに心の安らぎと幸福感が訪れますように♪


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